もやもやしたら、立ち止まって、考えて
7月から久しぶりに100%でプロジェクトに入って、忙しさにかまかけて色々なことが疎かになっていました。娘も2歳になり走り回り遊び回るようになって、一緒に過ごす時間も取りたいし。1年ぐらい仕事以外の時間はゆっくりしても良いんじゃないか、でも本当にそれで良いんだろうか、の間でここ数ヶ月揺れ動いていました。ただ、一人の時間が無いわけではないし、自ら歩みを止めてしまっていたのだということが振り返ると純然たる事実として残ります。
思えば、ふと足を止めて自分を省みる個人的なふりかえりができていませんでした。一度足を止めると、一度冷静に考えることができて、そうするとこのまま進んでいっても自分が進みたい方向性にはいかないな、と気付きます。なぜ、止まることができなくて、今あらためて止まることができたのか。
なぜ止まることができなかったのか
止まることができなかったのには、大別すると気持ちの問題と仕組みの問題があります。気持ちには波があるということもありますが、それ以上に今の自分に満足しているかいないか、また、明確な目標があるのかが重要です。転職前は全社のアジャイルをリードする役割を自ら課していたということもあり、自分が一番知っておかなくてはという使命感からも動き続けることができていました。今の会社でははるかに多くの人がアジャイルを理解していて、同じ役割を社内でやることはもちろんプラスではありますが、以前ほどの使命感はありません。何かまた自分の中で燃えたぎるようなゴールの再設定が必要なのだと思います。以前と大きく変わることはないとは思いますが、そのマイルストーンが明確な方がやる気もでるはず。
そのマイルストーンだったり、あとはそれを定期的に確認してふりかえるような仕組みを運用できていなかったのがもう1つの問題です。これは以前カレンダーに週次で予定入れてやってはいたんですが(たまにすっぽかしてたけど)、今はやっていませんでした。Outlookに今いれましょう。もし良ければあなたも一緒に。OK入れました。月次のふりかえりも入れておいてみます。
なぜ今止まることができたのか
立ち止まらなきゃな、という思いが高まったのはいくつかきっかけがあります。ひとつは市谷さんが自身のイテレーションについての話をされていたことです。話を聞いていたとき、あれ自分のイテレーションっていつからか止まっていると気づけたのです。気づけたというか、目を背けていたけど向き合うしか無い感じでした。ときにはそういう強い光を直視して目を覚ますようなことも必要ですね。とくに自分の中が霧がかっているときはそうかもしれません。
もう1つは根っこにアジャイルがあり、リーンがあり、これまで教わってきたこと学んできたことがあったからこそ止まれたのだと思います。低きに流れながらも、どこかで立ち止まらなくてはいけないという焦りがありました。木こりのジレンマをクライアントにどう伝えようかと悩んでいる自分が刃先がボロボロの斧を振り続ける木こりになっている感覚がありました。
あとは、RSGTに今年は子供とは別の家庭の事情があってボランティアで参加しない決断をしたのですが、それも一部は言い訳で本当は参加したかったのではないかというもやもやがあってそれを吐き出したかった。吐き出すならしっかりと立ち止まらなくてはいけなかったということもあります。
今後どうしていくの?
12月は自分というプロダクトを見直す時間に当てたいと思います。インセプションデッキなのか、スプリント0と呼ぶべきか。仕事、家族、プライベート、すべてをひっくるめてどうありたいのか。そして1月から改めてスプリント1を週単位で踏み出します。言語化も最近少なかったので、週1ではアウトプットを出していきます。週1で学びがないなんてことはないはずなので、自分の尻をぶったたくつもりでここに宣言しておきます。
正直元気があまりなかったのですが、踊ってばかりの国が去年行けなかったライブの映像を公開してくれたので元気出て、頑張ろうと思えたのもまた一つの理由です。そんなものです。何か元気出るものを見聞きしよう。