「写真を大ごとにしたくない」と友人は言った
この前、友人の黒田明臣くん @crypingraphy と、それぞれのサロンメンバー向けの対談イベントをやった。ここからは普段通り、彼のことはあきりんと呼ぶことにする。
で、そのあきりんは、写真業界では知らない人なんてほとんどいないだろう人物で、写真系のクリエイティブ集団XICOを率いる代表でもあるし、一人の写真家としても、おそらく日本最高峰の技術を持つ人物写真家でもある。
そのあきりんとは、どう言うわけか仲良くさせて頂いている。撮る写真も趣味も生き方も専門もほとんど接点がないにも関わらず。
最初の出会いは、ずいぶん奇妙なものだった。我々自身、まだまだ世の中において、ほぼ何の位置も占めていないような無名時代で、どういうわけか出会いの時にはトルストイとドストエフスキーの話で盛り上がって、写真の話はほとんどしてなかった。後々まで記憶に残るようなその最初の出会いから、今のような状況になるなんて、人生は不思議なものだ。
話を現在に戻そう。あきりんは僕よりも6歳くらい年下なのだけど、仕事に対するマインドだったり、業界の行く末を見抜く知性や意志の力は、年下とか関係なく尊敬できる人物で、写真界隈に留まらずこの数年で一番影響を受けた人物の一人でもある。そんな彼との対談イベントだったので、話題は基本的にはメチャクチャで、普通僕は対談となると、ちゃんと話す内容を事前に準備していくし、相手の出方だったりコミュニケーションの多寡によって自分の話す量を調整したり、とりあえず「場がちゃんと整うこと」を最大限意識して臨むのだけど、その対談は本当にめちゃくちゃで、僕もそうだし、多分あきりんも何も考えずにテーマだけ決めて、思いつく限り2時間話し続けるという、よくわからない対談になった。でもそれで何となく場が維持できてしまう程度には、これまで色々ずっといろんなことをやってきた相手なのだ。
そんな対談の最後の方に、あきりんが言ったのが、今日の記事のタイトルのところだった。
「写真を大ごとにしたくない」
その後に確か、「写真を枝豆とかポテトフライみたいな立ち位置にしたい」とも言ってた気がする。あきりんらしい、ぶっ飛んだフレーズで、聞いてた人にとっては、割と突然のような表現だったかもしれない。でも枝豆やポテトフライは置いといても、この「写真を大ごとにしたくない」というのは、あきりんは多分ずいぶん前から言ってたような気がして、僕には馴染みのある表現だったし、何より僕自身も似たようなことを思ってたのだ。
そして今日、ふと改めて「写真を大ごとにしたくない」と彼が言ったことをぼんやりと考えていて、「ああそうだなあ」と、ちょっと一段深いところに腹落ちした感じがあったので、そのことを書いておきたくなった。ここまでが前振り。そして最後は、今やっている展示の話へと繋がっていきます。その前に、ちょっと脱線させてほしい。
(1)「所詮文学だよ、別所くん」と、彼はいった
あれは文学研究科の修士2年目の秋頃だったと記憶している。もしかしたら博士1年目だったかも。20代中盤から後半にかけての頃。僕は大学院でアメリカ文学を研究していて、そろそろ本格的にいろんな学会に顔を出すようになってきた頃だった。そしてそのタイミングで、限界がやってきた。文学をやること、研究をすること、学会に出て発表したり、論文を書いたりすること。同時に仕事をしながら、研究をすることのしんどさがシンクロして、何かを読んだり書いたりすることが本当にしんどくなって、子どもの頃から自分を救い続けてくれた「文学」や「小説」を嫌いになる寸前だった。もうこれ以上1ページも読みたくない。真剣にやればやるほど、ますますその深みの底が見えず、テクストの圧倒的な文化的濃密さに、息もできないような気分だった。好きだからこそ逃げたくなかったし、好きだからこそ全力であたろうとしていた。そして臨界点が来て、僕は逃げ出そうと思っていた。辞める寸前だったと思う。そんな時、僕が大学院で尊敬していた、一人の先輩に、ポロッと「最近読むのがしんどいんですよね」と漏らしたのだった。
その先輩は、端的にいうと天才だった。僕は天才という言葉が基本的に嫌いで、天才という言葉の持っている、実は全くその才能に興味がないことを含意しているかのような軽々しい響きが大嫌いだった。天才と呼ばれる人物たちが、その裏で、他者の想像を絶するような努力をしていることを、ほとんど見ようともしないお手軽な言葉だと思ったからだ。
「あいつマジ天才、うん、向こうの世界(はい、おしまい、次いこかウェイ)」
だから僕は、本当の才能を目の前にした時に天才という言葉をあまり使わない。でも人生で数人、「ああ、こいつは本当に神に愛されている」と言う人物に出会ってきて、この先輩はその一人だった。テクストを読むことの天才だった。彼の手にかかれば、全ての文章が、その包含している意味の全てを明らかにする。読みの深さ、それを捉えて表現する知性、それらを他のテクストに結びつけて、さらに別の領域へと展開する豊穣な知識と発想力、どれもが桁違いだった。たった数歳年上で、ここまで深いテクスト読みの実践を一人の人間がどうやって獲得し得たのか、おそらく裏打ちされるのは膨大な読書量で、その凄まじさにいつも畏怖を感じた。どう言うわけか、その先輩に、ポロッと弱音を吐いてしまったのだった。
僕はほとんど弱音を吐いたことがない。いや、適当な愚痴はぶつぶつ言うけど、本当に心がしんどい時は、むしろそれを糧にして自分を奮い立たせてきた。逆境でブーストが掛かるタイプなのだ。
だから、人生を振り返って弱音を吐いたのは、この時と、後もう一回、30代の頭に起こった、本当に辛いある一つの出来事の時だけだった。その2回目の時、僕は「もうだめだ」と口にして、そして心が決壊した。悲しみと絶望を必死に押しとどめてきた心を守るATフィールドが瓦解して、人としての形態を維持できなくなってしまった。心が壊れると、体も壊れる。しばらくはまともに動くことさえ出来なかった。今なら心療内科に行くという発想を持てたかもしれないが、当時はそう言う心理的なセラピーはまだ一般的ではなかったと記憶しているし、そもそも僕自身がそう言う救いの道があることさえ知らなかった。だから、壊れた後、直すのにずいぶん時間がかかった。3年の月日を、僕はただ、静かな絶望と怒りの暗闇の中で失った。
その心の崩壊からなんとか復活した後も、僕は30代の中盤のほとんどを、沈黙の中で過ごすことになった。それくらい、僕にとって「弱音を吐く」と言うのは、非日常のことで、大抵のことはそこまで行くことなく切り抜けられると思っているし、実際切り抜けてきた。だから、初めて人に弱音を吐いたあの時も、僕は本当に限界を迎えていたのだ。「もうこれ以上はいけない、これ以上読んだり書いたりできない。もうやめよう」そんな心の叫びが含意された「最近読むのがしんどいんですよね」というたった一言の弱音。もし他の人がその言葉を聞いても、研究でちょっと疲れた院生の愚痴くらいに聞こえたかもしれない。でも天才は違った。おそらく僕の置かれた立ち位置や僕の性格の全てをわかった上で、その含意も全て分かった上で、こう言ったのだった。
「所詮文学だよ、別所くん。生きることの方が大事だ」
その一言は、僕に絡まりついていた分厚いテクストの呪縛を解いて、まるで海の向こうからやってくる最初の光のような、ほのかな温かみを感じさせる言葉だった。彼は、その後に続けて、こんな風なことを言ったと記憶している。
「僕もいまだに何を読んでもよくわからんし、昔の作者の言うことに辿り着けたと思ったこともないけど、自分にできるのは自分が読んだと言うことを途切れさせないことだけだと思ってる」
天才もまた、多分、僕と同じような苦しさと絶望を経てきたことを思わせるような、そんな話を語ってくれた。そしてその時を境にして、僕は再び研究に戻ることが可能になった。危うかった論文を立て直して、ちゃんと学会に提出して、最終的にその論文は、大きな英語文学系の学会の学会誌に載った。それは研究者としては、割と誇っていい業績になった。
それ以後、僕は、ことあるごとに「所詮文学だよ」と言った彼の言葉をよく思い出すことになる。そしてその時の彼の言った「所詮文学だよ」と言う言葉に共鳴したのが、あきりんのいう「写真を大ごとにしたくない」と言う言葉だった。
(2)手のひらに収まる程度のささやかな
大学院生の時、僕を苦しめたのは、「自分がやっているのは歴史的な分厚さのあるテクストの深層へとたどり着くことだ」と言う、強烈な自意識だった。それに尽きる。対象の巨大さをそのままに捉えて、自分自身もそのサイズへと巨大化させなければならない、偉大にならなければいけないというプレッシャー。それが肥大化して、ついには、原初の喜び、読むことの喜び、書くことの喜び、知ることの喜び、世界が広がることの喜びを蝕んでいった。ただひたすら「大きくならねばならない」と言う呪縛が、僕の意識を苛み、他のことを見えなくしていった。その凝り固まった意識に差し込んだ光が「所詮文学だよ」と言う、先輩の言葉だった。
写真の世界に入った時も、だからこそ、「所詮は写真だよな」と自分に言い聞かせながら、ずっと写真を撮り続けてきた。それは写真を軽んじると言うことではなく、写真を巨大化して、肥大化して、そのサイズ感に飲み込まれるという、かつて文学研究の時に陥った呪縛を同じことが、写真にも起こり得ると言うことが分かっていたからだった。
その感覚は、TwitterをはじめとするSNSのフォロワーが増えていったり、大きなフォトコンを受賞したり、大きな仕事に起用されたりするたびに、少しずつ「警告」として僕の内側で大きくなっていった。仕事を順調にすればするほど、周りにいる写真家やクリエイターたちも、最前線で戦う一流の人物たちが増えていった。その度に、かつての文学研究時代のようなプレッシャーを感じる自分に対して、「所詮文学、所詮写真だ。」と僕は言い続けてきたように思う。
最初にも書いたけど、それは文学や写真を軽んじることでは決してない。これは再度伝えておきたい。この言葉のニュアンスを伝えることが難しいのだが、写真を撮っていて感じる、物凄くパーソナルな喜びを大事にしたい、そう言うことなのだと思う。時に写真が大きなバズを引き起こしたり、何か「大ごと」につながる可能性があるのはよく知っている。と言うより、僕の人生は、たった一枚の飛行機の写真で、全てが変わった。一人の人生を、一瞬でスケールして、その軌道を上向きにさせるような強烈な力が、写真は、そしてあらゆるクリエイティブには存在している。それに、今ちょうど僕は、一昨日に出した写真が、少し大きめのバズを引き越しているところだ。
写真にはやはりパワーがある。大ごとにもなりうる。こうやって多くの人に見てもらえるのは、すごく嬉しい。それは紛れもない事実。
でも、それでも、写真をやっていることの本来の動機や核心は、いつだってパーソナルなものなのだ。ひっそりとしていて、心の内側でその喜びを噛み締めるような、そういうとてもささやかなこと。この写真を撮った時も、空に向かって描く軌跡を見上げながら、その瞬間に立ち会えたこと、そしてその瞬間をちゃんと自分のシャッターで押さえることができた純粋な喜びに満ち溢れていた。僕だけではなく、その場にいた全てのフォトグラファーたちが、その瞬間にいたことの喜びを、ただただ噛み締めていた。現場はいつだって、そんなささやかで充実した喜びに満ち溢れている。
SNS時代の今、写真は可能性として「大ごと」になることはあったとしても、だからと言って、最初から写真をそのような「巨大な商業的可能性を持つメディアである」と見做したり、あるいは「ハイカルチャーに属する伝統的なアート」と大上段に構えてしまうと、あのシャッターを切った時のひっそりとした喜びから乖離してしまうような気がする。その乖離が、写真を苦しくする、シャッターを苦しくする。最初から向こうに「巨大なサイズ」を想定してシャッターを切ることほど、辛いことはない。せめて、その瞬間くらいは、自分の掌に収まる程度の小さな喜びを噛み締めておきたい。それを一言で言うと「所詮文学」であり、「所詮写真」であり、そしてあきりんが言ったこと、
「写真を大ごとにしたくない」
と言うことの核心ではないか。そんな風に思う。
(3)大ごとではない写真展
そんな彼と、そして写真仲間8人と一緒に、オンライン展示を今開催している。これ。
参加している写真家は、僕を除いて、本当に最前線にいるトップの写真家ばかり。そしてサポートはなんとGoogle。これだけを見ると、明らかに「大ごと」だ。でも、展示を開いてみて頂いたらわかるように、展示はその「大ごと」感をあまり出していない。むしろ、写真はほとんど拡大できないし、余白の方が多いくらい。でもそのひっそりとした感じは、自分一人だけで写真を楽しむ、静かな展示室での体験のような、そんなプライベートなもの。
この展示の枠組みを数ヶ月前に初めてあきりんから聞かされ、そしてローンチ前にこの展示の形をみた時に、あきりんが再び「写真を大ごとにしたくない」と、彼が言い続けてきたことを、最も洗練された形で表現したんだなと言うことがよく分かった。そして、展示者としてそこに自分もいさせてもらえることに、強い幸福感を感じた。
そのあきりんが書いたnoteを合わせて読んでいただくと、よりこの展示に寄せた思いが、立体的に立ち上がってくるはず。
そして僕の展示スペースはこちら。
ぜひ「体験」してほしい。そしてこれまで僕は、自分の写真にあまりキャプションをつけてこなかったが、今回はしっかりと、自分のこれまでの「軌跡」を曝け出すようにして書いている。2021年までの全てが、この展示に入っています。
と言うことで、クリスマスにすごく大事なことを書けてよかった。これはいわば、自分へのクリスマスプレゼントみたいなもの。皆さんとっても、今日がよき日になりますように。
メリークリスマス。