悲願へ
執行草舟著「悲願へ—松下幸之助と現代」を読みました。著者は実業家で、著述家で歌人と三足の草鞋を履く方です。。全く知らなかったのですが、ちらほらお名前を聞くようになり、読書会にお誘いも頂いてようやく手に取りました。本書は著者が松下幸之助についてPHP研究所と松下政経塾で行った二つの講演録です。
タイトルの「悲願へ」というのが良く分からなかったのですがまえがきに、「悲願とは、自分の生命の奥深くから生まれる祈りである。人間の悲しみが生み出す、愛の呻吟なのだ。それは、国や他者に捧げられた人間の魂が織りなす究極の姿とも言えよう。言葉にはならなぬ涙と言ってもいい。それを松下幸之助はふんだんに持っていた。その思いが馳せる先にはあるものを摑まなければならないのだ。松下幸之助を学ぶとは、その言葉ではない。その憧れであり、祈りを感ずることに他ならない。」とありました。悲願の説明のために引用したので、その目的なら「~市の呻吟なのだ。」あたりで終わりでも良かったのですが、様々な言いかえとそれを松下幸之助が持っていたとする辺りがとても大切に思えました。一方で、この調子で書かれたらなかなか進まないなという不安にもかられてしまいました。
松下幸之助は昭和21年にPHP理念を唱えたとありました。PHPとは「Peace and Happiness through Prosperity」の頭文字で直訳すると「繁栄を通して平和と幸福を」という意味です。以前、何かの本で読んだことがありましたが、とても耳障りの良い言葉で「なるほど」と思っただけでスルーしいました。著者は、昭和21年、戦後の焼け野原で、弱く貧しい日本だった頃にこの理念を唱えたことに感心し、「この時代に『繁栄を通して平和と幸福を』と唱えることは、実業家にとって事故の生存の基盤を失う危険を伴う思想であった。」としています。と言われても今一つピンとこないのですが、要は時代背景からすれば、「繁栄を通して平和と幸福を」は夢物語、現実とはかけ離れたことだからだということです。そうしたことから著者は松下幸之助を「革命家」、「日本の未来を見据えた予言者」と評しており、一大事業を為した単なる「成功者」ではないとしています。そして「我々はいま、戦後の貧しかった日本人の心に問いかけ直さなければならない。その代表的な一人が松下幸之助なのである。」としています。
我々の年代のような恵まれた世代からは考えられないような状態の中から、夢物語を唱えたという凄さは何となく理解できるような気がしますが、それではまだまだ浅い気がしています。
明日に続きます。