本場のタコスパーティーに圧倒されてラテンダンスを週5で踊り始めた話
ようやく秋で暑い夏も終わりそう。そろそろ、1年前にあった出来事を、振り返ろうと思います。そう、人生の転機になった、あの1年前のタコスパーティーの話を・・
きっかけはタコスパーティー
「Takahiro!今度シェアハウスでタコスパーティーするけど参加する?」
一緒に住んでいた日系メキシコ人のシェアメイトからのお誘いだった。当時の僕は京都と長野で二拠点生活をしていた。その日は長野にいる予定だったが、本場のタコスが食べられるというのは魅力的だと思い、京都に残って参加することにした。
「何人参加するの?」と聞くと、「30人!」と返ってくる。
「30人!!!!!!!!」
前提として、我々が住んでいるシェアメイトはそんなに広いわけでなく、極めて一般的な一軒家である。キッチンとリビングで開催するとして、30人、入るわけがない。
この頃から、雲行きの怪しさを感じつつも、タコスを期待して、当日を楽しみにしていた。
タコスパーティーは19時ごろから開始だったのだけど、ちょうどその日、19時〜22時でオンラインMTGがあったので、近くのカフェでオンラインMTGを済ませ、家に戻った。
なるほど。悪い予感とはこのことだったのか。もう既にタコスはなく、家のリビングは10人近くが踊っており、完全にクラブ状態だった。もう22時だが、近隣からクレームは来ないのだろうか、1人で勝手に心配していた。
踊っていたのは、どうやらラテンアメリカ出身の人たちだったようだ。そして、24時を過ぎてもこのテンションは続いた。そろそろ寝たいのだが・・
主催者であるシェアメイトに「これ、いつ終わんの?」と何度も問い詰める。しかし、返ってくるのは「ラテンの人たち、一度踊り始めると止まらないね・・」という返答だけ。もう誰にも止めることはできない。最終的に、2〜3時にようやく終わったものの、それまで眠れるようなテンションではなかった。
ここで終われば、単なるトラウマ体験だ。ただ、本題はここから。
正直、当時はパーティー大好き人間たちと、わかりあうのは難しいだろう、と思っていた。
だけど、時間が経つとともに、「本当はタコスパーティーで一緒に踊りたいと思っていた自分もいたのでは?」ということに気づいたのだ。
あの時怒っていたのは、単に羨ましかっただけではないのではないか。
この辺りから、彼ら彼女たちを「単なるパーティー大好き人間であり、分かり合えない」と切り離すのでなく、彼ら彼女たちの視点から物事を眺めたくなった。
そんなタコスパーティーから9ヶ月近く経った頃、ひょんなことからラテンダンスのレッスンを受けることになった。上に書いたような、「彼ら彼女たちの視点を知りたい」という異文化理解の欲求もあったし、単純に挑戦してみたいと感じた。
そうしたら、まんまとハマってしまったわけだ。音楽も長いことやっていたし、学生時代ダンスのサークルに入っていたというのもあり、ハマるための条件は揃っていた。タコスパーティーからの溜めが、ラテンダンスに繋がった。
京都に楽園(サルサバー)があった
幸運だったのは、京都市内、家の近所に、20年続くサルサバーがあったことだ。
ちなみに、Googleの口コミを見たら、海外からの滞在者の熱狂的な口コミが出てきた。
海外からの声を紹介したが、現地の人たちもたくさん来ている。若者からおじさま・おばさままで。
おそらく、多くの人は、どういう空間なのかのイメージがついてないであろう。バーの雰囲気を掴むための情報をいくつか書く。主に、レッスンとパーティーという2つの構成で分かれており、レッスンで踊りを学び、パーティーではフリースタイルで踊る。
パーティーの雰囲気はこんな感じである。
ちなみに上の口コミに出てくる「ロドリーゴ」さんはオーナーであり、日本人である。もうすぐ71歳ながら、お店の現場の前線に立っている。あと20年は続ける予定とのことだ。最高すぎる。
多様な人種が混ざり合って踊っている光景、スーツ姿の中年おじさんがサルサをキレキレに踊っている姿など、かなり色んな意味で刺激的な光景を楽しむことができる。
この環境で、出会う人たちの熱量やカオス感、ペアダンスの楽しさに、すっかりハマってしまったのだ。
今、京都市が「2050年まで残したい!あなたのお気に入りの京都は?」というアンケートをしているが、即答で、何の迷いなく、この場所を回答するだろう。
今では週5でレッスンに通って踊っている。今では、サルサ・バチャータ・キゾンバと、全く異なるダンスを同時に習っている。言語で言うならば、全く異なる3言語を同時に学んでいるようなものだ。
もっと言うと、サルサにもon1・on2・キューバサルサなど様々な種類があり、標準語・関西弁ぐらいの違いがある。これらを同時に学んで踊っている人はあんまりいないらしい。言語に例えると、理由は明白。
ちなみに、学生時代別ジャンルのダンスを踊っていたとはいえ、新しいダンスを習得するのは簡単なことではない。
そのバーで仲良くなったアメリカ人が「最初の半年間は生き地獄です」と言っていた意味が良く分かる。
なぜなら、ペアダンスの世界は、明確にリーダー/フォロワーに分かれ、リーダーがリードするという世界観である。初心者であろうと、基本的にはリードを求められる。
またパーティーで踊る場合は、1曲3〜4分ぐらいの曲をフリースタイルで踊るわけなのだから、1ヶ月や2ヶ月やったぐらいでスムーズに踊れるわけはない。この死の谷をこえられるかどうかが、最初の関門。(ちなみに自分はようやく最初の3ヶ月を終えて、楽しめる瞬間が増えてきた)
本来は、ペアダンスで、上手く踊れるかどうかについて、過度に気にしなくて良い。ダンスが上手いことと、2人が楽しく踊れるかどうかというは、どうやら、またちょっと違う話のようだ。
個人的には、「ペアダンスはコミュニケーションの総合格闘技ではないか」と思い始めた。ただ「総合格闘技」という表現が使いたいだけかもしれない。
ちなみに、週5で踊って世界中の人たちと話していると、陽気になったようで、自分ではあまり認識してないが、キャラも変わってしまったらしい。
服装もそうだ。おそらく、数年前は、こんなシャツを着てキャップをかぶる人間ではなかった。ダンスによって、自己認識が変わってしまったのかもしれない。
ダンスを武器に世界を目指す
知っている人は知っているのですが、ここ2年ぐらい、海外行く行くと宣言しておきながら、消極的になってしまっている自分がいた。
理由は明快で、「京都が圧倒的に快適すぎる」のだ。しかも、京都にいれば、国際交流欲を簡単に満たすことができる。ホームで、日本人にとって理想的な環境で異文化コミュニケーションをすることができる。現にこの1年で、50人近くの外国籍の知人友人ができた。
ただ、旅の魅力というのは、国際交流だけではないのは分かっている。だけど、あえて不便な環境に身を乗り出していくほどの、決め手が自分の中でなかったのだ。
そのタイミングでラテンダンスにハマり、何が起きたか。世界中のラテンバー・サルサバーを巡る旅をしたいと心の底から思ってきた。
少し打算的な話をすると、踊れる日本人が圧倒的に少ない中で、そこで語学が十分できれば、それだけで圧倒的に希少性が高いポジションを狙える。
かつ、語学が流暢じゃなくても、一緒に踊って仲良くなることができれば、その後のコミュニケーションはとても楽だ。信頼関係がダンスによって構築されてるので。正直、これから世界に出て行こうと思っている人は、みんな踊れば良いのではないか、と思っている。(もちろん向き・不向きはある)
仕事は継続していく予定なので、当面は日本との時差などを考慮する必要があるため、まずはアジア、ヨーロッパあたりから。全世界を巡ることが目的ではないが、興味が続く限り続けてみることにした。
ちなみに、80歳までキレキレでサルサを踊っているというゴールが見えてきた。いろんな世代の人が交わるのも魅力の一つなのだけど、その辺はまたの別の機会に。