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日本征服最終章

戦後、目覚ましい経済成長を遂げ、世界で活躍する企業を生み出した日本ですが、今や衰退の一途を辿り、風前の灯状態にあります。この日本企業の弱体化が何故起きてしまったのでしょう。これは歴史を正しく紐解くと見えてくるものがあります。つまりこれは実は計画されていた通りに進んでいるというだけの話であり、真の意味で日本人が立ち上がらない限り抗うことは出来ないのだという事が分かってきます。

 

1549年にフランシスコ・ザビエルが日本上陸して以来、欧州の支配勢力は日本征服を企てましたが、日本はそれをことごとく阻止して来ました。しかしながら黒船の来航から日本は少しずつ侵略を許し、明治維新を迎えてついに日本が征服される準備が整ってしまいました。明治維新の後、日本侵略は思う様に進まず、日本はむしろ西洋文明を取り入れる事で欧米諸国に肩を並べるほどになります。そして物申す様になると、欧米諸国は戦争で日本潰しにかかります。結局日本は敗戦国となり焼け野原からの立て直しをすることになりますが、それでも見事に復興し、技術大国、経済大国にのし上がりました。これも彼らにしてみたら計算外です。日本は世界から羨望の眼差しで見られるほど豊かで平和で安全で健全な国となったのです。日本の侵略に成功はしたものの、完全なる征服は出来ず、打撃を受けるたびに強くなって行き、制服を許さなかったのが日本なのです。

 

しかしながらその水面下では、日本征服のための計画は着々と進んでおり、いつしか日本は完全に支配勢力の支配下に身を置き、ほぼ征服されてしまったと言っても過言ではい状況になってしまいました。しかも我々日本人はそれに気が付いてさえいません。日本征服は実に巧妙な方法で、時間をかけてゆっくりと、日本人に気づかれることなく行われたのです。日本の完全征服がなかなか出来ないため、彼らは別の方法で日本征服を計画しました。日本征服の最終章は、日本人を思考停止させて愚民にし、日本の精神文化を破壊し、日本企業が生み出した技術を奪って弱体化させ、日本が世界から羨まれる国である事を終わらせ、日本という国を終わらせる事、まさにそれが起きようとしているのです。

 

何故日本は狙われるのでしょう。それは日本が世界で最も精神文化のレベルが高く、手強くて一筋縄ではいかない国だからであり、彼らにとって一番の脅威であるからです。日本人は何処から来たのか、何故日本人が他の国の人と異なるのか。これについては幾つもの論説があり、神の国とする説まであります。その話についてはここでは述べませんが、日本が世界でも珍しい崇高な精神文化を持った国である事だけは間違いありません。最近の話でも、MLBの大谷翔平選手が記者会見を終えて退席する際に、座っていた椅子を戻すという日本人にとっては当たり前の行動を取っただけで称賛されるのが世界のスタンダードです。これだけでも日本の精神文化、教育、倫理観が他のどの国よりも優れているという事が分かりますが、歴史を正しく紐解くと日本は昔から精神レベルが高い国であり、強くもあり、そして欧米諸国がそれを疎ましく思い、潰そうと企ててきたという事が理解できます。

 

 

戦国時代から江戸時代 ~ キリスト教布教による教化作戦

 

16世紀、欧州では征服の時代に移行し、西洋人はアフリカ、アジア、南米の各国を次々と侵略し、植民地化し、奴隷にして支配してきました。日本では戦国時代、豊臣秀吉が天下統一を果たした時代です。この時、西洋人は日本にも何度となく侵略を試みましたが、日本はこれをことごとく跳ね除け、日本は決して侵略出来なかった唯一の国となりました。

 

西洋人が他の国を侵略する際の常套手段はキリスト教の布教による侵略です。布教によりその国の国民を教化し、その後じわじわと征服して行くのです。これが日本では上手く行きませんでした。1549年にイエズス会の創設メンバーの一人であるフランシスコ・ザビエルが日本で宣教活動を開始して以来、日本にもキリスト教は入って来ました。織田信長がこれに好意的であったため、豊臣秀吉も信長の意思を継ぎ当初はキリスト教を容認していましたが、度重なる宣教師やキリシタン大名による悪事の数々(人身売買、寺社の破壊、僧侶への冒涜等)を知り1587年にバテレン追放令を発布、1596年のサン・フェリペ号事件でその意図するところに気づいた為、ついに禁止令を出すに至ります。

 

(サン・フェリペ号事件での船員の発言)

「スペイン国王は宣教師を世界中に派遣し、布教とともに征服を事業としている。それはまず、その土地の民を教化し、而して後その信徒を内応せしめ、兵力をもってこれを併呑するにあり」

 

江戸時代になり、徳川家康はキリスト教を警戒しながらも貿易優先で布教活動は容認していました。「マードレ・デ・デウス号事件(1609年)」、「岡本大八事件(1610年)」などをきっかけに、その背後にある貿易利権の構造に気づき、ついに禁教令を制定します。禁教政策は二代目秀忠、三代目家光とさらに強化され、踏み絵や渡航禁止、出島設置など徹底して取り締まる様になって行きます。これを歴史の教科書等では「江戸幕府によるキリスト教の弾圧」として教えていますが、事実はキリスト教の布教の目的はその国の征服である事を知っていた江戸幕府による、国を守るための政策というのがその本当の目的だったのです。キリスト教の布教という大義名分で日本に侵入し、利権を優先し、虚偽を働き、国を乱す勢力から国を守る為、国が乗っ取られるのを防ぐためにとられた政策だったのです。

 

1637年「島原の乱」が勃発、幕府はさらに取り締まりを強化し、宗門改、寺請制度などを開始、1639年には南蛮船の入港を禁止し、ついに西洋文明の流入を制限します。江戸幕府はその政策により、外国と戦争することなく260年以上も続きました。これは「鎖国」と言われますが、鎖国という言葉は後に外国人が作った言葉であり、日本が政策として行ったものではありません。日本政府が取った政策は、キリスト教の布教に関心がなかったオランダ、当時は外国であった琉球、そして中国、朝鮮とだけ交易をするというものであり、西洋人による侵略を許さない為に交易相手を絞るという外交政策だったのです。

 

 

江戸時代 ~ 武力による侵略作戦

 

そのいわゆる「鎖国期間」にも西洋からは数々の開国を求める来訪がありましたが、江戸幕府はこれらをことごとく拒否します。1792年にはロシアが外交を求めて根室に来航しますが、長崎への入港許可だけ与え拒否します。ロシアは再び1804年に出島に来航し再び開国を迫りますが、幕府がこれを拒否したため怒ったロシアに1804に樺太を攻撃されています。1808年にはイギリスがオランダ船を装って出島に来航し商館員を拉致した「フェートン号事件」が起きます。これらを経験した幕府は、1825年にはオランダ船、中国船以外を砲撃する「異国船払打令」を発令し、1837年には浦賀沖に来航したアメリカ船を砲撃します。ここまでして国を守ろうと必死に抵抗したのです。

 

1849年、アメリカ海軍士官のジェームス・グリンは、蝦夷で難破し長崎で牢に入っている捕鯨船員の開放を求めて来日、船員は開放されましたが、帰国後、日本を開国するには軍隊を利用すべきと報告しています。日本を落とすには武力しかないと悟ったのです。1853年にはアメリカ海軍代将マシュー・ペリーが来航し開国を迫り、「断るなら武力で対応する」との親書を提出して帰国、翌1854年、ついに7体の黒船を率いて来航、日本を武力で強引に開国を迫ります。江戸幕府はついにこれに屈し、日米和親条約を締結してしまいます。1858年には治外法権、関税自主権廃止などを含む不平等条約である日米修好通商条約が締結され、鎖国状態は終わりを告げます。江戸幕府の取った外交政策、西洋からの侵略を異国の文化や宗教の流入を窓口を最小にする事で守る、という政策は、ついに武力によって強引に中止させられたのです。

 

これを皮切りに日本征服の準備が整いましたが、日本ではこれに反対する勢力が抵抗します。易々と条約を締結した幕府に不満を持つ勢力が、攘夷運動を開始します。攘夷とは外国人をうちはらうという意味ですので、外国人、外国の文化の流入の阻止を幕府が出来ないなら俺たちが阻止する、と立ち上がった運動です。彼らは当然ながらいわゆる開国派と対峙します。勅令(天皇陛下による許可)を得ずに条約を締結し、安政の大獄で反対者を処刑した井伊直弼を暗殺し(桜田門外の変)、攘夷派の最高勢力とされた薩摩藩は、生麦事件後イギリスと交戦、薩英戦争が勃発します。薩摩とは対立していた長州藩も下関海峡を通過する外国船を砲撃する下関戦争などで抵抗します。開国後の日本征服計画にも日本は根強く抵抗したのです。

 

 

開国から明治維新 ~ 再度の武力による侵略と工作員育成作戦

 

しかしながら、この抵抗もイギリス、フランス、オランダ、アメリカの報復を受けて攘夷運動を断念する事になって行きます。ここからの流れが非常に不可解です。攘夷運動はその矛先を外国人から幕府と変え、攘夷運動は倒幕運動に変わっていきます。本来攘夷、つまり外国勢力を打ち払う目的だった攘夷運動が、何故か外国を受け入れた幕府を倒す運動に変遷して行くのです。彼らは力を付けて行き、1867年、ついに大政奉還により260余年続いた江戸時代が終わる事になります。西洋文化の流入に反対をして攘夷運動していた連中が、しかも犬猿の仲だった薩摩と長州が手を組んで薩長連合となり、勢力を拡大し倒幕運動に変遷し、倒幕に成功するのです。しかも幕府を倒した後は、それまでの主張を翻し、手のひらを返した様に西洋文明を取り入れようと明治維新を起こし、文明開化だと外国人と手を繋ぐ流れになったのです。いったい彼らに何が起きたのでしょうか?

 

これは開国の圧力を何度かけても拒絶する日本を侵略するには、外から攻めても決して屈しないなら、内部から破壊するしかないと考えた彼らが、内部の混乱を作り、倒幕勢力を操って起こしたと考える事が出来ます。明治維新は日本征服を企む勢力が内から日本を侵略した結果だと考えられるという事です。宗教でも武力でも侵略出来ない国を転覆させるのは内部に工作員を作り、内部から破壊する事が有効だという結論に至り、当時幕府に対抗する思想を持っていた若者を工作員として利用、資金提供などで支援していたのです。不仲だった薩摩と長州が連合出来たのも、薩摩による薩英戦争も長州による下関戦争も全て仕組まれた台本通りの演出があったからだと考える事が出来ます。片田舎の一つの藩が大国を相手に戦争を起こせた背景には、膨大な資金提供と支援があったという事です。

 

明治維新により、日本には西洋文明が一気に流れ込みました。文明開化と称し、西洋並みの文化的な生活を手に入れますが、これは同時に一番日本人が失ってはならない日本精神崩壊の序章となったのです。

 

 

日本の精神文化 ~ 日本の精神性の高さに驚愕した西洋人

 

この頃に日本訪れた西洋の外交官や商人たち、日本は他のアジア諸国とは全く異なるその歴然たる差異をはっきりと認めています。

 

「日本人の様子と態度に感銘を受けた。この民族はいかなる民族よりも優秀である。この日本を開国して外国の影響を受けさせることが果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか疑わしくなる。これまでに見たどの国よりも簡素さと正直さがある。」(初代駐日アメリカ公使のタウンゼント・ハリス)

 

「この国の人々の質素な生活とその飾り気のなさを私は賛美する。この国土の豊かさを身に至ることに満ちている。子供たちの楽しい笑顔を聞きそしてどこにも悲惨なものは見出すことができなかった。この幸福な情景が今や終わりを迎えようとしており西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしてるように思えてならない。」(ハリスの通訳兼秘書だったオランダ人ヘンリー・ヒュースケン)

 

「このよく耕された谷間の土地で、人々が、幸せに満ちた良い暮らしをしているのを見ると、これが圧政に苦しみ過酷な税金を取り立てられて苦しんでいる場所だとはとても信じられない。ヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きの良い農民はいないし、またこれほど穏やかで実りの多い土地もないと思う。」(初代駐日イギリス総領事のラザフォード・オールコック)

 

「清国で最も不快に感じたのは平気で嘘をつき金をごまかす一般庶民の姿で、乗り物に乗っても最初に提示した料金とは全く違う高額の料金を後でふっかけ閉口することもしばしばだったが、日本でもどうせ同じだろうと最初から高い金を渡しておこうと思い規定の2倍の料金を渡したところ、船頭が不思議な顔をしてこれは規定の料金とは違いますよと言い、余分な金を突き返してきたのである。日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地が無い。」(ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマン)

 

「日本では男女問わず子供でも読み書きができ、簡単になら自国の歴史を語ることができる」(日英修好通商条約を締結しに日本に来た第8代エルギン伯爵ジェイムズ・ブルース)

 

このように当時の日本を、日本人の生活を目の当たりにし、日本人の精神性の高さに驚愕した事を後に記した例が数多くあります。共通しているのは「日本は貧乏だが貧困ではなく惨めさが無いので幸福そうだ」、という事です。また、識字率の高さと道徳、倫理レベルの高さにも驚き、西洋文明をこの国に持ち込むことが果たして良い事なのかと疑問を持つ記述があるのです。

 

 

技術大国日本 ~ 異国の文化、技術を取り入れ改良する能力の高さ

 

日本は技術や製造においても世界と明らかに異なる能力を持っていました。この事は鉄砲伝来でも証明されています。「鉄炮記」によると1543年、種子島に漂着したポルトガル人により日本に二挺の鉄砲が伝わりました。日本は未だ刀しかありませんでしたが、翌年には国産の鉄砲が製造されています。日本人は鉄砲を徹底的に研究し、1575年の長篠の戦いでは織田信長は3,000挺もの鉄砲を保有しており、1592年、秀吉が朝鮮出兵に向かう頃には実に50万挺銃もの鉄砲があったと言われています。伝来から僅か50年で保有数世界一となり、かつ性能も世界一の鉄砲を作り上げたのです。これをみた西洋人は武力による侵略が難しいと悟った事が伺えます。

 

 

奴隷制度が無く、識字率世界一の日本

 

また、西洋にあって日本になかったものとして奴隷制度があります。欧州では奴隷は当たり前で、16世紀にキリスト教の布教に日本に来た連中も例外なく奴隷を引き連れてきていましたが、日本には元来奴隷制度が無く、貧しい人が彼らが想像するように虐げられたり、過酷な生活を強いられたりしていませんでした。江戸時代には身分の差はあれ、世界でも希な教育機関、寺子屋という学校で等しく教育を受ける事が出来、識字率は世界一でした。現代の様な病気もなく、芸能や文化も風習も祭りもたくさん江戸時代に生まれました。

 

西洋人によるアジアの侵略と奴隷化を唯一許さなかった国、それが当時の日本です。日本が貧しく文化的に遅れていたのは事実ですが、精神文化はどの西洋の先進国より進んでいたことは当の西洋人が認めるところなのです。キリスト教の布教を名目に日本を侵略しに来た西洋人が目にしたものは、貧しいが道徳に溢れる生活をしている日本人であり、それ見て宗教による侵略は無理だと悟ったのです。このようにして日本のあまりにもレベルの高い精神文化と崇高な民族性を知った”彼ら”は、まともな攻撃では日本人には太刀打ち出来ず、征服など出来ない事を悟ったので、別の方法で征服を計画したのです。

 

 

明治維新後の日本 ~ 物申す国から戦争へ

 

明治維新の後、西洋文明を取り入れた日本は異常なスピードでこれを取り入れ、欧米各国と肩を並べるまでになりました。思想的にも進んでいた日本は、アジア諸国を侵略し植民地化していた欧米各国に物申す様になります。これを快く思わない欧米勢力は、日本を戦争に巻き込んで行きます。日本は戦争においても屈強な精神力で犠牲を払いながらも抵抗し続けます。しかしながらついには原爆を落とされ降伏する事になります。そしてその後、”彼ら”の計画通りに日本の精神文化は壊されて行くことになります。

 

 

敗戦から占領下の日本 ~ 日本人愚民化政策の始まり

 

敗戦国となった日本は米国に統治されますが、その中で日本人愚民化政策が企てられ、日本の精神文化はされに破壊されて行くことになります。抵抗して屈しない日本人を家畜化し、奴隷化するには教化による支配でもなく、武力による支配でもなく、精神文化を破壊する事で支配しようとしたのです。

 

まず、占領軍であるGHQが取った政策にWGIPというのがあります。これはWar Guilt Information Programの略で敗戦からサンフランシスコ講和条約で日本の主権が回復するまでの7年間に行われた、日本人に戦争への罪悪感を植え付けるプロパガンダであり、洗脳計画です。これにより、歴史はデタラメに書き換えられ、メディアを操り、焚書や報道の削除や禁止を定める事で情報を操作して日本人を洗脳して行きます。この作戦は、一般人に対しては直接実行せずに、日本政府や日本の報道機関を通じて実施した間接統治という巧みな方法がとられていたので、多くの日本人は占領軍から押し付けられた思想であることに気づくことなく洗脳が進んで行きました。広島と長崎に原爆を落とす決定をしたトルーマン大統領による3S政策なども日本人を愚民化する政策です。

 

 

精神文化の崩壊と日本企業の衰退

 

白痴化した日本人は政治への関心がなくなり、娯楽に興じ、自ら考える事、疑問を持つ事、批判精神を持つ事をいつしか忘れ、自分で考える事なく無批判に体制に従う国民となってしまいました。それでもその能力は依然高く、戦後の目覚ましい復興から世界一を誇る日本企業が数多く生まれ、技術大国、経済大国となりました。日本の経済がここまで成長したのは日本人の民族的な能力が高かったからですが、精神文化が崩壊し始めていたため、これが壊れるに時間はかかりませんでした。

 

日本が貿易黒字を大きく出すと、ルールを変えられ、為替を操作され、日本企業に不利な状況が次々に作られて行きます。それでも競争力を保って来た日本企業ですが、バブル経済の泡に飲まれ、ついには弱体化して行きます。精神文化を失い白痴化した日本人は、操られる様に計画通りに罠にはまったかのように衰退して行きます。

 

 

日本征服の歴史のまとめ

 

1. キリスト教の布教により、日本を教化して侵略、植民地化し奴隷化する。

→ 禁教令、交易相手を絞る外交政策により失敗

2. 武力での侵略①

→ 江戸幕府が取った外交政策により度々失敗。江戸幕府は260年続く。

3. 武力での侵略②

→ 黒船により成功するが、新たな抵抗勢力である攘夷運動に阻まれる。

4. 内部工作員による倒幕

→ 攘夷運動を倒幕運動に変え、援助する事で成功(明治維新)

*日本は急速に近代化し、国力をつけ対等に。日露戦争でも勝利。

5. 戦争による侵略

→ 太平洋戦争に巻き込み、日本を敗戦国にした。

6. WGIPや3S政策による日本人愚民化による侵略

→ 時間をかけてじわじわと日本の精神文化が失われていく。

*日本は急速な高度経済成長で復興し、日本企業が台頭。

7. 法改正、為替等で日本の輸出制限、貿易摩擦等による経済的攻撃。

→ 日本企業の弱体化その①

8. 地震、台風などの天災を活用した攻撃。

→ 日本企業の弱体化その②

9. グローバリズム工作員の育成と乗っ取りによる政治的攻撃。

→ 日本企業の弱体化その③

 

日本征服のシナリオは、このように失敗を繰り返しながら練り直されましたが、なかなか屈しない日本を征服するためには、まず日本人を愚民化し、強靭な精神文化を破壊し、政治を乗っ取ることが必要だとの結論に達し、これを最終手段として進められたという事なのです。全て計画通りに実行され、今の日本はその計画に見事に飲み込まれている、これが現実なのです。

 

 

今我々が直面している問題

 

日本人は元来勤勉であり真面目な民族ですが、これらは全て精神文化と繋がって始めて強力になります。支配者はこの構造を理解したので、精神文化を破壊し、勤勉さを利用して日本を意図的にいびつな国にして行きました。

 

日本国民の実質平均所得はバブル以降、年々減っており、OECDの平均よりはるかに低く、G7の中でも最低です。理由は利益重視脳になった経営者が取った派遣社員活用の結果であり、学校での洗脳教育により愚民化した、会社組織で働けない若者を多数生み出した事と合致します。また、日本の医療費は増加の一途をたどり、40兆円を超えるまでになりました。これは食品添加物や農薬の使用料が世界一であり、放射能等の野放しによる健康被害が増加した事によります。癌患者の数、癌による死者の数が異常に増えているのも先進国では日本だけです。

 

ここでは詳しく述べませんが、教育、医療、農業、食に加え、金融、エネルギー政策、環境問題などが全て一本に繋がっており、既に乗っ取られたメディアと政治を使って日本を弱体化させる作戦は着々と進んでいます。地震や台風などの災害も、日本の地理的な弱点を利用し、意図的に災害に弱い国にされてきたという背景があります。

 

今や日本は米国の属国となり、中国にまで侵略を許しています。かつて世界一を誇った日本企業の大多数は既に海外資本に牛耳られ、単独では生き残る事も難しい状況に置かれています。世界の変化についていけなかった企業の努力が足りなかったのだという批判がありますが、そうではありません。金融システムから行政、司法までも全て利権者の支配に組み込まれてしまい、それに抗う精神文化が失われてしまったことが原因です。ここでは詳しく述べませんが、かつて世界一だった日本の半導体産業の衰退などはその最たるものです。

 

産業が衰退した背景には政治があります。政治も国外の勢力に操られ、今や日本国を守る精神と意思を持った政治家はわずかしかおらず、大半は国外の利権者の顔色を窺い、個人の利益と保身だけを考える政治家ばかりになってしまっています。言ってみればほとんどの政治家はグローバリストの工作員に成り下がった売国奴だらけになってしまっており、国を守る意思を持った政治家が居なくなってしまったという事なのです。

 

日本企業は技術的にも能力的にも優秀で世界一と言えるものも多数あるのに、経営は全て支配者に牛耳られており、その能力を発揮できないどころか自滅の道を歩む以外に道がなくなっているのが現実です。日本企業は理不尽であろうと支配者に従う以外の選択肢が無くなっており、これに抗おうと思ったとしても構造的に無理な状況が作られてしまっています。これを打破するには、現在の利権構造を理解し、破壊する必要があります。そしてこの利権構造の上に立つ市場経済の仕組みから外れた事業を実践するしかないのです。グローバリズムに同調して従う上場企業に未来は全く無いのです。

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