たかこ先生のレッスン徒然日記vol.44
暑い
それに尽きます。
人間はどこまで暑さに耐えられるのでしょうか。私が小学生の頃は25度超えたら夏日で30度などと聞くとビックリしてました。既に10度くらい跳ね上がっています。
文明の力は人類の生活を凄まじく便利に、そして世界を近くしてますが、引き換えに私たちが愛でてきた地球の自然や気候をかなりの勢いで崩しているわけです。
悲しいことに、一度手にした利便性を失くすことも人間には出来ません。
地球はどこに向かうんでしょうね。
ピティナピアノコンペティションも残すは全国大会のみになりました。
この夏も予選、動画予選、本選の審査、その間ピアノステップ、また別のコンクールの審査などもあり、あちこち移動しながら沢山の演奏に出会いました。
生徒たちはそれぞれに頑張ってくれて、レッスンしている手応え通りの結果にまずまずかな、と。
何十年も指導してくるなかで、今辿り着いているのは「平和で幸せなコンペ生活」。
今の力以上に頑張る時も必要ですが、それ以上に気を付けていることは燃え尽きないこと。
心のどこかに悔しさを抱えていても、次の目標に目指そうとする意欲を失わないレッスンです。
コンクールというのはどの時点でも必ず「涙」「くやしさ」「歓喜」が交差します。
パリオリンピックが閉幕しましたが、今回のオリンピックはこれまで以上に様々な問題が渦巻いたオリンピックだったように思います。
素晴らしい場面に出会う瞬間もあれば、「なんじゃこりゃ」というような場面にも遭遇しました。人間の嗜好や基準で点数が出やすい競技はなかなか難しいものを感じましたし、審判の言うことが絶対的な競技(最近ではチャレンジシステムもあり、疑わしいことに対しての協議もされていますが、あれも使いようによってはなかなか難しいと感じます)でのなんとも言い難い思いもありました。
選手当事者についてもいろいろ取り沙汰されることが多く、SNSの功罪も考えさせられるオリンピックだったように思います。
最初にして最後になるかもしれないブレイキンを初めてじっくり見ました。
ド素人の私からするとどなたも凄かったのですが、見ているうちに同じような動きでも切れ味や足の動かし方、体の使い方、そして全体の構成などでなんとなくこちらが良いなぁなどと思えるようになる。
ブレイキンはその場で与えられた曲を聴いて振りつけていくので、音楽的な要素もあってとても興味深く見ました。
判定は覆らないのでそれについては言及しませんが、数ある競技のなかでブレイキンだけは技についての基本的な提示がありませんでした。きっとプロの方々が見ていれば、あの技はすごい、この組み合わせ、構成はすごいとなるのでしょうが、技に名前がついていて、この技をしたらこのくらいのレベル点がつくなどの提示がないこともあり、観客と結果のギャップがあったように思います。
反面、わかりやすかったのが飛び込みです。
あの高さから回ったり、捻ったりして、最後の入水、この水しぶきが見せてくれる飛び込みの完成度に対しての圧倒的なわかりやすさというのが実にスッキリしていて面白かった。
飛び込む前の精神力、踏み切ってからの運動性、入水するまでの集中力、これもステージに向かう時とよく似ているなぁと感じます。
この飛び込みの点数の付け方は、最初に競技者が提出した技の組み合わせによって基本の点数が決まるのでわかりやすい。
コンクールもこのくらいわかりやすかったら、諦めもつきやすいのですが、そうはいきません。
一体自分のどこが評価されなかったのだろうと泣いてしまう人たちも多いと思います。
オリンピック選手たちは4年間(今回は3年間)尋常ではない努力をしてその日のために練習しています。だけど、世界中の人たちが同じように練習してきているなかで、ちょっとした歯車の掛け違いで勝ち負けが決まってしまいます。
成績が悪かった、期待通りではなかったからとその人のやってきたことが否定されることはあってはならないと思います。
全ての人たちが底無しに頑張るからこそ、メダルの価値があります。
そしてそのメダルは多くのメダルを取れなかった人たちの努力の上に輝いています。
コンクールに挑戦する人たちはどうか純粋に自分の音楽の高みを目指してほしいと思います。この挑戦する気持ちはどんなジャンルでも大事な感覚だと思います。そして精一杯努力をしてほしいと思います。
そして私たち指導者は、上を目指しながらも、そこを支えているものが何なのか、しっかりと足元を見て、自分を磨いていけたらと思います。
お読みくださってありがとうございます。
マイペースで更新したいと思います。