「一言多い」は嫌われ者
本にも書きましたが、元高校教員です。しかし、教員からも地元の人たちからも嫌われていました。退職したら誰も相手をしてくれる人はいないのではないかと思っていましたが、教員でもないし地元の人でもない人たちが、たくさんいることに気がつきました。
私に好意的に接してくれる人と、嫌う人の区別をつけてくれるのが、私の一言です。例えば、数年前に行き始めた喫茶店にいるときトイレに行きたくなりました。向かう途中にカウンターがありママさんがいたので、「トイレ貸してな。年取るとトイレとあの世が近くなるんよ」と言うと大ウケしました。早速これを使い始めました。「うまい」とか「おもっしょい(面白いの方言)」と言ってくれる人は好意的な人で、「一言多い」と言う人は・・・と分かります。
ただし例外もあります。最近まで、昔勤めていた定時制高校に行って体育の時間にこっそり(?)参加させてもらっていました。その時まじめな女子生徒に、このトイレの話をするとキッとした顔で「そういう笑えない冗談は言わないで下さい」ときつく言われましたが、これは嫌われたからではないと思っています。その後トイレの話をして、笑ってくれた人には「ここで笑ろたらあかんで。若い人はここで怒らないかのやで」と言っています。ただでは起きません。これがしぶとく生きていく方法です。
このようにいつも一言多いのですが、どうして・いつからそうなったのかは分からなかったのですが、約30年前に分かったことが1つあります。その頃何回か小学校の同窓会の案内があり、いつも参加していたら一度だけ1・2年生の担任をしていただいた女の先生が参加されていて、「あんたのことはよう覚えとんじゃ」と言われたので、理由を聞くと「生徒にな、質問すると他の子は答えしか言わなんだのに、あんただけはその答えにたどり着くまでの過程をすべて言うてから答えを言うた。そんな子は後にも先にもあんた一人やったからよう覚えとる」と言われました。こんなことを一度しただけなら多分忘れてくれたと思うので、何回かあったはずやから、私の「一言多い」はこの頃からもう始まっていたことが分かりました。何と70年以上続く筋金入りの「一言多い」です。また、その当時はその先生も「速よ答だけ言え、おまえはいつも一言多くて長いんじゃ」と思われとったんかなぁ。先生ごめんなさい。