エコロジーって言葉に酔いしれてて、本当に正しくリサイクル出来てる?
<エココロジー>と言う言葉は、我々消費者からみると色々な解釈が出来ます。
資源を使わない。
地球の資源を無駄に使わない。
必要以上に労働、サービスを使わない。
等々
私たちが目指す<エコロジー>は多角的に考えなければならない。
また、<エコロジー>を進めていくと、経済性が悪くなることが予想される。
<エコロジー>と経済性のバランスをどのレベルで維持するのが良いのかが難しいところである。
<エコロジー>でよく議題にあがるのは、リサイクルだ。
リサイクルさえしていれば<エコロジー>問題解決だと考える人もいるが、リサイクルの事を深く理解できていないように感じる。
リサイクルで思い浮かぶのは、紙。木材。プラッチク。金属。レアメタル。
上記の中で、レアメタルはリサイクル優位性があるが、他の資源はどうだろうか。
紙、木材、プラッチク、金属は素材から製品になった瞬間から劣化が始まる。
紙をリサイクルすると大量のキレイな水が必要であり、紙を漂白する薬品が必要で、その薬品の廃棄する設備にもコストがかかる。
外国からパルプ(精製された紙の原料)を購入する方が安く紙製品を造れる。
木材をリサイクルすると、合板か、燃料として燃やすウッドチップしかならない。
合板にしても、北米、カナダ、北欧、ロシアから安く安定的に供給される木材を使うことが合板の強度を一定に保つため(建築材として規格保証)望ましい。
鉄など金属をリサイクルすると特にコスト高になるという。外国から鉄鉱石を購入したほうが安く製品が出来る。
貴金属は採掘される地域が限定的で採掘される量が少ない。
なので、リサイクルすべきなのだ。
あと、アルミニウムは、ボーキサイトという鉱石を製錬方法で生産するが、このとき大量の電力を消費するのでアルミ缶やアルミ製品をリサイクルすべきである。
ここでは、例として挙げなかったが市町村でビンをリサイクル目的で住民が、色別に分けたりしているが、その分けたビンが製品として再利用されることは稀で、殆どが色別に粉砕されて、工業用建材のカサマシに使われる。「ワンウェイ瓶」
何故、ビンはビンとして再利用されないのか?それは、リサイクルされてメーカーに戻ってくる間に振動や、キズがつくことで、ビンの強度が保証されなくなっているからだ。メーカーとして強度がバラバラなビンを商品として出荷できないのだ。
そのリサイクルされたビンが「食料品の用途」だったらどうだろう?
食料品メーカーは、リサイクルされたビンを購入して洗浄、製品を詰めて出荷するメリットがあるだろうか?
いや、無い。リスクが増えるだけ。
これを積極的にするのが「リターナブル瓶」
正しくリサイクル出来てる!?
「リサイクルは無駄だ」ってことを伝えたいのでは無く、「正しくリサイクしてますか?」ってことを伝えたい。
市町村が打ち出しているリサイクル活動に(何も考えず)参加してるから
リサイクルに貢献している。
とか、
メーカーが設置している資源ゴミ回収BOXに投入することでリサイクルに貢献できた。
とか・・・・・・・・・
自分が作業した先はどのように処理されて行くのか疑問に思ったこともない。
今は、調べようと思えばいくらでも調べられるツールがある。
情報が開示されている。
ただ、疑問に思わないだけ。疑問に思っても調べないだけ。調べても何も感じないだけ。何かを感じても行動しないだけ。
何も変わらない。
昔、日本でも砂糖や醤油等々、調味の量り売りが当たり前だった。
調味料だけでなく米やその他の穀物も量り売りだ。
その際、購入者がビンや容器を持参していく。
ちなみに、東南アジアには、生ビールの量り売りがあるそうだ。もう一回念を押すが、生ビールの量り売りだ。
それも、購入者が台所用調理器具のボールや蜂蜜が入っていたような口の広いビンを持参して入れてもらうのだ。
庶民では当たり前の光景だ。
自分が使ったビンや容器を再度使うので、ビンの強度とか衛生面とかは過度に気にならない。
しかし、これが、メーカーがリサイクルしたビンなら話は別だ。
日本人特有の清潔好き、潔癖症、完璧主義が幅を利かせる。
自分がつかったモノはキレイで、少々の汚れは気にならない。
なるほど分かりやすい。
それであれば、自分が使ったモノを次の人へ。ではなく、自分が使ったモノは自分が使えるまで自分のモノ。でどうだろうか。
リサイクルでは無く、リユースだ。
正しく消費活動を。正しい消費活動がメーカーの姿勢を正す。
メーカーは、こんな便利な商品を発売しました。
メーカーは、こんな安い商品を発売しました。
メーカーは、こんなにコンパクトで軽い商品を発売しました。
メーカーは、こんなに頑丈で、壊れにくい商品を発売しました。
等々。
どこがいけないの?
イイことばっかりじゃないの?
メーカーは努力してるじゃないか?
皆さんはお気づきだろうか。これらは全てメーカー側が「このように使いなさい」や「技術の進歩でこんな商品が造れるようになったから使いなさい」だったり「技術の進歩で大量に造れるから大量に使いなさい」なのである。
メーカー側の押しつけだったり、メーカー側のエゴである。
これを、「プロダクト・アウト」と言う。
これには、消費者の気持ちや、消費者の使い勝手は考慮されてない。
消費者は、便利な商品だけど、そもそもその商品を使わないで済む方法はないのか。
消費者は、安い商品だけど健康に害があるのでは。
消費者は、コンパクトで軽くなくても部品の交換やメンテナが出来るのがイイ。
消費者は、丈夫で壊れにくいのであれば、リサイクルし難いのになぁ。
実際、消費者はこんな事を考えたり、思ってるかもしれない。
消費者の想いや、心の奥底のニーズを拾わずに、メーカー側の
「プロダクト・アウト」を押し付けてくる。
メーカー側のエゴが、消費者にあからさまに伝わらないように、何千万、何億円をつぎこんで広告、宣伝をする。
「自社のこの商品はとても良く、こんなメリットが・・・・・・・」
ちなみに、消費者の想いや、心の奥底のニーズを拾い商品開発することを
「マーケット・イン」という。
メーカー側だけが悪いのか?
メーカー側の広告、宣伝を鵜呑みにしない。自分で納得がいくまで調べる
消費者である私は、どんな生活スタイルを望んでいるのかをハッキリさせる
メーカー側が商品、サービスの自己開示(安全性、フェアトレード、等々)をしてない場合、その商品サービスを購入しない。
消費者が賢くならないから、駄目なんだよ。
消費者がバカで、盲目ならば、メーカー側のやりたい放題だ。
消費者である私達が、当たり前の行動をすると、メーカー側も当たり前の生産活動をする。
「当たり前の消費活動と生産活動」になる。
「当たり前の経済活動」になる。
「当たり前」って何?
「当たり前」はとても抽象的なので、この文章の中では「全体最適」と解釈していただきたい。
この文章での「全体最適」とは、「消費者」「メーカー側,販売商社」「生産過程、生産者」の三方が富むこ事である。
この三方に犠牲がなく、我慢しない経済活動が「当たり前の経済活動」
これって、豊かな経済なのかもしれない。
勿論、三方ともにハードである。怠ける事を許されない。
経済を創り、経済の恩恵を受けているのは私達だ。
その私達は成長もするが、老いもする。やがて土に帰る。
世代交代がいくら進んでも「当たり前の経済活動」「全体最適」が私達の価値基準になっていれば、おのずと「豊かな経済」になる。
どうだろう、私達の時代から「豊かな経済」をめざして「当たり前の経済活動」をはじめようじゃないか。
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