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僕は大阪なおみ選手のことをとても尊敬している。女子テニス界での、輝かしい成績は言わずもがな、彼女の仕草やファッション、言葉にはすべてメッセージがあり、彼女はアスリートであると同時に表現者であると僕は思っている。

大阪選手は先日、全仏オープンの記者会見をパスしたことに対して罰金を課せられた。そして、そのことについての声明の中で、自身がうつ病であることをカミングアウトした。

このことは、ツイッター上でかなり取り上げられていて、このニュースの関連ツイートでは、彼女を応援するコメントや逆に非難するコメントが溢れていた。

彼女が強いテニスプレーヤーであることは、彼女が精神的な弱さを吐露したこのニュースに対する、あらゆる反響を助長した。

「たくさん稼いでいるんだから、記者会見をパスするのは許せない」

「強い選手だからこそ、強いプレッシャーを受けているのだ。がんばれ!」

などなど、ニュースを見た(読んだ)人たちのコメントは多様である。

けれども、このニュースの核心はそこじゃない。このニュースは彼女が表現者である、ということだと僕は思う。

多様なメンタルの在り方を認めてもらうための表現

大阪選手は、前から自身のメンタルの弱さについて自覚しており、記者会見は彼女にとって、精神的に大きな負担になっていた。

今回、全仏オープンでの記者会見をパスしたことの経緯には、彼女が彼女自身を守るためだけではなく、メンタルヘルスについての多様性を認めてほしいという願いもあったのだと、僕は考えている。

うつ病は社会的弱者であるような風潮

「あの子にはつよく言っちゃだめだよ。メンタルが弱いから」

「また、メンタルを壊して、一週間休みだって」

「あの人、うつ病でもう会社に来られないんだって」

「言い過ぎちゃったせいで、会社に来れないって、やめちゃったんだよ」

社会的に、うつ病の人は、弱い立場にある。会社に迷惑かけたくないから辞表を出す、前の職場でうつになったことを隠す、うつ病であることを誰にも言いたくないから家から出ない、そのような話を何度か聞いたことがある。

ともあれ、僕が強く思っていることを先に言っておく。

うつ病は病気であり、うつ病の人がうつ病を原因に、社会的に色々なものを奪われることは、本当におかしいと僕は思っている。

例えば、免疫力の弱い人が、ウイルスや細菌がたくさんいる場所にマスクをつけずに、アルコール消毒をしていない人から色んなものを手渡されながら、長いこと仕事をしなければならない状況だったとして、この人が風邪を引かないだろうか。

そんな時、どうすればいいのか。

状況や環境を変えるしかない。

職場のみんながマスクをつけ、アルコールでの手指の消毒を徹底し、勤務時間を柔軟に帰れるような職場環境にすれば、その人が風邪を引くリスクは下がるし、それは、そこで働く全員にとって、職場環境の改善につながる。

だから、その職場はそれをやる。

多様性を受け入れるのは、常に社会であり、会社や組織であるはず

では、うつ病の場合はどうだろうか。今の社会ではうつ病の人が自分自身の状況や環境を変えるしか、選択肢がない。つまり、職場や組織は、うつ病に対して状況や環境を変えない現状がある。

しかし、職場や組織が状況や環境を変える選択肢がないわけではない。本来、その選択肢はあるはずだ。

だから、大阪選手はそれを訴えた。罰金を払ってでも、そのことを主張したのだ。彼女は、彼女自身を守るためだけではなく、会社や組織、そして社会全体で、メンタルヘルスについての多様性を認めてほしいと、主張したのである。

それが、このニュースの核心であり、大阪選手を評価すべき功績であると僕は思っている。

そして、実際、会社や組織が、環境を変えないのは、様々な利害関係があることも要因となっている。また、大阪選手のスポンサーであるNIKEは大阪選手の主張を支持するコメントをした。

もうすでに、どの組織がどのポジションを取るのか、取らないのか、という話になってきている。

とはいえ、評価されるべきは、大阪選手が、アスリートであり、表現者であることだと僕は思う。僕は大阪なおみ選手を心から尊敬し、支持し、応援している。

以上です。いつも読んでいただいてありがとうございます。また読んでください。

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