想像力によって引き起こされた分断について
「こいつとはやってられんわ」ってなったことありませんか?僕はあります。でも、決して口には出さず「こいつとはやってられんわ」って思って接するようにするだけですので、誰にも害はないものだと思っています。
僕の場合、そういったことの多くは、その人の想像力の欠如によって引き起こされます。「何でそんなことも想像できないの?」と思って「やってられんわ」っていう風になってしまいます。
つまり、僕は相手の想像力の有無によって、分断を感じてしまいがちです。
でもよ、想像力ってなに?
想像力とは、心的な像、感覚や概念を、それらが視力、聴力または他の感覚を通して認められないときに作り出す能力である。
想像力はイメージする力すなわち経験に意味を、知識に理解を提供する助けとなり、人間が物事や現象を理解するための基本的な能力の一つである。また、学習の過程においても補完的な役割を果たす。(Wikipedia)
要は、実際に見えない、聴こえない、触れられないものを想像して、感じる力ですね。さらには、文章や言葉などの五感以外によって、実際に感じたことがない感覚を感じ、自分自身が持っていない概念を自身の中に作り出す力でもあるようです。
職場での失敗と想像力
ところで、プレゼン資料を作る時、どんなことを意識しますか?How to 本を読んだり、WEB記事を読んだりして、勉強しているのですが、それらの多くは、相手の想像力について触れていません。
想像力の欠如は、物事の理解の深度にも深く関わっています。そして、物事の理解を深く深く掘っていくと、僕は経験的にその物事に内包された「想い」や「心」にたどり着くなあと感じます。
相手に何かを伝える時、最も大事なのは「想い」や「心」を共有することだと僕は思っています。だから、上手いプレゼンは相手の心を掴むことができるのだと思います。
でも、相手の心を掴むための道筋は、相手の想像力の有無によって、めちゃくちゃ違ってきます。それで、僕は職場で失敗してしまいました。相手の心を掴む道筋を誤っていたのです。
相手の想像力を想像することって、めっちゃ大変
普段一緒にいる人が、例えば、家族が、想像力がなく、「想い」や「心」を共有出来なかったらと想像すると、めっちゃ辛いです。でも、僕の家族は、両親や兄弟の家族を含めて、そうではないので、とてもありがたいです。
しかし、一歩外に出ると、出会う人達の想像力は、全く分からないので、ほとんどの人達と「想い」や「心」を共有することは出来ません。だから、諦め、分断してしまいがちです。
例えば、ゴミを捨てる時、ゴミ袋をしっかりと結んでいないと、軽いプラスチックゴミ(ジュースのラベルなど)が飛ばされて、それが側溝に落ち、それが最終的に海に流れ、マイクロプラスチックとなって、海を汚し、魚に蓄積されていきます。
ゴミ捨て場にゴミ袋をしっかりと結ばないまま、ゴミ出しをしている人に、そのことを説明して、理解してもらい、「海を大事にしよう」という「想い」を共有しようとしても、これ、むずいですよね。
「あなたのゴミ袋から飛ばされたプラスチックゴミが魚の体に溜まっていくんですよ」と言ったところで、近所にヤバイやつ住んでるってなってしまいがちです。
うーん、この分断の中で、僕らは地球を大事に生きていかなくてはならないなーと思っているんですが、めっちゃむずいのですねー。がんばろ。
ここまで読んで頂いてありがとうございます。また読んでください。