名前

 少子化が言われ始めてかなりになりますが、特に田舎の山間に住んでいますと子どもたちの顔を見ることが極端に少なくなりました。現在は私の子どもが通っていた小学校の在籍数の2~3割になっているようです。そして子どもたちが外で遊ばなくなってしまったことも大ききな要因なのでしょう。我々年寄りと話すことはおろか顔さえ見ませんので名前を覚えることもありません。たまに顔を見ても「誰それさんの子」だけですみます。
 11月下旬になると文化活動が盛んになり、各地区の公民館で文化祭が行われます(田舎だけなのかもしれませんが・・・) 。その地区に住んでいる人々の作品が展示されたり、公民館活動の発表をするのです。そして何年もバドミントンの練習に行っていた公民館のアリーナに、今年始めて幼稚園・保育所・小学校の児童作品が展示されました。練習の合間にそれらを見ていると、書いた児童の名前が小さく書いてありました。それを見てびっくりです。私の時はもちろん、私の子どもたちの時にも絶対なかったような名前が多いのです。
 キラキラネームというのはかなり昔から聞いていましたが、それほどではないにしろ、やはり違和感を覚えるというか、聞き慣れない名前が多かったのです。こんな田舎にも都会の文化は伝わってくるのだと変に感心しました。

追伸
 私が教員をしていたとき、授業の最初に出欠を調べます。私は教員になった最初から、1人1人の名前を読み上げながら顔を見てきました。最初が定時制勤務で生徒数が少なかったこともあるのですが、顔色や様子を見ていたのです。全日制に異動しても、それは変わりませんでした。そこは生徒数が多いので、かなり時間をとられますが、顔と名前を覚えるのと様子を見たかったからです。ある年度当初の授業で、出欠をとっていたとき「○○ 聖」君の名前がありました。何と読むのか分からず、小説の高野聖から「ひじり君」と読んでしまいました。クラス中から「先生違うで~、きよしやで~」と大笑いされました。「え~これできよしと読むんか~」と答えると「聖しこの夜という歌があるがな」と指摘され納得しました。私の無知な一面が出てしまいました。その後そのクラスにいた私の担当部活の生徒から「彼のあだ名がひじりになったで~」と聞かされました。その時は大笑いですみましたが、今考えると、そう呼ばれることが嫌だったり・苦痛だったりしたら私のハラスメント行為になる(ムチ(無知)ハラ?)のだろうと思います。
 しかし今なら「聖」は「きよし」よりも「せい」、「セイント」、「ひじり」と読むことの方が多かったりするのかもしれないと思います。 

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