おりょうはん(追)

 前に書いた「おりょうはん」の前提になっているのが讃岐は水不足が常態化していると言うことです。ではなぜこんなに水不足が続いているのでしょうか。昔は「雨が降らないから」と答えると満点の解答になっていました。しかし、それは少し違うのではないかと思っています。私が今正解と考えているのは、チコちゃん流に言えば「讃岐山脈が低かったから~」。この答えにたどり着いたのは、一人のオーストラリア人に会ったからです。
 私の家は四国遍路道の沿線にあります。歩き遍路と呼ばれる徒歩で巡礼している人のための道です。オーストラリア人の彼に会ったのは外国から来られた巡礼さんが多数いた頃です。それは10年近く前のことで、庭でいるときに"I came from Australia" と声をかけられました。それから彼の片言の日本語と私の片言の英語交じりの会話が1時間近く続きました。途中で一度分かれたのですが、彼が引き返してきてリュックからiPadまで出してきたからです。これが私の家族だ、これが私の家だと説明してくれました。正直言って彼の家族(妻や子供)については何も記憶にありません。しかし、家の屋上にソーラーパネルとさらにその上にパラボラアンテナがあったのは覚えています。アンテナはインターネット用だと説明してくれ、家には電気も水道も来ていないのだという。水は井戸を掘っているのだとか。
 日本に来て一番驚いたのは何かと聞くと「川が流れていること」だと言うのです。彼の写真にあったソーラーパネルの量からいっても、そんなに雨が降っている地域とは思えないのに井戸からは水がすぐ出たのだろうと推測しました。降る雨はそんなに多くはないが全て地面に吸い込まれて地下水となったと考えると納得できます。その前提として地面が平らであるということです。そして大量の雨が降ることがあれば、川はでき、樹木も大きくなるはずだから雨も少ないと考えられます。
 一方日本では平らな土地はあまりなく、少しあるとすれば農地と都市部です。都市部は前にも書いたようにスラッジの捨て場としてアスファルトで覆われて、いくら降っても地下水にはなれません。また農地も地下水は作れません。激しい夕立が過ぎて、川は濁流が土手を越えんばかりに流れていても田の土を10センチも掘れば乾いた土になることは田舎暮らしの経験がある人なら納得できるはずです。そうなるように我々の祖先が土壌改良したからです。水田に水を入れたとき地下に吸い込まれたのでは水が溜まらずすぐなくなってしまいます。そうならないように地下に染みこまないような土壌に作り変えたのです。そして雨が降っていないのに川に水が流れているのは地下水がしみ出したのです。だから香川県に水が少ないのは地下水が少ないということです。
 では地下水はどこで作られるのでしょうか。もう山地しかありません。ところがここは急な斜面ばかりなので一度にたくさん降っても表面を流れ落ちてしまい、地下水にはほとんどなりません。つまり香川県の降雨量が増えても地下水にはあまりならずに天気の悪い日が続き川の洪水を心配しなければならなくなるだけです。地下水になるためにはしとしとと降る雨が続いてくれるしかないのですから。そして究極のしとしと雨は雪なのです。雪が積もると地温で少しずつ溶けてゆっくりと染みこむからです。雪は天然のダムだと言われる所以です。香川県の水不足の真の原因は降雪量・積雪量が少ないからです。
 ではなぜ香川は雪が降らないのでしょうか。隣県の愛媛は水(地下水)が豊富です。
その差は四国山脈(2000メートル級)と讃岐山脈(1000メートル級)の高さの差なのです。それと関門海峡もあると思われます。冬に日本海から湿度の高い冷たい空気が山陰に上陸します。中国山地(1000メートル級)を登る途中で零下になり雪を降らせ乾いた空気が山陽側に降りてきます。フェーン現象で山陰より高温になります。そして瀬戸内海を越える間に暖かくて湿った空気になります。だから雪が降る頃の山陰・瀬戸内の県庁所在地の温度は高松が最も高いことが多いのです。広島・松山も同じ条件のはずですが高松ほどにならないのは関門海峡を通って日本海の冷たい空気が直接入り込むためと思われます。そして愛媛に上陸した空気は四国山脈で冷やされ雪になります。しかし香川県に上陸しても讃岐山脈が低すぎて零下にはなれないため雪になれず次の四国山脈で雪に変わるのです。だから冬に瀬戸内海から南を見ると愛媛の山々は真っ白なのに香川の山々は青々としています。つまり「讃岐山脈が低かったから~」となるのです。                                         

 しかし讃岐山脈が2000メートル級の山だったら良いとは言えないのです。ビルではないので高くなるためには広い裾野が必要です。そのため平地が少なくなります。その典型が愛媛県四国中央市川之江(旧川之江市)です。水が豊富なのに耕地があまりないのです。そのため山と水の産物である和紙を作り始めたのです。後に近大製紙会社に変わりましたが、紙の町と言われ続けています。香川県も山が高かったらため池を作らなくてもいいのに耕地面積は今より少なかったと考えられます。

 たられば話をするなら讃岐山脈がなかったらの方が面白いです。四国を縦断する中央構造線が讃岐山脈を作ったからです。中央構造線は2つのプレートの境界線です。海側(高知県側)のプレートが北西に数10キロ動いたため陸側のプレートが圧され讃岐山脈になりました。その前は吉野川は香川県を流れる土器川の上流でした。吉野川が三好市でほぼ直角に曲がっているのは讃岐山脈ができたため、せき止められたから仕方なく直角に曲がり徳島市の方に流れたのです。最初から讃岐山脈があれば直角に曲がるような川はできなかったと思われます。つまり、讃岐山脈がなければ、耕地面積もずっと広くなる上に吉野川の水で豊かな土地になっていたはずです。「中央構造線が讃岐をうどん県にした」という趣旨の論文もあります。愛媛県は水が豊富だと一般に考えられていますが、水不足になるところもあります。中央構造線の北側にある松山や今治です。理由は同じで山が低いのです。

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