知人の告別式に行きました

 もう1月も終わりになりかけていますが、この月は悲喜こもごもでした。悲しいことは訃報を聞いたからです。PCの調子が悪くなり住所録が開けなくなってしまい今年で80才になるので、年賀状も出すのを止めようと思っていたのですが、去年の年賀状を頂いた人にだけは、そのお知らせをしておこうと、いただいた賀状の住所をファイルして出しました。その返信にも悲しいものがありました。最近は賀状交換だけになっていた教え子の妻からハガキが届き夫が亡くなりましたと書いてありました。「教え子なんやから俺より先に行くなよ」と言いたかったです。
 また、その前に昔の職場仲間から連絡があり、その頃一緒に勤めていた友だちが亡くなって13日(欧米では不吉な日ですよね)に告別式とのことなので、行ってきました。前にコロナが田舎を変えたと書いて、葬儀は殆ど家族葬になっていたのですが、今回はちゃんとした(?)告別式でした。
 故人は体育科の教員でした。私はその頃「準体育科教員」と名乗っていました(そして「私はじゅん体育科やけど、あんたらは不純体育科教員やで」と体育科教員には言っていました)。体育科教員にはシンパシーを感じていましたので、教員の友だちは少ないのですが、その殆どが体育科教員です。この日も会場で声をかけてくれたのは二人の元体育科教員でした。
 この故人も私が「極楽とんぼ」と命名した、豪放磊落な振る舞いをする人でしたが、周囲に気を配るがそれを悟られないようにする人でした。これは讃岐人によく見かける性格で、人に嫌われることを嫌がるからです。その性行が少し強めな彼は多分それが災いして癌になったのだと思います。このような人は癌も含めた重い病気になりやすいと思っています。
 告別式の最後に喪主の長男さんが泣きながら、会葬のお礼を述べているのを聞きながら、私の告別式では私の子どもたちは泣かないだろうな、そして私も泣いて欲しくないなと思っていました。私の両親の告別式でも喪主の私は泣きませんでしたから。しかし、私の時は家族葬と決めているので、そんな事を考える必要もないなと気がつきました。

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