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新型オトナウイルスで出てきたパンピーさんについての考察(パート3)

前々回からの続きです。今回もいきなり本編に入って行きたいと思ってまして、ここから読んで頂ける方には「何言ってんだお前」ってなると思うので、よければ、前回、前々回を覗いていただき、新型オトナウイルスを聴いていただけら幸いです。

ところで、みなさん、Netflix観ていますか?僕は先日から『100』という人気ドラマを観始めたのですが、設定の雑さが気になり、観るのを止めました。時間の無駄だと思ったからです。

Netflixには『100』の他にもおもしろいコンテンツがたくさんあることを僕は知っていたし、「何故、地球に降り立った100人と宇宙ステーションの人たちが通信できないのか?(どう考えてもその技術を持っていないとは考えられない)」を気にすることに貴重な時間を奪われたくありませんでした。無駄な時間にしたくなかったのです。

人の持っている時間には限りがあるので、どんな時間でも無駄にしたくないと僕は思っています。でも、時間が無駄になったか、無駄にならなかったか、については、人の数だけ基準があり、基本的にその人の主観でしか判断できません。

有意義な時間・生産する時間・生産に結びつく時間

「ためになる映画でした」って感想を僕はよく目にします。「ためになる」ってなんのためになるのでしょうか。多くの場合それは、「自分の人生のためになる」って意味で、

「この映画には、自分が今後の人生を送っていくにあたり、人生を良いものにしてくれるための見識が含まれていた」っていうことだと思います。その人にとって、その映画を観た時間は有意義な時間となったことでしょう。

さらに、サービスの開発やコンテンツの制作やその他諸々の仕事を行うことを生産活動だとすると、これに関わる時間は、生産する時間と言えます。

そして、間接的に生産活動に関わってくる時間もあります。例えば、視察だったり、勉強会だったり、生産に結びつく時間です。ブロガーだったら、飲食店でご飯を食べて取材することもそうだし、小説家だったら日々の生活の時間もそう呼べるかもしれません。

でも、それ以外の時間はなんなの?

有意義な時間・生産する時間・生産に結びつく時間以外の時間ってなんなんですかね?自由時間?自由ってなに?有意義な時間・生産する時間・生産に結びつく時間は自由じゃないの?

その人が過ごした時間を、その人がどう認識するかは、その人にしか決められないと思います。それは、過ごした時間を無駄な時間と認識するかどうかと同じで、主観でしか決定できないものです。

なので、パンピーさんが過ごしている時間が一体どんな時間なのかは、パンピーさんにしか知り得ません。

けれども、仮にパンピーさんが「生産性とか成果とか考えて生活していない」のであれば、パンピーさんは有意義な時間・生産する時間・生産に結びつく時間以外の時間を過ごしていることになります。

「無駄な時間なんてない」(僕にとっては)

そう思いますが、「無駄な時間なんてない」なんて考えなければ、ただただ楽しいことをしたり、楽して過ごしたりすることは、ただただ時間を消費していると言えるでしょう。

しかし、そうやって消費した時間について、後で「あの時間は僕(私)の人生の中で重要な時間だった」と感じる時が来るかもしれません。

要は、その時点で消費した時間は、消費した時間でしかない、ということです。パンピーさんが過ごした時間に、パンピーさんが意義や成果などを求めなければ、

それが例えどんな時間でもパンピーさんが過ごしたその時間は、ただ消費した時間となります。

それが良いとか悪いとかいう話ではありません。それに前にも言いましたが、パンピーさんが何かを決意し、一念発起、凄い事業家になれば、その消費した時間には、後で意義が出てくるかもしれません。

今回のパンピーさんの話で、自分が考えている人生の捉え方について、改めて考えるきっかけになりました。長くなったので、次回、僕が大学時代に勉強した不条理文学と、僕が好きな文学作品や漫画のことを踏まえて、パンピーさんについて考えて、このシリーズは終わりにしようと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました

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