見出し画像

1751M 上越国境、最終電車。

 うたた寝から目を覚ました私は、案内放送の声で今自分が水上駅にいること、時刻が20時39分であることを確認し、寝過ごさなかったことを安堵した。

 1週間前長岡に越してきた私は、この日余らせた青春18きっぷを活用し、群馬県のローカル線巡りをしていた。現地で合流した友人と新前橋で別れ、水上行きの普通電車に乗り、すっかり疲れてうたた寝というにはやや深い眠りに着いていたのである。

 水上は群馬県最北の町である。午前中、群馬へ向かうために国境を越えてきたときは旅人たちや地元の人々でそれなりの賑わいを見せていたが、この時間にはもう、少数の旅人が列車が乗り継ぐために駅の明かりが灯っているようなものに見える。

 さて、この水上から県境を超えて長岡方面へ向かえる列車は1日に6本しかない。そして、次の20時50分発、長岡行きの列車がその最終電車である。水上行きの電車を降りたときには気づいていなかったのだが、跨線橋を渡った反対側のホームにはすでに短い編成が待っていた。私が寝床につくためには、この電車に乗るほかはない。駅の放送もこの電車が最終電車であることをしきりに案内している。どういうわけか、この"国境越えの最終電車"というフレーズに、私の心は動かされるものがあった。いかにも「旅人」らしいフレーズではないだろうか。そんな少し昂った気分で、長岡行きの電車に乗り込む。

 このE129系という電車は新しい車両で、内装も明るい雰囲気でまとめられている。特徴的なのはロングシートとボックスシートが混ざった座席配置だろうか。別にロングシートが嫌というわけではなかったのだが、今は「旅人」の気分だったので、ボックスシートが空いていないか探したところ、幸い1区画が空いていたので、進行方向に向けて窓側に着席した。車窓を眺めるにはうってつけの位置だが、それはあくまで明かりのある時に楽しむものであり、残念ながら夜間の山越え路線で期待できるものではない。それでも、進行方向側を向いて座り窓側にもたれかかるというのは、私の中で旅人としての流儀であった。

 20時50分、私を載せた最終電車は動き出す。列車の軽快な走行音とともに、車掌による放送の声が響く。私が耳を傾けたのは、主要駅の到着時刻の案内である。越後湯沢に21時24分、六日町に22時06分、小出に22時29分、終点長岡には23時05分に到着するとのことだった。こんな情報は、現代においては手元の携帯端末で調べればすぐ手に入るものであり、私にとっても重要性があるものではない。しかし、私はこの放送が好きなのである。ここに名前が挙がる主要駅であれば、慣れ親しんだ地ではなくても、どのような場所かなんとなく知っていることが多い。挙げられる駅名と時刻から、今から私と列車が向かう地に思いを馳せるこの感覚に、何か特別なものを覚えるのである。

 水上、湯檜曽、土合、土樽……。この駅名の羅列すら、上越国境を感じさせるものである。いやむしろ、この暗闇の中ではこれ以上に上越国境を感じさせるものはないかもしれない。路線図や動画といった媒体で知る上越国境とはそういうものであった。それらの媒体は、この場所になにか神秘的なものがあるのだと、そう私に伝えていた。ただ私が勝手にそう受け取っていただけなのだと理解はできるが、少なくとも私はそう信じていた。そして、今私はこの場所にいる。それはすごく何か特別なことのように感じた。長岡に越してきた以上、この路線には何度もお世話になることだろう。それで良い、この路線のことを記憶に刻み付ければいいという、ポジティヴと言っていいのかわからない考えが頭に浮かんだ。

 湯檜曽はトンネルを入ったところにある駅である。山岳トンネルの中にプラットホームがあるという光景はとても異質に映る。地下鉄の駅とは違うのだ。暗いトンネルの中に、出口を示す案内表示が光っている。土合はそのトンネルの中にある駅で、携帯電話の電波など通じない。どのみち山間部の夜とトンネルでは暗さは変わらないのだが、この長いトンネルを抜けるのに10分以上の時間を要する。川端康成の著した「国境の長いトンネル」は現在は上り線専用になっている清水トンネルなのだが、今日関東方面からこの国境を超える旅人が通るのはこの下り線の新清水トンネルであり、長いのもこちらのトンネルである。今は雪の季節ではないが、やはりこのトンネルはいわば聖地のようなものなのだ。私を載せた列車が今進んでいるのはただの「県境」ではなく「国境」であり、紛れもなく伝統ある路である。そのことに感慨深さというか、奥ゆかしさというか、私の貧弱な語彙ではとても表現できない重い感情に浸るのだ。「エモい」という言葉は安っぽいような気がして私は好きではないのだが、こういう時にとても便利なのだなと感じる。

 トンネルを抜けて数駅、越後湯沢には21時24分に着くのだが、この列車はこの駅で21時45分まで停車する。停車時間が20分ともあれば、車内にいても暇なので、車外に出てホームに降り立つことにした。改札を出て駅の外を散歩するのも可能な時間はあるが、この闇夜で、辺りを見回しても人気はほとんどない。とりあえずホームをうろついてみたが、特に何か得られるものがあるわけでもない。だが私にとって、越後湯沢というのもまた一つの聖地なのである。

 そう、越後湯沢といえば、在来線最速を誇った特急「はくたか」の始発駅である。この世代の鉄道好き少年の例に漏れず、私も幼い頃からこの列車に憧れた一人であった。そして、とうとう乗車することは叶わなかった。当時の私の年齢を考えれば仕方ないことなのだが、「はくたか」に乗れなかったことは大きな悔いの一つである。そう思うと越後湯沢駅にもまた、大きな苦しい感情を抱かざるを得ないのだ。

 とにかく私は20分のうち大半の時間を、越後湯沢駅のホームに立って過ごした。ソーシャルゲームのログインでもしておけばよかったと後から思うのだが、そんな気分ではなかったらしい。発車数分前に車内に戻り、トイレで用を済ませる。新型車両のトイレというのは広く綺麗で、腹を下しても長時間いられるという安心感がある。席に戻ろうとするといつのまにか先客がいたが、幸い別のボックスシートが空いていたのでそちらに移った。まだ長岡へは1時間以上の旅路である。新潟県という県はとても大きい。なんならこの国境から長岡へはまだかなり近い方で、このほかの県境から長岡へ帰ろうものならさらに長い時間を要する。これは大阪府という小さな自治体で育った私にとって、カルチャーショックに近いもの(本来はもう少し適切な表現があるのかもしれない)を与えるのだ。国境を越えてもまだ長岡は遠いのである。

 実際のところ、私が残りの1時間を苦しんで過ごすことはなかった。長岡の1駅手前、宮内で列車を降りるまでの時間、「旅人」の気分を維持していたのだろう。そこに寂しさの感情がなかったわけではないが、それすら一人旅の醍醐味ともいえる。

 私の住処は駅から遠いので、帰り着くころには日付が変わる直前だった。これからこの最終電車に乗ることになるたびに、この時間に帰宅することになる。それは少し辛い。けれど同時に、私の旅人としての人生に1751Mという列車が深く刻まれることをも意味する。それはなにか誇らしいことのように思えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?