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『花束』と『大きな家』 【316/200】
ヤマカワタカヒロです。
今週末は2本、映画を観てきました。
土曜日はサヘル・ローズ監督の『花束』、日曜日には竹林亮監督・齊藤工プロデュースの『大きな家』。
どちらも児童養護施設をテーマとした作品で、素晴らしい映画でした。
どちらも社会的養護についてとても誠実な眼差しで、作り手の恣意的なメッセージを押し付けることなく、児童養護施設やそこから育った若者たちをフラットに見つめ、一緒に考えていく姿勢が伝わってきました。
社会的養護に関する課題は、他の多くの社会課題と同様に、まずはその存在自体を社会全体で認知することが必要です。
そして、社会的養護の枠組みを知り、子どもたちや現場で働く職員の方々の声に耳を傾けることが何よりも重要だと感じています。
(さらに言えば、社会的養護の枠組みで保護されない子どもたちの存在や、そこに懸命に手を差し伸べようとしている大人たちの存在に目を向けることも)
近年、社会的養護をテーマにした作品が増えてきたように思います。
それぞれの作品が切り取る視点は異なり、どれかひとつを観たからといって、このテーマ全体を理解できるわけではありません。
様々な視点から描かれる複数の作品や、支援活動に関わっているNPOや社団法人などの活動に目を向け、耳を傾け、何が起こっているのかを知ろうとすることの大切さを改めて感じました。
『花束』は、社会的養護から巣立った8人の若者たちの声に耳を傾ける作品。
『大きな家』は、児童養護施設で暮らす子どもたちや職員たちの日常や実態を描いた作品。
この2本を、他の視点を想像しながら観ました。
施設の職員やその家族の視点、児童相談所など行政職員の視点、親たちの視点、施設で暮らす子どもたちのクラスメイトの視点、学校の先生方の視点、施設出身の若者たちを受け入れる社会の視点、など。
こうした多面的な視点で社会的養護を見つめ、考えていくことが大切なのだと思います。
サヘル・ローズ監督が『花束』のアフタートークでおっしゃっていた言葉が、とても印象的でした。
「私たち大人が幸せにならなければ、子どもたちは幸せになれない。」
虐待は連鎖する、と言われます。統計的にも(定性的な実感としても)虐待で施設に措置される子どもたちの親の多くが、虐待を受けて大人になっています。
虐待の連鎖を断ち切るためには、生きづらさを抱えている大人たちや、虐待を受けて育った若者たち・大人たちが幸せになることが必要です。
加害者を責めても、解決できない。
加害者が元被害者だった場合、誰を罰すれば問題は解決するのでしょうか。
僕たちがまずできるのは、この日本社会で起こっていることを知ること。
そして、知るから生まれる心のざわめきや重みを抱えながら生きていくこと。
生きづらさを感じている人たちがどんなことで苦しんでいるのか、それに耳を傾け、知り、寄り添いながら生きていく仲間を増やしていくこと。
そういうことが、大切なのだと思います。
映画という表現方法を通じて社会的養護の実態に興味を持つ人が増えることはとても良いことだと思います。
『花束』、『大きな家』、そしてこれまで何度も紹介してきた山本昌子監督の『REALVOICE』。
どれも多くの方に観ていただきたい作品です。
そして、公開が近づいている西坂來人監督の短編映画『母娘』も、ぜひ注目していただければと思います。
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