母について

 私の書いた本で母についても書きましたが、かなり内容はひどかったと思います。そのことについて書き足します。母はものすごく貧乏な農家に生まれ、それ故にかなりひどい仕打ちを回りからされたようです。そのせいだろうと思いますが、「見返してやる」というのが根底にあり、言い続けていました。船員だった父と結婚して神戸に移住したのですが、金を貯めることに執着しました。その頃は千円あれば家を建てることができる時代でした。終戦直前には必要な額近くまで貯めたようです。爪に火をともすような生活だったとよく聞かされました。そして、疎開して母の実家近くに帰るのですが、終戦と同時に千円が一日の生活費にもならないようになりました。そこで動産(お金)ではだめだと不動産(土地、山)の購入に全力をあげます。生活費を圧迫して、購入費に充てました。その一番の被害者が長兄です。私は末っ子で物心つく頃は、ある程度の資産家とみられるようになっていましたが、長兄は父親のいない(船員だから)貧乏人の子だったので、周りからかなりいじめられ、それに反発してかなり荒れていました。それを母が嫌い、家の中はいつも戦場でした。そんな兄は母がいるときは怖いのですが、母が数日家を空けたときは非常に優しかったのを覚えています。今は二人とも鬼籍に入っていますが、最後まで和解することはありませんでした。

 そんな母は生活苦から劣等感に苦しみ、絶対的に強い神仏に頼りました。他の人に弱みを見せることは許せなかったのだと思います。いつも一心に読経していました。そのうち大きな買い物(土地)をするときには読経しながら、買うべきかどうかを神仏に尋ねていました。そうすると読経の途中で声音が変わり、○○せよと母の口から出てきます。これを神の声として、判断していました。私は子供心に不思議な感覚で聞いていました。母は自分では言っていない。勝手に口から出てくるのだと言いました。母の生きている間は大成功だったと思いますが、その不動産を受け継いだ私には負動産になっています。その内、周りの人から占ってほしいと言ってくる人が増え、おかげをいただいたとお礼に来る人もある程度おり、母も威張っていました。多分読経しているうちにトランス状態になったと思われます。そして、私の大学受験の時も、志望先を言いながら占ったら最初は無理と出ていたようですが、「お願いします」と言い続けているうちに「合格させてやろう。ただし大病をするぞ」と出たそうです。結果その通りになりました。

 拙著で、学生時代に時々試験の途中で頭の中に文章が流れ、それが試験の答えだと気がついたという話を書きました。昔は不思議な体験としか思っていなかったことですが、最近になって、このトランス状態は母からの遺伝なのではないかとすら思うようになりました。母の晩年、隣の家に暮らしながら、マウントがきつすぎて、私の家族が傷つき距離を置かざるを得なくなりましたが、現在自分の満足できる生活を送れているのは、この母の遺伝のおかげかなと感じています。

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