『総合危機管理チーム』

■ あらすじ
大学のお客さまサービス課で働く大学職員の松下和敬、坂中田村ムマロ、都鳥ユリが、新プロジェクトチーム「総合危機管理チーム」を立ち上げ、大学で起きる不可解な事件に挑む物語。

・・・・・

総合受付に電話がかかってきたのは、金曜日の午後5時13分。明日は地元の郷社神明宮「有玉神社」で「夏越の祓(なごし の はらえ)」が行われる。夏越の祓は、半年間で身体に溜まった罪と穢れを祓い清めるための神事であり、地元の人々は、真菰(マコモ)で編んだ直径2.4メートルの「輪」をくぐり、無病息災を祈る。この地域では「輪」作る材料は、古来より、イネやススキなどの「萱」ではなく、浄化力に優れ、邪気を払う「霊草」とされているイネ科の植物・真菰(マコモ)を使っているため《ご利益がすごい!》と信じられ、宗教色は薄れこの街の人たちの精神的な支えとなっている。

「わかりました。お客様サービス課に伝えておきます。では、また来週。」と電話の交換手は言って、電話メモを書かないまま、イントラネットでお客さまサービス課の内線番号を検索しようとしたら、また電話がかかってきた。

「あー、その件ね。たった今、他の人も連絡してきたよ。今からお客様サービス課に報告して、夜の見回りをお願いするところ。」

電話交換手は時計を見た。午後5時15分。終業時間になっていた。

「今日は6時から明日の準備があるのに。」
と舌打ちした。

午後5時18分。仕事の終了時刻を3分過ぎ。珍しくお客さまサービス課の内線はつながった。

「はい。お客さまサービス課、松下です。」と、松下は言うと、帰ろうとしている課長補佐が見えた。彼は慌てて叫んだ。

「補佐に電話!」

課長補佐は、両手で交差させて「バツ」を作ってから、右手でうちわをあおぐように左右に振る仕草をしていた。
《「もう、帰った。」って言って!》
と、彼は口パクをしている。

『ムマロ。ごめん、補佐は「もう帰った。」って言ってるよ。だから、僕でよければ話を聞くよ。』
と、松下は肩で受話器を挟んでメモを取り始めた。 

「了解。2件とも同じ内容の電話通報ね。」と言って、電話を切った。

「何があったの?」と補佐はめくどくさそうに聞いた。電話が終わるのを帰らないで待っていた。

「《大学2号館201教室の教卓付近に電気がついていて、女子高生と黒いスーツを着た人たちが集まって何かをしている。》という電話が2件、総合受付に入ったらしいです。で、1件目はジョン・コーク教授からの電話。2件目は名乗らなかったみたい。」

「ジョンか。でも、英語の授業はどれも14号館だろ?なぜ、2号館のことを通報してきたのかなあ。」と、補佐はつぶやいた。

『で、なんで「僕に電話?」』
電話を取った松下は補佐への電話だったことをすっかり忘れていた。
「さあ?なんででしょうかね?きっとジョン教授が補佐を指名したんじゃないですかね?」

「まあ、ジョンの事はよく知っているけれど。ジョンが何て言ってたか、月曜日に電話交換手のムマロに聞いてみるね。」補佐は怪訝そうな顔をしていた。

「コーク教授に直接聞いてみては?」松下は月曜日の3限にコーク教授の「スピーキングⅢ」の授業が2号館のとなりのビルの14号館であることを知っていた。

「そうだね。そうするよ。」と補佐は言った。

「僕、もう帰るから帰りがけに2号館を見ていくよ。なんかあったらムマロに電話するから、松下くんももう帰えりなよ。今晩、夏越の祓の準備、あるでしょ?」

「はい。僕、氏子総代なんで。19時集合ですよ。」と松下は嬉しそうに言った。

「はは。大変だね。僕は浜松生まれじゃないから、そういう集まりはないんだよね。だから、今晩もヒマだよ。」涼しい顔で補佐は言った。

「大学2号館は、念のため、月曜日の朝、ザッとパトロールしておいてよ。特に何もないと思うけど、念のため。じょあ、僕、帰るね。」と、補佐はニッコリ笑った。

右手に持っていたフェンディの『ピーカブー』を左手に持ち替えてから、松下に背を向けた。

・◇・◇・◇・

 月曜日の朝。松下は大学2号館の確認に行った。大学2号館は、構内の中央にある図書館から正門に至る銀杏並木沿いにある。松下に同行した2人はお散歩気分だった。この大学の「銀杏並木」は有名で若者向けの旅行雑誌にも「お散歩スポット」として掲載されることがある。秋には銀杏並木を楽しむためにたくさんの「外部の人」がやってくるが、初夏の緑のトンネルの下で沐浴をする人も多い。

 大学2号館は、1号館とともに昭和の初期に海外の有名建築家によって設計され、当初は中学部校舎として建てられた大学内でも最も歴史のある建物で、80人を収容できる大教室の201号室とその準備室の202号室がある。

 松下たちは、202号室を確認した後に、201号室の後のドアを開けた。薄暗い教授の中に窓から降り注ぐ光。そのコントラストの美しさに一瞬足がすくんだ。

「こういうのを神々しいというだろうな。」

松下にはその光に宿る神の祝福が見えた。かすかな甘い香りに頭がふわっとした。

気を取り直して松下は教卓がある教室の前の方に進んだ。彼の後ろを2人が続いた。

 斜めに差し込む日差しが静かな教室の教卓を照らす。その教卓の後ろの台座の上に大学創始者の石像が置かれいる。松下は、大学在学中の頃から、未来に想いを馳せているように真っ直ぐ前を見ているこの石像が好きだった。

「特に問題はなさそうだね。」松下は同行してきた2人にそう言って、職場に戻ろうとして視線を落とした。すると、教卓の向こう側の床に人間の肘のようなものが見えた。

男が倒れていた。
3人は近寄って、少しかがんで、倒れている男を観察した。倒れている男は、国際学部のジョン・コーク教授だった。金曜日の夜、通報してきたジョン・コーク教授だった。

「コーク教授、大丈夫ですか?聞こえますか?」と松下は傍に座って呼びかけたが、手は脇の下に挟んで決して触ろうとはしなかった。男は全く反応しない。息絶えているようだった。同行者の二人は立ったまま倒れてる男を見下ろしていた。

《厄介な事件に巻き込まれたな。》松下は心の中で大きなため息をついた。彼は、直感で、これはなるべく関わらないようにした方がいいと判断した。

「課に連絡して。補佐に金曜日の夜の様子を聞いて!」と松下は同行してきた久野に指示を出した。彼は手に持っていたスマホのボタンを押しながら言った。

「補佐はもう来てますかね。朝、来てなかったですよね?」

もう一人の同行者の都鳥ユリは、何もせず、ただそこに立っていた。

「使えないヤツ。」
思わず思ったことが松下の口からこぼれ出てしまった。その言葉はユリにも聞こたが、それでも彼女はただそこに黙って立っていた。松下は自分の声がユリには聞こえなかったと勘違いしていた。

「課長に連絡しました。課長が警察に連絡してくれるそうです。あと、補佐はまだ来てないそうです。」と報告する久野。それを聞いてもユリはただそこに立っていた。こんな状況の中でも、いつもどおり、ただ存在しているだけのユリに松下は驚いて、彼女に見入ってしまった。彼女の名札には「都鳥ユリ」と書いてあった。松下は初めて彼女の下の名前を知った。

松下は「君たち、何も触らないよいに。」と言って、後で書かされることになるだろう顛末書のために、現場確認をし始めた。

昨夜の通報によれば「教卓付近に電気がついてた。」わけだから、どこかに教卓付近を照らしだす電気があるはず。
「ライトはこれか。」
石像の真上の天井に、石像付近だけを照らすためのスポットライトがはめ込まれていた。大学・大学院、そして就職して、かれこれ20年はこの大学に通っている松下だったが、こんなスポットライトがあるなんて知らなかった。

「こんなとこに、こんなスポットライトが付いていたなんて知ってた?」と、松下は久野に尋ねた。久野もこの大学の卒業生で、卒業してそのままこの大学の職員になった。
「いえ。知りません。初めて見ました。最近つけたんですかね?」

松下はスポットライトをつけるスイッチ探した。教室の前のドアの横にある電源スイッチを全部試したがつかなかったし、教卓付近だけを照らすスイッチはなかった。教卓付近も探してみたが、スイッチは見当たらなかった。念のため、教室の後ろのドアの横にある電源スイッチも試してみたが、やはり教卓付近だけを照らすスイッチはなかった。

教卓の後ろにはうつ伏せに倒れている大学教授のジョン・コーク。松下は、電源スイッチの次に、ジョン・コークの様子を調べてみた。床には何も落ちてはいなかったが、何かを拭き取った形跡があった。見られてはいけないものが落ちて犯人がそれを消すために拭き取ったのだろう。その後も、松下は教室の隅々まで確認して回り、事件の手がかりをさがした。
毎日毎日、お客さまからの苦情や要求を聞いて現場確認やヒアリングを行い、それを文書でまとめる業務を行っている松下には、事故現場で事実に辿り着くために必要な情報を取捨選択する能力、出来事の本質を見抜く能力が備わっていた。

・◇・◇・◇・

松下たちが2号館についてから15分くらいすると、課長が学院理事長、副理事長、学長、総務担当副学長を連れて大学2号館にやってきた。

この学院は、幼稚園、小等部、中等部、高等部、大学を擁する総合学園だ。より良い教育と研究と社会貢献の実現を目指している。今日、課長が案内している学院理事長は学園の財政部門のトップ。

理事長は、高価なツヤツヤの生地で仕立てられたスーツを着ていた。彼はいつでも姿勢がよく、誰でも丁寧な物腰の肌や髪も整ったイケメンで、多くの人から慕われている。ただ、松下は理事長をなんとなく避けいて、間近で見たのは、今日が初めてだった。

理事長御一行は、201号室の前のドアから入ってきた。教室に入ると、理事長はすぐに教卓と黒板の間にうつ伏せで倒れている男性を見つけた。彼は何か話しかけようとする課長を振り切って、倒れている男性の様子を観察していた松下に歩み寄った。

「ジョン・コーク教授ですね。」と理事長が柔らかい口調で尋ねてきた。
「はい。」

「なぜ彼はここで死んでいるんですか?」
「それについては、これから来る警察が調べてくれると思います。警察や科捜研はあと30分で到着するそうです。」

「松下くんが第一発見者と聞きました。なぜ、今日の午前中に、ここに来たのですか?」
「金曜日の夜、終業時間の後、電話交換手から大学2号館のことで通報が入ったとの連絡がありました。それで、直ぐに補佐が現場を確認に行ってくれたのですが、その日はもう暗かったので、翌営業日である今日の朝、現場確認に行くように補佐に指示されたので来ました。」

「それで、何か気になることはありましたか?」
「特にありません。」
松下は間髪を入れずに応えた。

ただ、松下は、金曜日の通報の内容が「教卓付近でライトがついている」というものだったことが気になっていた。大学職員が「どうやってつけるかがわからない、電源スイッチの場所がわからない」ライトを、通報にあった女子高生、あるいは、黒いスーツを着た人たち、あるいは、犯人がどうやってつけたのか、については大きな疑問だったが、松下はあえて理事長には報告をしなかった。松下はこの事件になるべく関わりたくなかったかし、理事長にもなるべく関わりたくなかった。松下は、なるべく平凡に平穏に仕事をこなして、趣味を楽しむ生活に慣れてしまっていたからだ。

「補佐は今日は出勤していないのですね。金曜日の夜、現場を確認に行った補佐からの連絡はなかったんですか?」

「ありませんでした。」
『「ありませんでした。」か。では、松下くんはとりあえず補佐の連絡を事務所で待っていたわけですね。』
「・・・。いえ、補佐が出て行って直ぐ帰ったので、その後のことはわかりません。」

面倒ごとに巻き込まれたくない松下の気持ちなど関係なく、理事長の松下への尋問はまだ続いた。

「補佐はどうして今日は来てないのですか?」

「わかりません。」
《そんなこと、僕が知るわけないじゃん!》松下は心の中でつぶやいた。すると、理事長の3歩後ろにいた課長が前に出てきて言った。
「それが、先ほど申し上げたとおり、今日は休暇のようです。夏越の祓の翌日の月曜日は休講も多く、休みを取る職員が多いですので。」

「そうでしたね。」理事長は口角を上げてみせた。

その後もまた、理事長はジョン・コーク教授の死体を眺めていた。すると、近くにいた課長、学長、副学長が理事長の近くに寄ってきて、コーク教授が倒れているのを見下ろしながら小声で話し始めた。

その時、理事長たちが見つめるその前で、
横たわっていたジョン・コーク教授の肉体が、粒子に分解され始め、消えてなくなった。

松下も、久野も、ユリも、その現象を目撃した。
その場にいた誰かもがその不可解な現象に驚いて、呆気にとられていた。

そんな中、理事長は松下に丁寧に言った。

「松下くんからはまだ聞くべきことがたくさんあります。後で理事長室に来てください。時間はまた連絡します。」

《ちー。最悪だ。巻き込まれたー。》松下は心の中で舌打ちした。

・◇・◇・◇・

松下和敬(まつした わぎょう)は、大学の職員として「お客さまサービス課」に勤めて3年になるぐーたら職員だ。大学では国際学部を首席で卒業。その後、大学院に進んだ。博士課程4年目の時、大学内での恋愛事件に巻き込まれ、博士号を取ることを断念した。松下が大学を去ろうとした時、大学側が研究支援、知的財産管理、産業連携なとを行うための大学職員として彼を採用した。松下は学問の道は諦めたが、大学職員として専任講師となったかつての同級生たちのサポート役として研究棟で働いていたが、3年前、体調不良で倒れて以来、仕事量が少ない「お客さまサービス課」に異動となった。

「お客さまサービス課」は、構内に来たお客さまへの対応を所管する。例えば、来客者にトイレットペーパーがないと言われれば補充し、エアコンがつかないと言われれば行って直し、汚れて使えなくなった備品があれば取り替えるなど、どの部署の業務に属さない内容の、大学運営とは全く関係のない一般的ない誰にでもできるクレーム対応が「お客さまサービス課」の主な仕事である。どの部署の業務に属さない内容の電話のクレーム対応も「お客さまサービス課」が担当している。

「お客さまサービス課」に異動したばかりの松下は、この窓際部署からなるべく早く脱出して、大学の研究を直接サポートしたり大学の知的財産を所管する「地域・産業連携課」になるべく早く返り咲きたいと思っていた。ただ、「お客さまサービス課」での3年間は彼を変えてしまった。今の松下には「お客さまサービス課」から異動したいという気持ちは、ひとかけらもなかった。松下は「残業時間ゼロ」で与えられた仕事だけを恙なくこなす大学職員となっていた。彼は終業後の自由時間を使って、健康のために散歩をするようになり、散歩はいつの間にかジョギングになり、今では地方のマラソン大会入賞を目指すほどの走り込みと筋トレを行なっている。充実したプライベートの時間を送っている。

だからといって、松下は、仕事がイヤになったわけではない。どんな仕事でも、「考えて」取り組めば、それは面白くてやりがいのある仕事になり、一生懸命にやらないと対応できない仕事になる。それは.「お客さまサービス課」で松下の担当する業務も同じで、彼は、日々、自分の仕事の質を上げつつ、それが終業時間内で業務が終わるように考えて、計画して、実行している。松下は今の自分の仕事に一定のやりがいを感じていた。その意味で、「お客さまサービス課」の仕事は松下にとってワーキングバランスがとりやすい仕事で、今となっては、異動するつもりは全くなかった。

松下がジョン・コーク教授死体消滅事件の現場である2号館から職場に戻ると、どっと疲れてすぐに仕事に取りかかる気にはなれなかった。彼は席を立って課内の隅っこにある鉄庫の整理をするふりをして、疲れとやる気のなさを紛らわしていた。すると、そこに課長がやってきて理事長からの「御達し」が伝えられた。

「本日午後2時15分、理事長室に来るように。」

・◇・◇・◇・

「ジョン・コーク教授のことについては箝口令を敷く。」理事長は毅然とした口調で言った。

「この事件で電話による通報を受けた電話交換手の坂中田村(さかなかのたむら)ムマロくん、坂上田村くんから電話を受け、且つ、コーク教授の死体の第一発見者の松下和敬くんには、この命令をしっかり守ってほしい。特に、松下くんには嫌疑がかけられているので気をつけるように。以上。」

理事長秘書がドアが開いて、ムマロと松下を促した。
理事長の座っている方向を見ていた2人は頭を下げて3歩後退りし、そこで一礼してから、ドアの方を向いて退室した。

「僕、容疑かけられてる、て。」
松下は深刻な声を出した。
「毛足の長い絨毯だったな。歩くと靴がグッと沈んだよ。」
ムマロはアッケラカンとして言った。
ムマロを睨む松下。

「プフッ」
ムマロが突然吹き出した。
『あれ?いつもの「ぐーたらのふり」はどうしたのさ?殺人容疑?死体消滅容疑?死体をあんな風に消去できたとしたら、松下くんは人間じゃないよね。」とムマロは言って邪悪に微笑んだ。

松下はムマロの笑いに背筋が凍った。
ムマロの本性が見えた気がした。ムマロの背中に悪魔の黒い羽根が見えた気がした。

松下はムマロとは仕事で関わるくらいでよく知っているわけではなかったが、電話交換手として電話越しにペラペラ喋る彼のことを「よく喋るただのおバカさん」だと思っていた。

「ムマロ、ひどいじゃないか!僕が、不可解な殺人事件の容疑者なんてあり得ないよ。なんとかしてくれよ!」理事長室の前だということを忘れて、松下は叫んでいた。

「じゃあ、君の容疑を晴らすための隠密チームを課内に作ろう!」とムマロは言うと、階段に向かってスタスタと歩いて行った。

理事長室があるビルは左右対称のゴシック建築で国の登録有形文化財に登録されている。だから、エレベーターが設置されていなかった。

・◇・◇・◇・

金曜日の朝8時。松下たちがコーク教授の死体を発見してから四日が経った。松下の周りには、知らないのか知らないふりをしているのか、事件の話をするものはいなかった。ただ、理事長に容疑をかけられている松下は、事件の日以来、ビクビクしながら生活していた。

「松下さん、始業時間前だけど、今、大丈夫?」と課長に声をかけられ、松下の胸は「ギュッ」となった。
「はい。何の話ですか?」

「これ、任命書。」
松下は課長に手渡されたB5サイズの上質紙に目をやった。
「 松下和敬 様
  あなたを 総合危機管理チームのチームリーダー
に任命します。」

「え?何ですかこれ?」
「新しいプロジェクトチームだよ。」

「何をするチームですか?」
「最近、学内で不可解な事件が多発していてね。それらを秘密裡に解決するチームだよ。」

「ジョン・コーク教授の事件を解決するんですか?」
「それも、この新チームで解決すべき事件に含まれいる。容疑をかけられている松下さんは、このチームに入れば、自分で自分の容疑を晴らすことができるよ。」

「なるほど。それは嬉しいです。」と松下は言った。「プロジェクトチーム」などに全く興味がなかった松下だったが、自分自身の問題を解決することができるプロジェクトならぜひ参加したい、と思った。

「誰がメンバーなんですか?」
「僕、松下さん、ムマロくん、都鳥さん。とりあえず、この4人。」
「課長、僕、ムマロ、で、都鳥さん?あの、都鳥ユリさん?」松下は驚いた。

《都鳥ユリさんは同じ課だけど、仕事ができるとは思えないけど。》
「都鳥さんは、ムマロくんの推しなんだ。で、都鳥さんはまだこのプロジェクトに入るかどうかわからないんだけど、ムマロくんが来週の金曜日9時に開催予定のキックオフミーティングまでに都鳥さんを説得して、必ず連れてくる、て言っているんだ。」

《あのムマロが、理事長室で会った後に悪魔の笑みを見せたムマロが、都鳥さんを推し?》
「では、また金曜日に。このことは他の人には内緒だよ、松下さん。」課長はそう言うと、課長席の方に歩いて行った。8時15分になっていた。始業時間15分前のお客さまサービス課には、課長と松下以外誰もまだ来ていなかった。

・◇・◇・◇・

ムマロがお客さまサービス課に自分の出勤表を持って来たのは、7月10日月曜日のお昼前だった。毎月第2月曜日が非常勤職員の出勤表の提出日なのだ。

「都鳥さん、これ、お願いします。」
「お預かりします。」
都鳥ユリは、お客さまサービス課の庶務を担当している。
「都鳥さん、都田町に詳しいですか?ボク、今日、都田の防災倉庫の確認に行かなきゃいけないんですが。ボク、都田に行ったことなくて。」ムマロが言うと、理由を聞き返してきた。ほんの少しだけ険しい顔になった。
「詳しくないです。」

「なぜ、私が詳しいと思ったんですか?」仕事以外のムダ話はほとんどしないユリが理由を聞き返してきた。
『「名にし負はば いざ言問はむ都鳥」てね。ボク、浜松育ちじゃないんだ。だから、土地に詳しくなくて。』ムマロはいつもどおりアッケラカンとしていた。都田の話が終わってユリの表情が和らいだことをムマロは見逃さなかった。

「都鳥さんは、都田にゆかりがあるの?」ムマロはわざと都田の話を続けた。
「先祖が都田出身なんです。」
「自分とか、親とかじゃなくて、先祖ね。」

「坂中田村さん、また来月、よろしくお願いします。」と、ユリは丁寧に言って、ムマロに《これ以上、都田の話はするな。》と伝えた。
「了解!」そう言うと、ムマロは総合受付に戻って行った。

・◇・◇・◇・

ユリは終業チャイムと同時に席を立った。彼女が職場のある5階エレベーターで降りて1階出口を通ったのは午後5時15分だった。
「おや。5時15分だね。」1階出口にある事務所の職員がユリに声をかける。ユリの帰宅姿は時計代わりになっていた。
「お先に失礼します。」ユリは会釈をしながら事務所の前を通り過ぎた。
「今日もいつもどおりだね。」事務所がユリをからかった。ユリは黙ってビルから出て行った。

1階出口の職員は「いつもどおり」と言うが、ユリとっては「いつもどおり」ではなかった。ユリは、「いつも」とは空気が違って、肌がヒリヒリするような気がした。誰かに見られて いるような感覚があった。

次の日。ユリは午前に研修があって出かけていたが、午後3時にはいつもの職場に戻り、仕事が終わり席を立ったねは午後5時15分。帰宅姿を1階出口の職員に見せたのも午後5時15分だった。
「おや。5時15分だね。」いつものように、事務所の職員がユリに声をかける。
「お先に失礼します。」ユリもいつものように会釈をしたが、今日は出入口にある姿鏡を使って、ユリの後ろを歩いている人たちを確認した。

鏡に映っていたのは、定時に帰る職員。1階学生課窓口で単位のことで騒いでる大学生たち。オープンキャンパスの申し込みに来ている数名の高校生。急に顔を隠したり、物陰に隠れたり、不自然な行動をする人はいなかった。

職場のビルを出たユリは、いつもどおり、大学図書館の前を通り、銀杏並木を歩いていたが、やはりユリは周りの気配が気になっていた。わざと立ち止まって携帯をカバンから取り出し確認をしているふりをし、周囲の状況を確認した。前方と左右に不審な動きをする人は見当たらなかった。おしゃべりをしながら歩く大学生の集団が彼女の横を通り過ぎていった。小走りの大学生に抜かれた。バイトに間に合わないようだ。向こうから歩いてきた高等部の生徒がユリの横を通り過ぎていった。黒茶のローファーにゆるいルーズソックス。かわいい女の子だった。

2号館の前まで来た時、先月の金曜日の夜のことを思い出した。

ユリは、2号館201号室の教卓の付近で高等部の女子高生と黒いスーツの男性たちが集まって何かを探しているのをたまたま目撃してしまった。そして、2号館の廊下を小走りしているジョン・コーク教授の姿も目に入った。

その日も見て見ぬふりをしようと正門に向かって歩いていこうとしたら、カバンの中でバイオディグレイトが発動した。

バイオディグレイト。ユリの祖父が大切にしていたオモチャの銃だった。ユリは小さい頃からその銃が大のお気に入りで、祖父に会う時はいつもその銃で遊んでいて、いつも銃を「ナデナデ」していた。ユリが6歳の時、祖父が亡くなる直前に祖父から手渡された。

「魔除けにこの銃を肌身離さず持っていなさい。これは御守りだよ。ユリが本当に困った時、この銃を相手に向けなさい。相手はこの銃を見ただけで、逃げていくから。」
「ありがとう、おじいちゃん。このオモチャ、本物みたいだよね。だから、いつも持ってるのはちょっと怖いな。」
「この銃は正義の銃だから、弾は悪い人にしか当たらないから安心して持っていなさい。銃口を向けて引き金を引いても、相手が悪い人でなければ、弾は発射されないよ。でも、そんなこと見た目じゃわからないから、普段は人に銃なんか向けちゃダメだよ。」

以来、ユリはバイオディグレイトをいつも持ち歩いている。

ユリの記憶の中では、バイオディグレイトは引き金をひいても「パン!」と音がするだけのオモチャだった。そのバイオディグレイトが、あの金曜日の事件を目撃した時、急に光ったのだった。その時、ユリの脳に30年ぶりに祖父の最期の言葉が浮かび上がり、とっさに、学院の総合案内に電話していた。

「大学2号館201教室の教卓付近に電気がついていて、女子高生が黒いスーツを着た人たちに囲まれています。それから、ジョン、いえ、誰かが・・・」

「あー、その件ね。たった今、他の人も連絡してきたよ。今からお客様サービス課に報告して、夜の見回りをお願いするところ。」ユリにはムマロが早く帰りたがっているのがわかった。

《見回りに行くようにお客さまサービス課に電話をするなら大丈夫だろう。今なら松下さんがいるし、正義感の強い松下さんは、そういうこと、キッチリやる人だから。》

ムマロに話の内容を遮られたが、ユリは電話を切った。ユリはバイオディグレイトは光ったままだったが、その日実家の留守番に行くことになっていたユリは、急いで正門から500メートル向こうにある駐車場に向かった。
 
そして、翌月曜日、松下に連れられと201号室に行ったユリは、そこでジョン・コーク教授が倒れているのを目撃することになった。

・◇・◇・◇・

《あれ?今の女の子。》
金曜日の2号館での出来事を思い出したユリは、ハッとした。さっき、向かいから歩いて横を通り過ぎた女子高生は、金曜日に見た女の子なのでは、という考えが頭をよぎった。

そう言えば、昨日、あの女子高生はユリの職場ビルの1階出口にもいた。口元の左側に割と目立つセクシーなホクロがあった。それに、緑色のスカーフとスカートのセイラー服の学校はこの辺りじゃ見かけないことにも気がついた。

「間違いない。金曜日に2号館にいたJKだ。」ユリは思わず声に出していた。

ジョン・コーク事件がらみの女子高生につけられていると認識し始めたら、ユリは急に落ち着かなくなった。歩くスピードを上げて正門に向かっているユリの後ろから靴音が聞こえてきた。
「コツコツ、コツコツ。」
振り向かず、さらにスピードを上げた。
「コッ、コッ、コッ、コッ。」
足音のスピードも上がった。
《もう限界》そう思って、振り向いたユリだが、彼女の後にはだれもいなかった。
《さっき横を通った女子高生がローファーを履いたよね。》
ユリは駐車場まで走った。駐車場の入り口で、伸び切った野バラが敷地を囲う金網から飛び出していた。ユリは小枝を左足でなぎ倒して、全力で車まで走った。

車を20分飛ばしてアパートに着いたユリ。レースのカーテンと遮光カーテンを一気に閉めて、タオルケットの中に潜り込んだ。恐怖を忘れるため、枕を抱きしめてうつぶせになり、身体をぐりぐりぐりぐりベッドに押し付けた。
恐怖という精神的な苦痛とお気に入りのタオルケットとの触れ合う身体的な快楽が脳内を入り乱れて、リエは悦に浸った。初めての感覚だった。

すると、リエのマンションの前の空き地から複数人の声が聞こえてきた。

「あいつ、体温上がってるぞ。」
「見ろよ、このサーモグラフィー。いっちゃってるぜ。」
「彼女、私を見捨てたくせに、自分だけ楽しんでる。」

リエは両耳を両人差し指で塞いだ。それでも、彼らの声は小さくならない。リアの怒りは頂点に達して、東に向いている窓を思い切って開けた。
 
「バン!」
開いた右内側の窓が左側のたて枠にぶつかって音がしたが、開いた窓の向こうに見える空き地には誰もいなかった。

それでも、彼らの声は止まらない。

「彼女、私を見捨てたのよ。」
「彼女、金曜日にコーク教授を見かけたくせに、それを電話交換手にちゃんと話さなかった。」
「彼女、森の石松を騙し討ちした都鳥一家の末裔なのに、シャアシャアと生きてるよ。」

彼らの声は「聞こえる」と言うより「脳にシグナルを送ってくる」のような感覚だった。
《これが「幻聴」なの?病気なら治す方法があるはずよね。》
不思議とユリは正気を取り戻した。窓を閉めようと思い窓枠に手をかけた時、前にある空き地が視界に入った。そこに、セーラー服のあの女子高生が立っているのが見えた。

あまりの恐怖。ユリはバイオディグレイトのことを思い出し、いつものカバンの中を探した。探した。そして思い出した。
《午前中の研修に持っていくテキストが多すぎて、バイオディグレイトとかいつも昼休みに読んでいる単行本を机の中に入れっぱなしにしてしまった。》

ユリは車のキーを床から拾い、慌てて職場に戻った。

大学の近くまで戻った時、ほとんど研究室に電気がついていた。駐車場に着いたユリは、一目散に職場を目指して走った。数名のスーツ姿の社会人が正門のすぐ横にある14号館に入って行った。おそらく社会人大学院生のための経営学の授業が夜の7時から始まるのだろう。ユリは14号館、2号館、銀杏並木を通り過ぎ、職場ビルに到着した。机の引き出しを開けると、バイオディグレイトを包んだ風呂敷包み、読みかけの江戸川乱歩の文庫本、お気に入りのペンケースが今朝入れたままの状態で置いてあった。とりあえずバイオディグレイトを手にしたホユリはホッとして、自分の仕事机に座った。疲れてぼんやりと下を向くと、左足首からふくらはぎあたりまでストッキングが伝線していた。
《ああ、学院の駐車場の入り口でバラの枝を踏み倒したからなぁ。》

《どうしてこんなことになってしまったのだろう。》

・◇・◇・◇・

忘れ物を持って駐車場に戻るリエは2号館のまで来た。今日は201号室の床をすべて張り替える作業が行われていたが、やっと終了したようだった。清掃業者が作業に使った機材を搬出するために2号館にトラックを横付けしていたため、しばらくの間、2号館を通ることができなかった。ユリも通れるようになるのを待つしかなかった。

2号館の前のベンチに座ると、あの時見たことを頭の中で反芻された。

あの時黒いスーツを着た奴らに囲まれていた緑のスカーフとスカートの女子高生はどうしたのだろうか?
無事なのだろうか?
月曜日のパトロールで見つかったのはジョン・コーク教授の死体だけなのだから、彼女は無事だろう。
そもそも、彼女はあんなところで何をしていたのだろう?

いろいろ考えていくうちに、疲れと眠気でユリの意識が遠くなっていく。・・・
《なんだか眠い。》
・・・・・・・・・
ゆるゆると目が覚めたユリ。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
カバンを抱えている自分の手が目に入った。
・・・・・・・・・
「え?」
ユリの手を誰かが握っていた。ユリは手たどってみると、緑色のスカーフとセーラー服の女の子がとなりにいた。
「ええー!」
ユリは驚いて手を振り解き、反射的に正門目指して走り出していた。
《逃げなきゃ!》ユリは逃げる場所を探した。
《正門の方向には、また業者のトラックが止まっているので進めない。じぁあ、職場ビルの方向に戻ろう!》振り返ると、黒いスーツの男たちが走ってくるのが見えた。ユリの逃げる道は、2号館の中しかなかった。202号室の前を通り、後ろのドアから201号室に入る。ユリが201号室に入ると、すぐ後ろにセーラー服の女子高生が迫ってきていた。

ユリは女子高生の方を向いて、少しずつ後退りを始めた。
《来ないで!》
女子高生は笑いながら、ユリとの距離を縮めてくる。
《来ないで!》
ユリは201号室の前のドアまで走りろうとした。
床の張り替えのために教卓の前の台の上に置いてあった機械を避けようとして避けた時、ユリの左側にあったベニア板につまづいて転んだ。靴も脱げて、足を擦りむいた。それでもユリは立ち上がって、業者が搬出作業をしている出口から逃げよとした。
ユリが背を向けている作業員の横を通ったとき、彼は驚いて急に振り向いたため、手に持っていた薬品を撒き散らしてしまった。それが、ユリの全身にかかった。

すると、ユリのスカートが溶け始めた。彼女のスカートはアセテートサテンのスリットが大きい細身の白のロングスカートだった。

作業員を追い越して銀杏並木に出たユリだったが、出た先は、また、2号館の前だった。2号館の前には黒いスーツの男たちが手ぐすねをひいて待ち構えいた。

ユリは今度は202号室に立て籠ることにした。202号室は201号室の準備室で比較的狭い部屋だけれども、机、椅子、教卓、黒板などはちゃんと揃っている上に、研究者たちが自分の研究室のように使用するため、1日2日生活するためのものは揃っている。その上、内側から鍵がかかる。

ユリは202号室に駆け込み、ドアを閉めようすると、セーラー服の女子高生はドアの隙間に自分のローファーを挟んできた。そして、グイとドアを開けてきた。

《えー。なんてパワーなの。》
ユリは怯んで後退りをし、教卓の後ろに逃げ込んだ。

「お姉さん、スカートがボロボロだよ。ちょっとなんとかしてよ。」余裕で笑う女子高生。
「うるさいわね。これ、結構高かったんだからね。・・・ちょっと脱ぐから、こっち見ないでよね。」
ユリはスカートを脱ぎ捨てて、スパッツ姿になり、教卓の横にあった白衣を羽織った。
「案外似合うじゃん。」そう言いながら、緑のスカーフの女子高生は教卓の前までやってきた。

すると、ユリはカバンからバイオディグレイトを取り出し、女子高生に銃口を向けた。
「これ以上、近寄らないで。近寄ると撃つわよ。」

「撃ってみせてよ。」女子高生は笑っていた。
「撃てるなら、撃ってみてよ。」女子高生は教卓に頬杖をついた。

「本当に撃つよ。」銃を構えるユリの手は震えていた。
「オーケー。弾丸を入れて、照準を私のここに合わせ、さあ、引き金を引いて。」女子高生は、自分の額を指差してから頬杖をついたままおでこをグイと突き出してきた。

・◇・◇・◇・

都鳥ユリは母親に厳しく躾られた。
《意地悪はしていけない。他人の悪口は一切言ってはいけない。威張ってはいけない。他人の迷惑にならなように、邪魔にならないように行動する。》
そう教えられて育った「良い子」だった。

だから、女子高生が怪しげな大人に囲まれていれば通報するし、知り合いが殺されても真相が分からないまま噂をするようなことはしない。

ユリは、意地悪・悪口・威張ることがダメなことは、子どもの頃から理解できたし、今もその教えを守っている。

ただ、「他人の迷惑にならなように、邪魔にならないように行動する」については、少し疑問に思っている。

各々には各々の立場の正義があって、それらが相反することがよくある。他人の立場に立って考えてばかりいるど、自分の正義を貫けない。売られてケンカは買わないと、無抵抗に殴り続けられることがある。会社で何か事故などがあった時、他人のミスを指摘しないと自分がミスしたことにされてしまう。実際、ユリは、他人を悪く言わないこと利用され、自分には関係のないミスを自分のせいにされ、左遷されて、このお客さまサービス課にやってきた。

現在ユリが置かれている状況では、なぜかユリはあの日目撃した女子高生と黒いスーツの男たちに追いかけられ自分の平穏な生活を掻き乱されている。彼らはきっと私が彼らにとって都合が悪いものを目撃したと勘違いしているのだろう。

そして、今、ユリは助けようとした女子高校生に捕まりそうになり、「自分を撃て」と脅されている。女子高生はなぜそのようなことをするのか。

ただ、ジョン・コーク教授殺害事件に何らかの関わりを持っている事は確かだ。女子高生はコーク教授を殺した犯人なのか。もしコーク教授を殺したのなら、その理由は何なのか。

ユリはいろいろ考えてみたが、女子高生に向かって銃を撃つことは、自分の正義もしくは正当防衛にはならないような気がする。人に銃口を向けることだけでも、人の道に反しているような気がしてならない。

・◇・◇・◇・

「早く撃て。」女子高生はユリを煽ってくる。
「早く撃て。その銃で、早く撃て。」
彼女を撃つための正義が見つからないユリは、銃口を下ろそうとしていた。

「早く撃て。そのバイオディグレイトで、撃て。」
女子高生はそう叫んだ。

「バイオディグレイト。この銃のことを知ってるの?」
ユリは驚いて聞き返した。
「知ってるよ。だから、撃て。」女子高生はユリをひたすら煽る。
「早く撃て。撃たないなら、こちらから攻撃するよ。」

ユリの頭はぐちゃぐちゃになってきた。
その時、祖父の言葉が頭の中にヒュッと蘇った。

《ユリが本当に困った時、この銃を相手に向けなさい。この銃は正義の銃だから、弾は悪い人にしか当たらない。銃口を向けて引き金を引いても、相手が悪い人でなければ、弾は発射されないよ。》

「おじいちゃん、私を助けて!」
ユリはそう叫けぶと同時に、目をつぶって引き金を引いた。

・◇・◇・◇・
「プフッ」
生死の選択をさせられたユリの目の前で、頬杖をついている女子高生は突然吹き出した。それは、なんとも邪悪ない笑いだった。その悪魔的な笑いのせいか、ユリにはその女子高生の背中に小さいけど、漆黒の「悪魔の羽根」が見えた。

「ほらねー。撃てなかった。」頬杖をやめて姿勢を正した女子高生は真顔でユリに近づいていった。
「なんで撃てないってわかったの?」
「その銃がバイオディグレイトだからだよ。」

「バイオディグレイトはターゲットが生物の場合、ターゲットの脳波を、銃に内蔵されたMRIが読むんだ。脳波が悪事を働く人に特徴的なカーブを描いた時だけ弾が発射するようになっているんだ。」

女子高生は驚いているユリに顔を近づけてきた。
「僕は悪事を働く人間じゃないからね。」
「僕?」

「僕の顔をよく見て。」
そう言われてユリは彼女の顔をじっと見つめた。
左の口元にあるホクロが「つけホクロ」だとわかった。
さらによく見ると、彼女はムマロだとわかった。

今、ユリの目の前にいるのは、本物の女子高生ではなく、職場の同僚・電話交換手のムマロが、緑のスカーフと緑のスカートを履いて女子高生のふりをしていたのだった。

「僕は、ジョン・コーク教授を殺してないし、現場に行ってない。全く無関係だ。だから、脳波が乱れていないし、ユリさんに銃口向けられても脳波が乱れることもなかったよ。」

・◇・◇・◇・

ホッとしたら、怒りがこみ上げてきたユリ。

「何やってるんですか、ムマロさん。」
「都鳥ユリさんに、これから新しく立ち上げる総合危機管理チームに入ってほしいんだ。」

「総合危機管理チームて何ですか?」
「最近学内で多発している不可解な事件を秘密裡に解決するチームだよ。」
「ジョン・コーク教授殺害事件とか?」
「そうそう。その事件も新チームが解決すべき事件のひとつだよ。」

「でも、何で私ですか?ムマロさんは同じ課だからよく知ってると思うけど、私、仕事ができるわけじゃないですよ。」
「ユリさんは全力出さないからね。」
確かにユリは他人と競争的に張り合うことが嫌いだ。

「僕がユリさんに総合危機管理チームに入ってほしい理由は、あなたがバイオディグレイトを持っているからです。人間は見た目では何でも判断する。でしょ?だって、セーラー服を着てるだけで、僕のこと女子高生だと思ったわけでしょう?でも、真実は、善悪は、見た目だけでは判断できない。だから、MRIで脳波を読んで、ターゲットの思考を読んで善悪を判断するバイオディグレイトが必要なんだ。そして、バイオディグレイトを扱える人は、都鳥ユリさん、あなただけなんだ。」

「え?」ユリには心当たりが何もなかった。

「私、ごくごく平凡な人間ですよ。」
「なるほど。じゃあさー、今、自分のお尻触ってみて。」
ムマロに言われるがままに自分のお尻を触ってみた。
左右両方のお尻のほっぺが、ポコッと盛り上がっていま。何かシッポのようなものが生えてきそうだった。

お尻を確認したユリは、ムマロをじっと眺めた。
「これは何?これは何? 」
「それは、僕の持つ羽根と同じものだよ。」
「え?」
「まあ、だから、ユリさんはバイオディグレイトに選ばれた存在だということですよ。バイオディグレイトは、持つ人の脳波をも測定するからね。」
ムマロは話を続けた。

「まあ、だから、ユリさんは総合危機管理チームに入って、バイオディグレイトと一緒に、正義を振るってほしい。」

・◇・◇・◇・

お客さまサービス課の課長、松下、ムマロ、ユリが31会議室に集まったのは、金曜日の8時30分。

「それでは今から、総合危機管理チームのキックオフミーティングを始めます。」会議は課長の言葉から始まった。

まずは、任命書を手渡します。
「 松下和敬(まつした わぎょう)様
  あなたを 総合危機管理チームのチームリーダー
に任命します。」

「松下くんには以前に渡したけど。これが本物だから。」課長がお茶目に笑った。

「 坂中田村ムマロ(さかなかのたむら むまろ)様
  あなたを 総合危機管理チームの戦略参謀
に任命します。」

「 都鳥 ユリ(みやこどり ゆり)様
  あなたを 総合危機管理チームの実行部隊指揮官
に任命します。」

『なんだー。みんな、それらしい役職に就いているんだね。「チームリーダー」って書いてあるから僕が一番偉いのかと思ったよ。」と松下はいつものぐーたらした調子で言った。

『あと、都鳥さんの「実行部隊指揮官」て、何?』
松下はムマロの方を向いて言った。
「実行部隊指揮官」は「実行部隊」で一番偉くて、エースってこと。隠密のスナイパーだよ。」
「え?都鳥さんがスナイパー?」
松下はユリを見た。確かに3日前くらいからユリの雰囲気が変わっていた。
「早く、松下に実力見せてやりなよ。」ムマロはユリに向かっていった。

『それでは、新チームが最初に取り組む事件だか、やはり「ジョン・コーク殺人事件」。

まずは、謎のセーラー服の人物と黒スーツの人たちが何者なのか、を調べること。ちょっと前まで都鳥さんにつきまとっていたセーラー服はムマロくんが変装していた「なんちゃって女子高生」だからね。

次に、ジョン・コーク教授について。教授のことで調べられることは何でも調べていこう。

その次は、課長補佐のこと。
金曜日に2号館に立ち寄って様子を確認すると言って職場を離れてから、15日出勤していない。最初に休んだ日に、家族が倒れたので有給を使って1週間休む、と連絡があり、1週間後また電話があり、もう1週間有給休暇で休むとの連絡があった。だから、人事規則によれば「特に問題はない。」

ただ、連休が始まったのが、コーク教授が殺害された直ぐ後だというのが気になる。その上、補佐は「202号室の教卓付近だけを照らすライト」とその電源スイッチのありかを知っていた。松下くんも久野くんもライトの存在も知らないし、電源スイッチは見つけることもできない場所にあるにも関わらず、電話で補佐に聞いたところ、直ぐに答えてくれた。これは補佐が以前から2号館201号室を使っていた、もしくは、使ったことがある証拠になる。

予定では、来週の月曜日から補佐は出勤予定なので、上手に情報を聞き出そう。

最後に、「夏越の祓」の直前の金曜日にかかってきた2件の電話。
「1件目はジョン・コーク教授から。2件目は・・・」とムマロが言うと、
「2件目は、私です。名乗らなくてすみませんでした。」と、都鳥ユリが手を挙げて言った。
「だよね。僕、ユリさんだって、すぐにわかったよ。」2件目の電話も受けたムマロは言った。

「そしたら、都鳥さんが金曜日に見たことを聞いて情報をまとめるとこから、新チームの活動を始めましょう。」と課長が言うと、3人はそれぞれ自分のやるべきことをやり始めた。


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