F君のこと 通信制高校での事件

 私が教頭になり、最初に赴任したのは高校の通信制課程でした。全国的に見ても数の少ない課程です。教員数は十名足らずで女子教員が過半数でした。授業形態はほぼ毎月1回教科書の中から作成した問題を生徒に郵送し、解答して提出させることと年間30回くらい日曜日に学校に出てきて授業を受けるスクーリングです。そのため教員の勤務態勢は日曜日出勤・火曜日代休が多いと思います。また、各教科ごとにスクーリングの回数は決められていて、実技を伴う教科、例えば体育・芸術・理科は回数が多くて12回が最多です。座学と言われる教科例えば国語・社会・数学は少なく年間3回程度でした。そしてレポートの提出がなかったり、スクーリング実施回数の三分の一以上欠席すると単位は認定されません。ですからただ机に座っていれば教師が解説してくれる全日制や定時制よりも自学自習しなければならないので、生徒にとっては大変です。だから昔は仕事をしている人や子育てが終わったが家事をしなければならない女性・高校時代を経験できなかった人がそれをしたいと考えた人が多かったのですが、最近は全日制・定時制でも断られた若者が増えてきて、いわゆるやんちゃな雰囲気が強くなっていました。そして在籍はしているが、授業には出てこない生徒も多くいました。大学と同じように年度初めに受講手続きをさせるのですが、手続きをしない生徒が多数いたからです。

 そして私が教頭になりたいと感じたのは、職員室・会議を牛耳るような教員を許さないためでした。しかし、この職場にいたのです。このオピニオンリーダーの言うとおりにはさせないことが私の目標となりました。職員会議でもよく衝突しましたか、正直言って旗色は悪かったです。また、その頃教員組合で教員による管理職評定という何の力も無い自己満足が流行っていて、それによると私の評定は県下で最悪だと鬼の首を取ったように言われました。その時に思ったことは、本にも書いたように「ほぼ全教員が組合員だった頃から組合に加入せず、非加入の方法が分からないため組合費を採用年の4月分だけは払いました」と言えば、この先生はどう反応するのだろうと思いましたが、管理職による組合批判と極解されかねないと言いませんでした。それでもはねつけ続けていると、会議で反対意見を言ってくれる教員が出始めたり、職員室では言えないが教頭の味方です頑張って下さいとそっと言われたりするようになりました。そして何より嬉しかったのはここでの2年間の任務の後転勤することとなり、勤務最終日に勤務時間より早く学校を出ると電話がかかってきて生徒が私の転勤を知り花束を持って学校に来ているとのことで、近くにいたのですぐ帰り、花束をもらったことでした。ふれあいの少ないこの学校でもこんなことをしてもらえたことは私の気持ちを理解してくれていたのかなと感じました。そして私の教員の最後の定時制勤務では教員による管理職評定は県下最高だったそうです。

 本にも書いたように私は定時制が好きでした。極端なことを言えば生徒と遊んでいれば良いのですから。そして、定時制の生徒にとってそれはとても大事なことだと信じていました。しかしここは違いました。上に書いたような雰囲気の中で女子教員が多かったので、規則で縛る側面が強かったと思っていました。そして、私が一番つらかったのは生徒とのふれあいが少ないことでした。貴重な日曜日に出てくるわけですから、ほとんどの生徒は自分が受けなければならない授業が終われば即下校です。当然と言えば当然です。そこで私は体育の先生にお願いして一緒にさせてもらいました。女の先生だったこともあったのかもしれませんが、定時制・通信制総合体育大会の各種目の選手選びや練習、そして化粧をしてくる女生徒も多く動きたがらない者の指導等に少しは役立つと考えてくれたのだと思います。私もバドミントンが好きなので生徒と楽しく遊べました。

 そんな秋の日の体育の時間に事件が起こりました。私はその時何かの都合で体育の授業に参加できなかったのです。前にも書いたようにやんちゃな生徒が増えていて、授業も真面目に受けてなかったのだと思います。それを引きこもりだったと思われる生徒が注意したら、生徒二人に殴りかかられたのです。その時女教師はその場を他の生徒に任せ教頭の私を探しに行ったのです。私が駆けつけた時には殴られた生徒だけが残って、殴った二人は逃げて帰っていました。その内の一人がF君です。暴力事件を起こせば停学させるのが高校のセオリーですが、停学日数は通信制には当てはまりません。日曜日1日だけの停学もあり得ますが、たった1日でかなりの教科来年度再履修となる生徒もいるからです。多分この二人の生徒はもう学校に来ることはないだろうと考えて放置しようと思いました。

 しかし、かなりの教員からは絶対に処分すべきだと強硬に主張されました。このままでは悪がはびこると言うのでしょう。その担任が私の考える優秀な公務員先生でした。そつなく平穏に納めることに長けていました。私も担任に無断で被害生徒の保護者宅へ行ったことがあります。すると翌日その保護者が学校にクレームの電話です。私は嫌われ者ですので、かなりの場面でまず反発されます。そこから相手が根負けするまで粘るのが私流のやり方で、そこを超えるとぐっと近い関係が築けます。だからこれからやなと思ったのですが優秀な先生は 「阿呆教頭、収まりかけているのを波風立てて邪魔するな」と言う意味の発言をされタッチするのを止めました。

 F君の母親は教員でした。本にも書いたと思うのですが、教員をしていると、はみ出した生徒をよく見ますが、扱いに困るのは2種類だと思っています。兄弟の中に優秀な子がいて親がその子ばかりかわいがる家庭の中でいわゆるできない子がはみ出した場合と、いわゆる名士の家庭からはみ出した生徒だと思っています。田舎では先生は名士です。F君もその一人だと思いました。だから親も来ない状態で担任・私でF君を校長室に連れて行き、校長から停学申し渡しをしても「それは受けられんな」と豪語して三人を愕然とさせてくれました。

 それからかなり紆余曲折がありましたが、優秀な担任のおかげでF君は退学することになりましたが、最後に教頭と話がしたいと言ってきました。それを聞いて私は「よし、彼を泣かせて送りだそう」と思い、シナリオを作りました。まず彼の発言を待つ。何が言いたくて私と話しをしたいのかを知るためです。それを聞いて応答してから「それにしても教員の子どもはつらいよなぁ。私の尊敬する校長先生はご夫婦で先生をされているんやけど、「わしは子どもに親が先生でごめんな」と謝ったんやと言われて、私の子どもも苦労しとるんやろなと思うんよ」と。これで彼は自分の苦しさを分かってくれる人がいることに気がついてくれるはずだと。

 話し合いの当日が来ました。夕方担任と三人でベランダに出て座りました。彼が言い出すのを待ちました。しかしこんな子は口下手です。なかなか言ってくれません。寒い中黙ったまま時間が過ぎます。そろそろ彼もしびれを切らして話し始めるのではないかと期待しているとき、担任が「教頭先生何か話してあげて下さい」といいました。その本意は「阿呆教頭ちゃっちゃっと話して即終わりにせ~寒いが~」と感じました。今まで寒さを我慢しながら彼の発声を待っているのとシナリオが壊されたとともに、彼の第一声が教育相談の基本であることが分からんのかと無性に腹が立ち、「私は話すことはない。話したいと言ってきたのはそちらからじゃないか」と言い放ってしまいました。今なら「私と話したいことがあるんじゃろ。それは何」と聴けたと思いますが、あの時はできませんでした。多分失敗の多い私の教員人生の中で最悪の失敗だと思います。

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