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壁は常にそこにある(写真展を終えて、あるいはAIと写真と、村上春樹と)

というわけで、4月25日から30日まで、渋谷ルデコにて開催されたGoogle Pixel展、および写真展「壁」が終幕いたしました。まずは、ご来場いただいた多くの皆様に、主催者として心から感謝を申し上げます。

https://twitter.com/TakahiroBessho/status/1641379751116914690

また、僕の思いつきに対して、二つ返事どころか、プライベートの時間を使ってまで協力してくださったGoogleや博報堂のみなさんにも、深く感謝を申し上げます。めちゃくちゃ気楽なノリで「展示やりたいです」って言ったら、5秒くらいで「やりましょう」と返事を下さってびっくりしました。超大企業なのに、なんていうか、小さなチームで動いてるかのようなフットワークの軽さと電光石火の意思伝達の速さに感銘を受けるし、そこにこの数年関わらせてもらっている自分の幸運を改めて実感します。みなさん、本当にありがとうございます。

さて、その展示に関して。たくさんのことを書きたいのですが、まずは何を書こうかな。そうだなあ、、、まず一番大事なことを書いておきます。

今なぜ写真展を開催したのか、について。

(1)写真展をなぜ開催したのか、現実的な経緯

2年前にサロンを立ち上げました。ほとんど宣伝してないので、初期メンバーだけでほぼやりくりしているんですが、こんなやつ。

コロナ禍において、現実世界での対面が規制される中で、オンラインでのやり取りを増やしたいと思って立ち上げたものでした。そこから2年経ち、社会情勢が大きく変わる中で、「オンライン」にとどまる必要性がなくなってきた今、このサロンで何ができるだろうと考えてきた中で、ほぼ必然的な回答のように出たのが今回の展示の開催です。

写真家たちが自分の作品を見せる場として、やはり写真展というのが一番自然で、一番喜んでもらえるんじゃないかなと。そしてやるからには、可能な限り良い形を取りたい、今自分にできることはなんだろうということで、Googleさんにもサポートを仰いだ上で今回のような展示を開催するに至ったというのが、現実的な経緯です。

では内面では何を考えていたのか

(2)内面の動き

奇しくも写真展開催の直前に、村上春樹が43年前の作品を引き継ぐ形で『街とその不確かな壁』という大作を発売しました。実はこれの前作と言うべき作品である『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、僕の人生の方向性をかなり大きく変えた作品です。言葉を読むこと、物語を生きること、文学研究者になること、そうしたことの発端にはこの作品を含む村上春樹作品への大きな傾倒がありました。僕の20代は、常にこの作品と一緒にあったと思います。

この二つの作品のテーマが、まさに「壁」でした。もちろん今回の展示を企画する間には『街とその不確かな壁』の情報は一切出ておりませんでしたし、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』も、僕の念頭に強くあったかというと、そうでもありません。

それでも、この「壁」と名付けた写真展の直前に、村上春樹が「喉に刺さった魚の小骨」と43年間感じ続けてきた『街とその不確かな壁』と言う象徴的なタイトルの「壁についての物語」を発売したことには、個人的には何か大きな、自分にとっての運命のようなものを感じました。と言うのも、この写真展の一年前に、同じくGoogleさんのサポートを得て開かれたオンラインギャラリー、「Go Beyond」でも、僕は「壁」を内面のテーマとして展示をしたからです。

この時に自分の展示のタイトルとしたのは、Always on the side of the eggでした。これは、村上春樹がエルサレムの文学賞で語った話の一節です。

よく「壁と卵の話」と言われるこのスピーチは、時に形を変える巨大な「壁」に対して、壊れやすい「卵」の側に自分は立ちたいと村上春樹が語ったものでした。

もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。
そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?

https://murakami-haruki-times.com/jerusalemprize/

このスピーチを読んだ時、僕は村上春樹という作家が、僕の思考の基盤、感情の核心の部分に存在し続けていることを強く感じました。そしてそのことを、なんと表現したらいいのか、誇りに思いました。少なからず現代の価値観(若干ピーキーなほどに「正しさ」が喧伝される令和の価値観)からはずれ始めている、古い時代の大作家かもしれないけれど、それでもその古びた価値観をなんとか引っ張ってきながら、一番底のところで世界に対して、真実に対して、弱きものに対して誠実であろうと心がける作家を、一瞬の迷いもなく敬愛し続けてきたことは、僕の人生の誇りの一つなんです。

ちょっと脱線しましたね。「壁」についての話を続けましょう。村上春樹の作品においては、常に「壁」は、中心的なモチーフ、特に人の移動を物理的にも精神的にも妨げ、閉じ込める対象として機能してきました。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』においてはもちろん、『ねじまき鳥クロニクル』でも「壁」は何度もヒロインとの邂逅を妨げるものとして出てきましたし、今回の『街とその不確かな壁』においても、やはりそうでした。壁、そして、壊れやすいものとしての卵。村上春樹の中心的課題を、僕自身もずっとこの30年間引き継ぎながら、今までのらりくらりと生きてきました。

そんな経緯がある中での今回の「壁」展。もちろん個人的なテーマは再び「壁と卵」でしたが、僕は今回の展示において「壁」を村上春樹から受け継ぎながら、少しだけ展開して自分の壁とは何か、考えようと思ったのです。

と言うのは、展示に来てくれた方はもしかしたら見てくださったかもしれませんが、こんなキャプションを展示に際して準備をしたからです。

壁に光が当たる時、そこに二つの現象が発生します。宇宙から来た光がそこで旅路を終えたことを示す順光の「光跡」と、もう一方は、その光が壁に届く直前、他の何かに遮られて、壁まで光が届かなかったことの証左である「影」の刻印。壁において起こるドラマは、実は「写真の原理」そのものであるような気がしました。到達した光と、到達しなかった光のアリバイとしての影、それが壁に刻印される、それがフィルムに刻印される、それがセンサーに刻印される

そのようにして「壁」を捉えた時、壁とは我々人間の移動を阻むと同時に、我々写真家が常に向き合う「光と影の相剋」がその場で浮かび上がる、まさにメディアのような存在なのだなと思ったんです。

そこに向き合おうと思ったんです。壁を見ることは、写真という行為の核心を見ることではないか、そう感じたんですね。そして、メンバー全員が、「写真表現」のメタファーのように機能する壁と向き合ってみたら面白いんじゃないか。だから、壁なんです。

そしてそこには、同時にたくさんの意味が多層的に被ることになりました。コロナ禍の戒厳令の中で世界中の人々が見つめ続けた家の中の「壁」、人と人が出会う時にその邂逅を阻む心の「壁」、あるいは暴風が吹き荒れる日に我々を守る「壁」、我々の生活の中に立ち現れては消え、時に我々を抑圧し、時に我々を守る様々な「壁」は、村上春樹がまさに自らの長編のタイトルで示唆したように「不確かな壁」として立ち現れます。そのことを強く感じた3年間でした。コロナ禍の終わりに、僕らが乗り越えた壁、乗り越えられなかった壁、崩れ去った壁、いまだに周りを囲む壁を、今だから振り返ることができるんじゃないか、そんな思いもありました。

今回の全体ディレクター Yuki Okubo(左)。若き才能。

(3)Google Pixel展もまた「壁」への挑戦です。

そしてPixel展の方も実は裏テーマは壁だったんですね。

見てくださったみなさんには伝わったと思うんですが、あのフロアはまさに「写真表現という壁」を意識したものです。あるいは「カメラという壁」かもしれません。というのは、僕自身でさえ数年前まで、スマートフォンのカメラは、表現のためのカメラであるという意識をほとんど持っていなかったことを思い出したからです。

例えば居酒屋のメニューを取ったり、夕ご飯の記録をつけたり、いわゆる一眼レフやミラーレスのような本格的なカメラでは撮らないようなものばかりを撮って、それで良しとしていたんです。いや、そんなことさえ考えてなかった。スマホはあくまでスマホ、無意識下でそれをカメラとは考えてなかったのかもしれません

そんな状況が変わったのは、Googleさんと一緒にPixel 3から本格的に「撮影機械」として、端末と向き合った経験があったからでした。一年ごとに、まるでこれまでの写真とカメラの歴史を学ぶかのように「できること」を増やしていき、数年前まではコテコテのカラーしか出てこなかったスマホカメラが、最新のものでは写真家が唸るようなハイライトとシャドウの表現を獲得するに至って、今こそこのカメラに対して、本当に「カメラ」として向き合ってみたい、そしてこのカメラが出力する写真を、ちゃんと「写真」として扱ってみたい、そう思ったんです。自分の内側にかつてあった、そしてもしかしたら今もまだ多くの人にあるかもしれない、「スマホカメラなんて…」という思い込みを超えていきたい、その壁を壊したいというのが、5Fフロアの展示でした。

展示者全員の度肝を抜いた黒田明臣氏の作品。全長1800mm越えのアクリルプリントの衝撃。まさに「壁を超え行く作品」の象徴の一つ。横には今回のメインビジュアルに使わせていただいた、丹野徹氏の作品ポスター。これもまた我々の思い込みを越え出ていく凄まじい作品。

(4)AIについて考えない日は無い

誤解してほしくないのは、これによって、「これまでのカメラなんてもう不要だ」と言いたいわけではないということなんです。それは明確に違います。むしろ、2023年の時点で立ち現れている問題は、「写真を撮るという行為」そのものが、本当にこれから先残っていくのかということの方だと思っています。つまり、Stabel DiffusionやChatGPTが予感させ、SWPAで実現してしまった「AI写真」の勃興。

この記事の中で、受賞者であるクリエイターは「AI画像は写真ではない」と言って、SWPA受賞を辞退しています。その後この方は、AI生成の写真を「プロンプトグラフィー」と呼ぶべきであると提起しました。

そう、この一連の騒動の中で見えてきたのは、「写真の(あるいはあらゆる視覚表現の)不可能性」と言ったものでした。そんな状況の中で、我々は三ヶ月間、このスマートフォンを手にしてあらゆる場所へと赴き、このスマートフォンで何ができるのかについて考え続けました。問題はこの部分なんです。つまり、「赴くこと」

この記事が示すように、AIには身体がないんです。僕ら人間は、その表現の過程において、記号である文字を使いながら、身体を動かし、その間に篝火を灯すように「意味」を発生させる。記号の非身体性と、僕らの肉と骨という身体性の間にしか、「人間の表現」は生まれないんですね。写真においては、それは、「その場に行くこと」。足を使い、時に息を切らして山を登り、時に眠い目をこすりながら天の川に対峙すること。そのささやかな肉と骨の軋みの前にしか、写真は出てこない。言葉は、出てこない。

そこに一眼レフだろうと、ミラーレスだろうと、スマートフォンカメラだろうと、あるいはフィルムやダゲレオタイプだろうと、何も変わらない。古来からフォトグラファーたちは、「その場に赴き」、シャッターを切ってきた。それは何も変わらない。これからも、多分、変わらない。写真とは、光と影が宇宙からやってくる一回限りしかない「瞬間」を、そこにいた「誰か」が受け取る行為だから。それを僕は、カメラに託された祈りと考えています。祈りを代替することは、何人によってもできない、そう思っています。そう思いたいのです。

僕ら写真家は、その場に行って、シャッターを切る。そのことの間に何の違いもない。

改めてそれを示したかったんですね。

そしてそれには、僕だけの力では絶対に成し遂げること不可能だったので、この10年間ほどの間に培ってきた、信頼のおける仲間たちに協力を仰いで、あの展示が出来上がったわけです。壁は越えられてたでしょうか。多分少しは越えられてたと思うんだけどな。

初日の風景。まだ緊張が若干、、、

(5)みんないい笑顔だった

なんだか壮大な話になってきてますね、ごめんなさいね。今回の写真展で初めて僕のことを知ってくださった人もいるかもしれませんが、本業というか、心の中では「文学研究者」であることの矜持を保ってたい人間なんで、文章はこんな感じなんです。

さて、最後にね。一番大事なこと書きますね。

展示者のみんな、上のフロアでやってたもう一つの展示「サンキュールデコ展」の人たちもすっごい楽しそうだった。そして展示に来てくれたみなさんも、すごく楽しく過ごしてくれてる感じだった。もうマスクつけてない人も多かった。ああ、僕らはコロナという壁を乗り越えたのかなあとちょっと思って、感無量になりました。みなさん、覚えてますか。最初に緊急事態宣言が出た時のことを。僕は「もうこの世界は終わるかもしれない」と感じました。そして鬱に近いくらい、気持ちが沈んだこともありました。いま我々は、一つ壁を越えたんだと思うんです。あるいは越えようとしている。

もしかしたらそれは単なる誤解で、シーシュポスのように、コロナ禍は永遠に挑む「岩」のような存在なのかもしれない。でもシーシュポスがそうであるように、僕らは時に一瞬だけでも、自分の運命を越え出ることができる。そう僕は信じたくなりました。

そしてもう一つ大事なこと。もっともっとパーソナルなこと。展示者のみんなが仲良くなってくれたのが嬉しかった。そこに年齢差なんて全くないし、有名無名とかも全く関係なく、学生から僕のような中年まで、一緒になってワイワイやれました。そうやって仲間が増えた。それはかつて、僕が「東京カメラ部ヒカリエ展示」で経験したことでした。

写真を初めて数年間、僕は誰とも一緒に撮影に行かず、初の展示でも仲間がおらず一人っきりでした。でもカメラ部のヒカリエの展示で仲間に出会い、彼らと一緒にここまで走ってくることができました。今回も、結局一番大事な部分は、そこで培い、心からその力量を信じることのできる写真家たちにお任せしました。彼らは100%どころか、200%、300%の全力を出して、この展示に臨んでくれました。こんなに嬉しいことはありません。

今回、この展示をきっかけにして、また一つのつながりが生まれたようです。彼らの中から、数年後、最先端を走る写真家が生まれるかもしれない、そんなことを感じるような、そんな光景を見ることができました。僕ら写真家は基本的には孤独な作業で、その孤独こそが作品の純度を高めるのかもしれないけど、でもずっと一人でやることはできない。足りない部分があれば、助け合って支え合わなきゃ、先に進めない。そんな機会を提供できたことが、嬉しく思います。

というわけで、初の写真展主催を、なんとか終えることができました。こんな純度の高い写真展をまた開けるかはわからないんですが、それでも、またこのサロンを通じて、次の展示もできたらなと思っています。

今はちょっと体ボロボロで、しばらくはやめたいですけどね笑

繰り返しになりますが、ご来場の皆様、本当にありがとうございました。みなさんが来てくださったおかげで、展示者一同、本当に貴重な経験をさせていただきました。サポートしてくださったGoogleと博報堂の皆さんにも、改めて深い感謝を。両社のサポートなしには形にさえなりませんでした。また、初の展示者が多い中、細部に至るまでプリントや額装のサポートをくださった、富士フイルムのプロラボ、クリエイトの皆さん、特に担当の高橋さん、ありがとうございました。多分かなり無茶なことをたくさん言ったと思いますが、ニコニコ笑顔で引き受けてくださいました。何か返さないと、、、

同時に開催されていた「サンキュールデコ」の主催者や展示者の皆さん、さらには会場の渋谷ルデコの皆様にも感謝を伝えたいです。一緒に展示期間を過ごせて光栄でした

さらに最後の最後に、一緒に展示してくれたサロンメンバーのみんな、ありがとう。そして、何もできない主催者の代わりに展示を取り仕切ってくれた運営、特に全体のディレクションと展示自体のデザインをしてくれたYuki Okuboに深い感謝を。

みんは、またやりましょう。腰と背中の痛みが消えた頃にでも。

2023.5.2

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別所隆弘
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