日本酒はおいしいですね。50歳を過ぎてから分かるようになりました。しかし、付き合い酒は殆ど飲みません。そして居酒屋にも行かないというより行けなくなりました。酒がまずいからです。コロナで酒の提供ができなくなったと言われても全然気になりません。元々行かないからです。と言うよりも行く人の気が知れません。あんなまずい酒を高いお金を払って呑む気がしません。付き合いと称して仲間と呑むのは帰宅拒否症だと思っています。本にも書きましたが、私が定年前の定時制勤務の頃全日制の職員室の明かりが遅くまでついていました。それを見て若い定時制教員が「熱心な先生がいるんですね」と感心していましたが。それは違うと言いました。そして野口英世のことを思い出しました。彼はアメリカへの留学から帰ってきて外国の女性と結婚しますが、彼は妻との会話を嫌い研究室に閉じこもります。そこで黄熱病の原因菌を見つけて成果を上げますが、本質は帰宅拒否症が生んだ名誉だと思っています。現代では彼の生き方は、特に女性からは否定される生き方だと思っています。未だに成果主義の日本では崇められる生き方だとは思いますが。

 本題に戻ります。今では「酒無くて・・・」の私ですが、飲んべえと言われ出したのは40代後半からです。20代後半に定時制教員になったのですが、生徒と年間1~2回呑んでいましたが、コップ一杯のビールで顔が真っ赤になったり、じんましんが出たりするほど弱かったのです。もう50年以上前の話ですが、生徒の中には未成年もいましたので、今なら大ブーイングですね。35歳からの5年間全日制進学校に勤務しましたが、なじめず他の教員と一緒にいるのも嫌でしたので定期的な飲み会の時期になると断る理由を探していました。その理由が見つからないときは出席するしかないのですが、周囲と話も合わず酒は殆ど飲まず料理を平らげるとすぐ会場を抜けていました。

 次の工業高校で校長に認められ、いくつかの仕事を任されるようになると仲間も増え、他の人にもお願いしなくてはいけなくなりましたが、それ以上に学校の雰囲気が合っていたので、一緒にいるのが苦痛ではなくなりました。私は人と会話するとき、こう問いかけをするとこういう内容の応えが来る人とは話す必要性を感じません。それなら話す時間が無駄だからです。前任校ではそんな紋切り型の教員が殆どだったと思っています。この学校では違っていました。それが面白かったのです。そのため呑む会には喜んで出かけました。最初呑み始めたのはビールです。昔からサイダー、コーラはよく飲んでいましたから。炭酸飲料は胃弱と言われる人にも好んで呑まれるのではないでしょうか。最近は健康法のところで書いたような腹の指圧で胃が健康になるとビールは欲しくはありませんが、冷たいのが良いので夏になるとたまに呑む程度です。次に呑むようになったのは焼酎です。おいしさよりも値段だったように思います。そして、50歳手前頃の冬に酒を燗して飲むとおいしいと感じ、それ以来一筋です。呑兵衛に聞くと酒は2級酒に限る。必ず自分に合う酒があるよと言われ安い酒ばかり買って飲みましたが、すぐ頭が痛くなるばかりでおいしいと感じられる酒はありませんでした。昔は酒を造れば必ず売れたので、1級酒になるための審査を受けるのが面倒な酒蔵は、そのまま売っていたのですが売れなくなると高く売れる1級酒審査を受け、安いのは合成酒だけになったからと思われます。値段がある程度以上の酒なら頭が痛くなることはないことに気がつきました。昔はたくさんの酒蔵がありましたが、今はそれなりの企業努力をしたところだけが残っていると思われます。現在は地元に残っている酒蔵のものを毎日2~3回程度呑んでいます。大体午後から呑みタイムです。夕食時はご飯は食べす、おかずだけを肴にしています。夜遊び(バドミントン)のときだけは呑めませんのでご飯を食べますが週に3回程度です。帰ってきてから呑みますのでかなり遅い時間までかかりますが、寝る時間はいつも遅いので気になりません。

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