悲願へ 11


 続きです。

 「崇高と無頼」という項がありました。「崇高」は既出ですが、「無頼」は初めてです。今は時代が「柔」なので、「剛」なるものを獲得しなければならないとありました。これは「高貴性と野蛮性」を置き換えたものと解釈できますので「剛」は「野蛮性」あるいは「不良性」とありました。この二つは「無頼の精神」とも言われているそうです。しかし続けて「つまり革命です。」とありました。うーん、ここはちょっと飛びすぎでしょう。「無頼」は武士道精神の中で、一番重要なものだということでした。私自身も割と「無頼」な方だと思うのですが、ここでいう「無頼」というよりも、「人に頼るのが下手」という感じです。「崇高」を目指すためには「無頼」が必要と解釈できましたが、私はもう少し「無頼」を掘り下げないといけません。

 続いて「衆知と時限立法」という項ですが、「松下幸之助の掲げたことと話したことの全部が周知の知恵に基づいていて、それらはすべて時限立法であることが分からないと『松下思想』が捉えられない」とありました。また「大成功者の多くは、『時限立法の思想』だ」ともありました。これまで「繁栄」について、時代背景から考えなければいけないと言っていましたので、「時限立法」もそれに近いもの、要は時代背景も踏まえて、時代と共に変化してしまうものだと解釈できました。そして、その時代に必要な価値観が「衆知」だともありました。

 著者も松下幸之助も「欲がない」とありました。著者はお金、成功に興味がなく、大学を出ても欲しいものもなく、「死ぬまで過去の『偉大な精神』と対面さえしていれば、それだけで満足です。」とあり、そういう人間だからこそ松下幸之助の心が分かると言っていました。「欲」というのも難しいところで、著者自身が「『偉大な精神』と対面したい」という欲を持っていることが分かります。何より、食事や睡眠を摂らないはずがありませんから、ここでいう「欲がない」は完全なゼロではないのでしょう。私自身は車も時計も無ければ無くていいし、服は選ぶのが面倒なので最低限でいいし、それでも、ライブ観に行ったり酒呑んだりはしたいので、「欲がない」とまでは言えないでしょう。一方で、「会社のため」、「従業員のため」、「社会のため」みたいな欲はどういう捉え方になるのかまでは言及されていませんでした。

 「善人は何もできない。善行をこの世で施すのは悪人なのです。」とありました。これも「???」となってしまいますが、昔は「力があって、人徳があり本当に何かが出来る人」を皆が「悪党」といったということでした。今の社会では、真の悪党が上層にいないので、、本当に意味で社会を良い方向に引っ張ってくれないとありました。そういう意味では、安倍晋三氏は「悪党」だったのかななんて思います。

 最後は「覚悟を決めて独立自尊の生き方をどうか切り拓いて下さい。」と〆て、一つ目の講演は終了しました。

 さらに続きます。

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