樋口塾生たちの音声コンテンツの先にある理想の世界(あえてSDGsと絡めて)
SDGs=持続可能な開発目標のことだという認知は広がってきて、それが地球に良いことだという認識も広がっている。
例えば、リサイクル資源を使って製造された服のタグにSDGsのマークがついていたりする。そのSDGsのタグを見た人は「ああ、地球にとって良いことしてるんだな」と認識し、その人はその服を買ったりする。
しかし、先日のコテンラジオで㈱BOOK代表の樋口さんが話していた持続可能性についてのお話は、SDGsの先(未来)にある世界の話だと感じた。そして、その方が正しいと、僕は思った。
では、本当に持続可能な社会とは何なのか?
ちょっと前に観た中田敦彦大学の動画が印象に残っている。『新人世の「資本論」』という斎藤幸平さんが書いた本を紹介した動画だ。
簡単に言うと「資本主義が終わらない限り、本当に持続可能な社会はやってこない」という内容で、本当に地球を持続可能にするならば、人類は資本主義を脱却しなくてはならない、ということが語られている。
つまり、SDGsというシステムを資本主義に取り入れたところで、市場価値が変化するだけで、豊かな人がより豊かになっていく仕組みは変わらないし、貧しい人が他の貧しい人に入れ替わるだけなのだと。
例えば、安全な水とトイレを世界中に行き渡らせるための設備は大量生産される必要があるし、その設備の生産コストを下げるためには、安い原料が大量に必要で、それを安く仕入れるためには、より安く働く人たちが必要である。
製造する会社は利益を追求する。それによって、違う資源が枯渇し、安い賃金で働く人が増える。資源も安い人力も、利益を追求するためには必要である。だから、資本主義を変えなければ、根本的に持続可能な社会は訪れることはない。
コテンラジオで樋口さんが語った持続可能な社会とは?
樋口さんの話を聞いて、僕が思ったのはこんなことだ。
バックトゥザヒューチャーに出てくる車(デロリアン)は、少しのゴミでめっちゃ走るし、時空を越えることができる。つまり、デロリアンは超低燃費でハイパワーを出せる車である。(出典:jugem.jp)
同じように人が超低燃費でハイパワーを出せるシステムをインストールすれば、低燃費でハイパワーを出せる個人が出来上がる。
その個人が1000人集まれば、少しの燃料で元気に持続可能な生活を送る村ができるし、1億人集まれば、少しの燃料で元気に持続可能な生活を送る国ができる。
ここで言うところの燃料とは、本当の人に置き換えると、栄養である。
人が生きていくために必要な栄養を2つに分けると、一つは食料などの「身体的栄養」、もう一つは刺激や自己実現欲求などの「精神的栄養」である。
一方で、人にはブレーキがあって、それが、人のパフォーマンスを落としてしまう。
そのブレーキとなるものを2つに分けると、一つは不健康などの「身体的ブレーキ」、もう一つはストレスなどの「精神的ブレーキ」である。
最も効率的なバランス=最適化
この2つの栄養と2つのブレーキ、計4つのバランスで、人の燃費は大きく変わってくる。精神的ブレーキを無くし、精神的栄養をたくさん摂取すれば、身体的栄養はほとんど必要ないかもしれない。
つまり、その4つの要素のバランスが最適化されたシステムをインストールすれば、おそらく、その人は低燃費でハイパワーを出して、最も効率よくパフォーマンスを発揮できるはずである。
そして、その人が、どんな環境においても、低燃費でハイパワーを出せるシステムによって幸せに生きていけるのであれば、物理的な流動性が高まる。つまり、どこでも幸せに生きることができ、自由になることができる。
例えば、好きなことをしてお金をもらって生きていきたいが、もらえるお金が少なくて生きていけない、という問題があったとする。
しかし、その人が低燃費でハイパワーが出せるシステムをインストールしていれば、もらえるお金は少ないけど、好きなことを仕事にできる。
好きなことなので、ストレスという精神的ブレーキはなく、精神的栄養は満たされている。
だから、もらえるお金が少しでも、そのお金で身体的栄養を必要な分だけ摂取できれば幸せに生きていける。
ちょっと極端に考え過ぎかもしれないけれど、そんな感じで、みんなの自由が歯車のようにかみ合って回っていく社会。
樋口さんはおそらくそんな社会を目指しているのではないかと推測している。これは仮説に過ぎないけど、もし、こんな感じなら、素晴らしい理想郷だと僕も思う。
以上です。いつも読んでいただいてありがとうございます。また、読んでください。