ゆたかさってなんだろう
結論、<ゆたかさ>は自分の心が勝手に感じる<曖昧な感覚>である。
結論から言ってしまうと、そうなる。
その曖昧な感覚は人と比べることで、<ゆたかさ>を感じたり、<ゆたかさ>を感じられなかったりするから厄介だ。
また、同じ<ゆたかさ>でも時間が変わると、<ゆたかさ>を感じたり、<ゆたかさ>を感じられなかったりする。
何故だろう・・・・
さらに、<ゆたかさ>を分類してみると、金銭的な<ゆたかさ>を言う場合と、時間的な<ゆたかさ>を言う場合、そして人間関係・仲間との繋がりを<ゆたかさ>という場合に分かれるのかもしれない。
何を基準に<ゆたかさ>を定義するのかによって<ゆたかさ>を感じられたり、<ゆたかさ>を感じられなかったりするので、独断と偏見で<ゆたかさ>とは何か?を紐解く。
<ゆたかさ>とは、欲しいものを欲しい時に欲しいだけ手に入れる事だ
と仮定すると、
その欲しいものを手に入れるために大金を稼ぐ事が必須条件か? お金を増やすノウハウが必須条件か?
<ゆたかさ>=<大金を所有する>なのか?
否。
それは、違うと感じる。 違いますよね。 そう、違うのです。
<ゆたかさ>を手に入れるため、<ゆたかさ>を味わうために大金はいらないのです。
大金があれば最短で<ゆたかさ>の雰囲気を手軽に味わうことが出来ますが、本当の<ゆたかさ>を得るのに大金は必須条件ではないのです。
商売をしていて、一つの商品が大ヒットして大金が入ってきた人が、今まで欲しかったものを入手したり、贅沢な体験を味わったりしても空虚感に襲われる。
その空虚感を埋めるために、更に高価なものを入手したり、更に贅沢な体験を追い求めたりするが、空虚感からは逃れられない。
ある事に気付くまで、際限なくこの行動を繰り返し、空虚感を味わう。
ある事に気付くまで、とは?
それは、自己承認欲が満たされていない事に気付くまで。
そう、高価なものを入手したり、贅沢な体験を追い求めるたりしても自己承認欲は満たされないのだ。
もう、お気づきだろう、自己承認欲が満たされないモノばかりを手に入れたり、贅沢な体験をしたりしても、自己承認欲が満たされて無いままなので、空虚感に襲われる。
今は、モノが溢れている時代で、世界中から欲しいモノを取り寄せられる。欲しいモノが手に入っても予定通り、計画的通りである。
喜びはあるかもしれないが、驚きや、感動は無い。
モノは、便利や快適を得られるが、驚きや感動は得られないのだ。
だから、人々は驚きや感動を求めて、体験型のコト消費に向かう。
驚きや感動を手に入れた人々の、次なる欲求は?
今の感動や、驚きや、興奮を誰かに伝えて、その誰かと一緒に感動や驚きや興奮を共感したい。
この欲求に突き動かされる。
自己承認欲求だ。
冒頭で、<ゆたかさ>=<曖昧な感覚>と申し上げたとおり、<ゆたかさ>=<○○○○○>であると的確に言い表せない。
強いて、言い表すとしたら、<自己承認欲を満たしてくれる者>
もしくは、<その時に欲しい同意や称賛を得られる、自分自身を理解してくれる人物がいる環境>なのかもしれない。
なので、<ゆたかさ>とは
<私が、その時に欲しい称賛を得られて、自分自身を理解してくれる人物がいると実感、体感していること>ではないだろうか。
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