大学進学、教師として考えたこと

 高校教員だった私は教員生活の最初と最後は定時制高校でした。最初は指定されて行ったのですが、最後は自分の意思でした。ずっと定時制にいたかったのですが、全日制で母校の進学校にも5年間勤務しました(させられました)。自分の高校時代は楽しかったので、楽しく勤められるかなと思ったのですが、最悪でした。ずっと後の話ですが、ある部の顧問が「うちの部が全国優勝しました。」と言っても、よかったですねとパチパチぐらいの拍手だったのに、「私のクラスの○○さんが、東大に合格しました」と発表すると職員室が割れんばかりの拍手が鳴り止まなかったということです。

ここで私は阿呆教員と決められました。5年間勤務しましたが1度も学級担任にはなりませんでした。35~40歳、いわば働き盛りの年でした。しかし今でも担任しなくてよかったなと思っています。ここでは生徒に勉強させるためには侮辱・暴力も熱心な指導の現れと解釈されていたように思います。しかし、いわゆる良い大学に合格しても、そこまでがピークとなり、卒業できない・卒業できてもきちんとした仕事もできない人をたくさん見てきたので、「高校時代は受験勉強をするところではない。自分が何をしたいのか・何ができるのかを考えるときだ」と教頭に言うと「阿呆か、そんなことしとったら受かる大学も受からんわ」と怒鳴られました。

 私は物理の教員でした。受験には危険な科目と言われ、特に女子生徒には嫌われました。出版した本に、ある女生徒が選択していない物理が受験科目に指定されていたことを3年生になって気がつき、私が指導した結果、優秀な成績になったことを書きました。後で読み返し、自分の指導力の高さをアピールしたとも読めなくはないと気づきました。ここで私が言いたかったのは、本人が進路について強く思い込んだら、女子生徒で授業も受けていない・嫌われる物理でさえも克服できると言いたかったのです。

 また、この学校で担任をしなくてよかったと思うのは、担任をすれば当然進学先が問題になります。良い先生とは本人の学力で受かる最も偏差値の高い・有名な大学を受験・合格させることです。また、それを多くの生徒・保護者も望んでいます。しかし、私が担任をして受験校を決めるときは無理をさせないです。極端な例を言えば、「東大を受験したいんやけど受かるやろか」と言ってきたら「やめとけ」と即言います。「君なあ、高校受検の時に、この高校に受かるやろかと思たか。私が受からずに誰が受かるんやと思たんと違うか。天下の東大と言えどもそう思て受けとる人が一杯おるんやで。そやから、合格した途端に君は劣等生やで。毎年合格発表の時、赤門前で胴上げしとる人を見て、こいつら阿呆やと思とる受験生がおると思うで。受かって当たり前と思とる人は合格発表なんぞ見に行かへんよ。もし君が東大受かって当然と言ってきたら、よし行け、上には上がおることを実感してこいと言うけどな」と続けます。                          しかし、実際にこんなことをすれば、学校全体からブーイングの嵐になるでしょう。まあ、私のクラスにこんな生徒を入れるわけがないのですが。

 最近の週刊誌でも「東大からの人、東大までの人、東大だけの人」と東大生を分類しているようですが、東大の代わりに○○大としても同じだと思います。まるで合格した大学で人生すべてが決まってしまうかのような風潮はなじめません。大学卒業するのに9年もかかった奴が何言うとるかと言われると、何も返せませんが・・・・。

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