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新型オトナウイルスで出てきたパンピーさんについての考察(パート2)

前回の続きです。いきなり、本編に入って行きたいと思ってまして、ここから読んで頂けるようになった方には「何言ってんだお前」ってなると思うので、よければ、前回を覗いていただき、新型オトナウイルスを聴いていただけら幸いです。

パンピーさん「俺は需要で満足なんです」

ここでパンピーさんが言おうとしているのは、おそらく「自分は供給側に立たなくても満足できる人間なんですよ」ってことでしょう。ならば、そうじゃない人間、つまり、「供給側に立たないと満足出来ない人間」ってどういう人なんでしょうか。

例えば、ミュージシャンやアーティスト、タレントやお笑い芸人など、エンターテイメントという需要に供給する人たちって、それにあたるのではないかなーと僕は考えます。

さらには、所謂、ビジネスにおける新たなサービスや新たなコンテンツを生み出すビジネスパーソンだったり、それらに関わるクリエイターやデザイナー、そしてエンジニアだったりがそれにあたるのだと思います。

そう考えると、仕事のほとんどが、供給側になりそうですが、そうではありません。例えば、住民票の届出の事務処理だったり、パスポートの申請の事務処理だったり、税金を課す算定事務だったり、クレームの対応だったりは、供給側には立っていないのかなーと思います。

ここで僕が言いたいのは、何かを供給することだけが価値がある、ということではないということです。

あと、供給側に立ちたくないと思う人も少なからず居ると思うし、地方公務員や事務員を目指す人ってそういう人が多いのではないかと感じます。

ことごとく出てくるマズロー

「満足」を欲求が満たされた状態を差すのだとすれば、供給側に立つ人って、精神的欲求の中の承認欲求、つまり、他者からの承認を得ないと欲求を満たせない状態にある人が多そうなイメージです。

しかし、供給側に立っているにも関わらず、他者からの承認を求めていない人も居ると思います。

例えば、デザイナーは、強制的に供給側に立たされる職業だと思うのですが、デザイナーの人がすべて承認を求めて仕事をしているわけではないはずです。

Adobeのイラストレーターが使えるし、デザインが出来るから、デザインを仕事にしている人だって居ると思います。そのデザイナーは自分のデザインに他者の承認を求めていないかもしれないと思うのです。

しかし、そのデザイナーの方が承認や自己実現の欲求を持っていないとも限りません。

この世の中には、仕事以外のことで承認や自己実現の欲求を満たしている人がたくさんいると思います。事務職を生業にしている僕もその一人です。

例えば、ブログを書いたり、副業したり、仕事の傍でバンドをしたり。

とはいえ、承認や自己実現の欲求を満たすことは、いずれにせよ難しいことです。

さらに、仕事でサービスやコンテンツを供給することで、それを満たすことって、かなり勇気が必要ですし、大変なことです。一方で、それを実現できたら幸せだろうなと思います。

DON'T THINK!FEEL!

僕はマズローに言いたいです。何でもカテゴライズするんじゃない!と。欲求を満たした状態だけが、幸せな状態だとは限らないと僕は思います。

多くの場合、相対的な側面で幸せは語られます。あの人に比べて自分は幸せだ、とか。自分は今こういう状態だから幸せだ、とか。そして、多くの人は相対的な幸せを望んでいるように僕は感じます。

しかし、幸せって絶対的なものであると僕は思ってます。そして、幸せは感じるものであると、僕は思います。僕にとって幸せは感情的なものです。だから、マズローの外にも幸せはあるのだと、僕は考えます。

結論:供給人間であることと、幸せな人間である、ということは必ずしも結びつかない。むしろ、供給側に立たないことで、大変なことを避けることができる。

なので、パンピーさんは意図して供給側に立っていないのかもしれません。もしかしたら、供給側の大変さに疲れ、供給側に立つことを止めたのかもしれません。

いずれにせよ、供給側に立つか、立たないかは、本人が幸せを感じながら生きていくために選択したことです。その結果、本人が幸せであるなら、それは正しい選択であったのだと思います。

次回は、人生を消費することについて書きたいと思います。

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