政治家
政治家
ここにある一冊の本がある。
『野中広務 差別と権力』魚住昭 講談社文庫
この本の中には、かつて権力の中枢にいた野中広務という政治家の凄み、光と闇が描かれている。
この中で、あるエピソードが描かれている。
野中が大阪鉄道局で勤務していたころのことだ。
同僚と二人で酒を飲んでいたところ、中年女の誘いで売春宿に入った。
その宿には、火傷によって顔が爛れた女がいた。
足すくむ同僚に対して、野中は女に話しかけた。
「あんた気の毒な芽にあわれたな。戦災でそうなったんとちがうか」
野中は女の話に耳を傾け、最後に金を握らせた。
その後、同僚は女と再会する。
その場には野中はいなかったが、女は両手を併せて拝むようにこう言った。
「あの人はきっと偉くなる。だって、私がこうやって毎日、あの人が出世してくれる ように祈っているんだから」
同僚は、その後野中が出世していく姿をみて、女を思い出した。
(魚住昭『野中広務差別と権力』講談社、60-62頁より)
政治家とは何であろうか。
人は問題をかかえる。問題に解決の方法がある場合には、人は希望を持つ。
解決の方法は万人に平等に与えられているわけではない。
問題の大きさによっても、解決の方法のアクセス可能性が異なる。
解決のためには、法律を変えることが必要であったり、資源(資金など)が必要であることがある。
解決の方法がない場合、人は絶望する。
政治家とは、望みのない心に、望みを与える職業である。
光の射さないところに光をあてる職業である。
政治家は、法律をつくり、システムを設計するとともに、法の執行に必要な予算を決定する。
国民の幸福追求のため、国外においては、外交交渉よって地域平和、国際平和を追求し、国内においては、資源を再配分する職業である。
もちろん、この考え方には異論があるだろう。
今喧伝されている小さな政府が目指すところは、規制緩和を推し進め、民間でできることは民間でやり、行政主導の今までの事前調整型社会から司法中心の事後調整型社会に移行することにより、政府の規模を縮小することである。
当然、官僚が立法権と特別会計を中心とした資源配分権を実質的に握っている現状は解決されるべきである。
資源配分権は、恣意的に行使され、光の射さないところに光はあたらず、憲法15条2項「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」という条文は空文と化している。
無駄が多い部分を削り、行政の効率化も推し進めるべきであろう。
しかし、必要のない部分を削り、民間できるところは民間で行い、政府の規模を縮小することが、すなわち、資源再配分を放棄することにはつながらない。
健康で文化的な生活を最低限度の生活を営む権利を保障できるのは、国家であり、政治家である。憲法の名宛人ではない企業には期待できない。
資源再配分は依然として国家において重要な機能である。
政治家は、声なき弱者の心の叫びを把握し、絶望を希望に変えるために資源再配分を行わなければならない。
そのために必要な能力を冒頭のエピソードは教えてくれる。
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