「フォロー/フォロワー時代」が終わった後に必要な資質について
(1)アルゴリズムドリブンの世界がついにやってきた
今日はここ数年よく言われてきた「フォロワー数多くても意味ない」とか「バズっても仕事に結びつかない」みたいな話の中身を、ざっくばらんに書いてみようかなと思ってます。SNSが主戦場の個人クリエイター、個人事業主向きのお話。前提としてまず以下の点を書いておきます。
現時点ではフォロワー数多い方がクリエイターには有利ではある
これからそのウェイトはどんどん低くなるけど、全くその意味がゼロにはなるわけでもない
バズっても仕事に結びつかないと言うわけではない
とはいえその仕事が継続するかどうかは、バズとはあまり関係ない
今日の話は、いわゆる「本物の天才」には一つも当てはまらない
この辺りを前提としてまずは念頭に置いて頂いた上で、こんな話を書こうと思ったのは、この記事を読んだからですね。
https://note.com/etomiho/n/nf9c2e54f5a59
皆さんもこの数ヶ月で、あるいはInstagramでは数年単位で感じられてるかもしれませんが、タイムラインがこれまでの「最新表示」とか「フォローしている人の表示」だったものから、プラットフォーム側がアルゴリズムで選別するタイムラインへと劇的に変わりつつあります。1ヶ月ほど前にこんなツイートしました。
この頃Twitterの表示方法が大きく変わって来たんです。Instagramでは数年前から、あるいはTikTokは初期からそうだった、アルゴリズムドリブンのタイムラインへと舵を切ったのだと思います。めちゃくちゃ平たくいうと「最新情報」が伝統的に強かったTwitterにおいても、プラットフォームが見せたい情報が表に出るようになったわけです。
その目的は一つで、SNS発信力の所在を、個人からプラットフォームへと取り戻す流れを加速することです。上の記事でも引用されていますが、ウェブ世界のビジョナリーであるけんすうさんのツイートを見てみましょう。
一連のツイートが示している通り、プラットフォーム側から見れば、個人が力を持ちすぎると、プラットフォームの命運まで個人に握られてしまう。安定した運営には、プラットフォーム側が力を持つしかないわけです。
この流れは最初は僕も違和感を覚えていたんですが、最近ちょっと考え方を変えました。成田悠輔先生の「22世紀の民主主義」を読んだからですね。
SNSの持っている情報流通加速の能力は、個人がぶん回すにはやっぱり問題あるんです。炎上や誹謗中傷、そしてフェイク情報や陰謀論が渦巻くのが、今の「個人に力を持たせすぎたSNS」の生み出した世界。そんな世界をこれからもずっと続けるより、アルゴリズムを精緻化して「可能な限り多くの人がハッピーなSNS」を目指す方が、おそらく全体にとっては利便性が高い。というか、もうヨーロッパではそれを法的に追求する状況にさえなりつつある。
もちろんアルゴリズムが行き着く先は人間不在のディストピアの可能性もあるんですが、それでもやはり、個人が簡単に無茶できる今のシステムよりは、まだアルゴリズムに踊らされる方がいいような気がして来ています。まあこれは余談。
(2)「伝説の剣」はもうない
そんなわけで、これまでリツイートでゴリゴリとアテンションを稼げるSNSだったTwitterも早ければあと数ヶ月程度で、遅くとも数年以内には、個人がアテンションをどうこうできるSNSではなくなります。
で、この流れはちょっと前から徐々に進んでて、その流れの中で「今後はフォロワー数多くても意味ない」とか「バズっても仕事に結びつかない」みたいな言説がよく言われていました。僕自身も観光の文脈では「一過性のバズは意味がない」と言うようなこともありました。でもこれは実は、ちょっと中間の話を端折りすぎた極論です。アルゴリズムドリブンのSNSが今後主流になっても、フォロワー数の多さやバズの効能はある程度残されます。当たり前ですが、インプレッションやアテンションの多さはある程度仕事には有利に働くからです。
とはいえ、今後はそれらが「錦の御旗」のように、あるいは「伝説の剣」のように強力な力を発するかというと、それはもう少なくなっていくだろうと思います。というのは、今のアテンション経済の中では、最適解は極論すると「炎上し続けること」なので、その不毛さを回避するためには、アテンション自体をアルゴリズムで制御するしか道はありません。こうなると、フォロワー数が多くても、アルゴリズムで表示が下げられればインプレッションもアテンションも獲得できませんし、バズも「起こしたいけど起こらない」とか「予想外のバズが起こった」とか、こちらで制御できない不確定要素に支配されるので、仕事の指標としては役に立たなくなるでしょう。実際の僕のインスタグラムも、かなり適当にやってるのにも関わらず、あるリール動画がずっと伸び続けてます。
僕、インスタグラムはマジで適当にやってて、コメントは返さないしDM見てないし、タグも適当です。交流する意思の一切ない、SNSの墓場みたいな場所です。この動画も初日の再生数なんて1000くらいだったんですが、今見たら20万くらいの再生数まで伸びてました。何にもしてないんですけどね。僕だけじゃなく、友人もある日突然600万再生が出たりという話も聞きました。じゃあ僕の他の動画や写真が同じように見られてるかというと、全くそんなことないわけです。アルゴリズムで数百と数百万の表示の差が出る。こんなの予想も制御も個人には無理ですね。
そう言う時代になっていくので、個人クリエイターはこれまでのように「フォロワー増やさなくてはいけない」とか「出した成果物をバズらせねばならない」とかいう文脈とは別の部分を培っていかなくてはいけない。それは何なのかを次はお話しします。
(3)いつもアイツに仕事が来る理由
自分で仕事を振る側になってわかったんですが、フォロワーの数字がどれだけ多くても、バズを作る能力が高かったとしても、それがすなわち「いい仕事」に繋がるかというと、実はそれほどそこには大きな相関性がなかったりもします。SNSで大きく名前が出てくるインフルエンサーやクリエイターは、割と「主戦場」が狭いこと、そしてセルフブランディングの身振りが身につきすぎていて「それ以外の部分が全く表に見えないこと」が遠因だろうと思ってます。平たくいうと、10万人フォロワーがいて、20万RT狙えるクリエイティブがあったとしても、「仕事ができるかどうかは未知数」なんです。これほんと。仕事振る側になって痛感しました。
あともう一つ、クリエイティブ業界にしばらくいてわかったことなんですが、SNSで有名になっている人でもなっていない人でも、仕事ができる人、仕事が回ってくる人って、割と限られてるんです。本当に、何十人かの人に仕事が集中していく。皆さんの周りにも、いつだって仕事が回ってきてるクリエイターさんっていませんか?これ、別にコネとかで回してるとかじゃないんです(いやそれもあるかもだけど)。忙しい人はずっと忙しい。なぜなんでしょう?答えは簡単、仕事ができるから。
と、この二つの現象を考えたとき、まずはSNSで必要なある程度の数値が見えてきます。フォロワー10万とか、クリエイティブで働くと言うことだけ考えたら不要なんですよね。もちろん10万フォロワーって数字がデカくてかっこいいのはかっこいいかもしれませんが、あくまで承認欲求が気持ちいいくらいです。それと仕事ができることの間には、相関性はほとんどない。そして今や多くの発注側、クライアント側がそのことを知っている状況です。
だから、今でもそんな多くのフォロワーを目指す必要はないし、今後はもっとその傾向は強くなっていく。そういう状況考えると、数千人程度のフォロワーがいてくれたら、基礎的な発信力みたいなものは備わって来ます。それ以上いても全然いいけど、その数値をクリアしておけば、それ以降もっと大事な「仕事」がどうなっていくかは「別要因」の方が大事になってくる。ではそれは何か。一覧で書きますね。
社会人として求められる事務能力(メールのやりとり、税金の知識、その他諸々社会で生きていくときの実務的能力)
人間としての基本的な倫理性
調整やコミュニケーションの能力
文章力、プレゼンテーション能力
企画力、拡散力
こんな感じかなと。中でも特に問題になるのは2と4かな。1は大事だけど割とすぐ身につきます。3と5は仕事をしていく中で磨かれていきます。でも2と4はそれぞれ割と培うのに時間が必要なんです。一朝一夕にできるものじゃなくて、人生の中で少しずつ伸ばして行ったり作って行ったりしなきゃいけない部分。
とはいえ、結局全部大事なんです。1と2は信頼性に関わる部分です。仕事の一番「底」の部分を固めてくれる要素。建物の土台部分です。「この人に仕事を任せてもいい」と安心できる部分がないと、長期にわたっての関係性を構築することはできません。
3は仕事をしていく中で数々の問題が出てくるのを円滑にこなしながら、落とし所を見つけていくためには必須の能力です。仕事が良くできる人ってのは、完璧に何もかも最初からこなせる人ではなくて、むしろ問題が出た時でも粘り強く対案出したり、別のクリエイティブで補完したりと、調整&コミュニケーションができる人であるように思います。
そして今も大事だけど、今後より必要になってくるのは4と5です。このことはまたいつか別の記事で話をすることになりますが、アルゴリズムドリブンのAIの中で生き残っていくためには、「自分の存在が何であるか」という存在証明を自ら立てていかなくてはならなくなります。それには文章は必須ですし、それを適切に形にするプレゼンテーション能力も大事です。アルゴリズム任せのバズでは、存在は「情報」として処理されるデータにしかならないんです。この辺りは僕の専門領域なので、いずれまたどこか別の記事で。
また、企画力、拡散力というのは、新たなクリエイティブや成果を発案すること、そしてそれを外向けに発信して「世界を開いていくこと」に関わります。この辺りもまたいつか書きますね。今日はざっくりの話のつもりが、もう長くなって来たので。
というわけで、SNSにおける「フォローフォロワー数の世界の終焉」がいよいよ本当に来るにあたって、僕らはそろそろ準備を始めないといけないわけなんです。いくつもの変革が起きて、僕らは大波に飲まれるようにその変革の衝撃を受けることになりますが、今はまだ「現在のモード」が生きている状態です。フォトナでいうところのシーズンパスの最後の方が今です。でももう、次のシーズンの予告編が始まってると思ってください。今のシーズンで生活基盤を維持しつつ、徐々に新マップやギミックの紹介が始まっている「新シーズン開幕」への対応を始めていく時期です。今はまさにそんな状況なので、ちょっとずつ対応を考えていきたいところです。