大学・・・追伸

 前に書いた「大学」に「スキ」をいただきました。何を書いたか忘れていました。なにしろ3分以上前のことは私に聞くなと家族に言ってますので・・・。文章の校正もできていないし、内容も足りないと感じましたので、付け加えようと思います。
 確かに学歴社会だった時期はあり、世間では大学を出てないと何もできないと錯覚されていたと思います。しかし、その逆に大学さえ出ていれば、世間で通用すると誤解されてもいたと思います。そのため受験戦争と言われるようになり、今も続いていると感じます。しかし大学は卒業したけれど、全然使い物にならない人が増えたのだと思います。例えば私の隣家にアルコール依存症の還暦くらいの息子が帰ってきました。結婚もしていませんが、その家庭の唯一の大学卒業者ですが、残念ながら自活できなくなり帰ってきたようです。夜間作業の仕事をして昼間から酒を飲み、「アホよ、バカよ、ワシ大学出とんぞ」と庭で叫んでいました。それだけでは足りずに夫が留守の近所の家に押しかけて同じようなことを言ったり、時には刃物を持って追いかけられた人もいたそうです。田舎では、出かけるときは車ですから、庭に夫の車がなければ留守と分かるのです。私の妻も、私の留守中にいきなり玄関に入ってきて大きな声で怒鳴るので、「なんの用で来たん」と尋ねると、何も言わずに頬にビンタを食らいました。すぐ警察に電話して来てくれましたが、その刑事に向かってさえ「お前大学出とんか、ワシ大学出とんぞ」と吠えていました。呆れるよりも悲しくなりました。大学に進学せず、その費用を貯金しておいて、高校卒業して就職していれば、もっとまともな生活・結婚もできていたのではないかと思うからです。その頃は近所の子どもたちも大学に進学する者は少なかったのですから。ただ、彼にも同情すべき点はあります。私が子どもの頃、母が誰に言うでもなく「乙子(おとご・末っ子)かわいや総領子(そうりょご・長男)大事、中の私(それ以外の子)は投げ育ち」とよく言っていましたが、まさに隣のこの息子にぴったりと当てはまっていました。だからこの男の例は大学とは関係ないかも知れません。そして、ネグレクトに近かった彼にとって唯一の自慢・自信が大学卒だったのだと思います。
 確かに彼が卒業した大学は世間的な評価はあまり高くなかったようなのですが、その評価が高い大学に合格した者の中には受験勉強に疲れすぎて、大学合格をゴールと勘違いして、やはり全然使い物にならない者も続出します。50年以上前に私の親友が言っていたことですが、外資系のコンピューターのソフトを作る会社に入ったところ大卒だけではなく工業高校卒もいて、全員で同じ仕事をしていただけではなく、給料もほぼ同じだったそうです。今で言う同一労働・同一賃金だったのです。そして数年経つと社員の優劣がつき始め、誰もが認めるだめ社員が一番学歴が高くNo2の大学だったそうです。東大合格者の中にもかなりいると信じています。私の知人の先生が50才近くなって、初めて定時制勤務を命じられ「定時制とは何か」を真面目に考えて「全日制進学校は真面目な社員を造り出すところであり、定時制は社長を作り出すところではないか」と、思って務めていくと、言われました。これはあながち嘘八百ではないと思っています。勉強に追われて頭が固くなっていく、多数の受験生にはあまり期待が持てないのですが、そこからもしかして強制的に排除されているかもしれない人の中から、次の時代は始まるのではないかと思っています。
 もう40年くらい前に進学校に勤務していたとき、「高校時代は、自分が何をしたいのか、何ができるのかを考えるときにすべきだ」と発言して教頭に叱責されましたが、今も正しいと信じています。そして、進学校の先生方は真面目で、「今日できることは明日に延ばすな」と生徒を指導していたから、私は「明日できることは今日やらない」と言って呆れられていました。私が言いたかったのは、先延ばしにしろと言うことではなく、やらなければならないことより、やりたいことを優先しろと言いたかったのです。勉強が一番やりたいことにもなれることも私は実感したことがあるからです。
 しかし、現代ではこの発言は意味を持たないだろうとも感じています。いっぱいやりたいことを提供してくれているのです。幾ばくかのお金と引き換えに。我々の時代は遊びの種類もお金も少なかったから良かったのだと思います。しかし、今でも私が言いたいことを実行している人も大勢いることは、まだまだ日本も捨てたものではないと感じています。


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