新しいみぎりに、晴々しく生きる覚悟はできているか。葛藤と、社会的積み木。
私がゲノム解析のベンチャーを起業してもうすぐ5年になりますが、多くの起業家がそうであるように私も多くの葛藤と遭遇しました。もともと私が起業した理由は、研究成果を活かしながら事業を創り、結果的にその事業によって研究自体も加速する、というサイエンスと事業のシナジー効果を生む仕組みを創りたい純粋な想いで起業しました。
しかし実際起業すると他意のない人々から、それは実現不可能である、あなたには到底無理である、なぜならこういう理由があるからだ、という旨を何百回も繰り返し宣言されます。
新しいテクノロジーや概念を怪訝に捉えるような人々からは、あなたの顔も一生見たくもないと邪魔されたり拒絶の壁に打ちのめされたりもします。起業当時は博士課程在学中だったため、研究活動と起業の狭間でうまく立ち振る舞えない自分への苛立ちや不安になる瞬間もありました。
挑戦しては否定され、自分の理想を信じながらも、これは本当に実現可能なのか、この選択はものすごく間違ってはいないのか、などこれまで繰り返し繰り返し葛藤し、自問自答してきました。
と、まあここまでは、起業家にはよく起こるあるある話かと思います。
ここでの問いは、果たして葛藤とは何なのか?ということです。
この正体を理解することでより生きやすくなるのではないかと考え、周りの人にその本人が抱える葛藤についてヒアリングしました。
葛藤のあいだを綾なす
葛藤と課題の違いを考えると、課題は客観的に誰が見ても同じものが見えますが、葛藤は他人からは見ることができず本人にしか理解できないことが多いです。葛藤とは、当事者意識の最たるものです。なぜなら葛藤は、自分の夢や理想、自分の信じるものと、実際に選択しなければいけない現実との乖離だからです。
唯一の正解がない世界で、他の正解を犠牲にして何かを選択する。そんなときに葛藤が起きます。
たとえば、自分がやりたい方向と、大切な人からの期待が異なる場合、個別に見ればどちらも自分にとって正しくても、何かを捨てて何かを選択しなければなりません。
そのため、叶えたい夢や願望や、こうありたいという自分の信念が大きい人ほど葛藤しやすいし、外因的な選択を要求される競争環境が常に激しい仕事をしている人は葛藤を感じやすいです。逆に、既に夢をかなえた人は葛藤を持ちにくいし、強く目指したい方向がない人も葛藤を持ちにくいと、様々な生き様を見て思いました。
仏教学者と宇宙物理学者の対話を綴った「真理の探究」という本でとても面白かったのが、仏教と科学の両方で行きつくのは、世界のほとんどの事象はどこまで行っても「正しい」ことと「正しくな いこと」の2択で捉えることはできないということです。
受験勉強や義務教育で習ってきたような、この一つさえ選択すれば絶対に正解である、という状況は生きる上では稀です。まるで生物のようだな、と思います。正しいことが時間の経過に伴って正しくなくなったり、逆に正しくなかったことが正しくなったりします。
そんな中、進むべき道がわからず葛藤を抱えていたときに、大先輩の経営者の方から、「自分の中に相反する矛盾があるときには必ず何かを発見できる」ということを教えてもらいました。
福岡伸一、西田哲学を読む—生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一という本にも、相反する概念の「あいだ」を考えることが生物学的にも哲学的にも重要だと書いてあり、なるほどなあと思いました。
それがきっかけとなって改めて先述の様々な葛藤と対話してみると、実は多くの発見がありました。
研究室と会社の二足の草鞋を履くことで、時間の選択で迷うよりも、自分が選択した時間配分を心から信じて集中力を発揮する方が圧倒的に大事だということに気がつきました。否定をされたことで、向かい風でありながらも進みたい意志があることを発見しました。拒絶を経験したことで、落ち込まないことよりも何度も立ち上がれることの方が何倍も大切なのだと気がつきました。
痛いという感覚はとても優秀で、頭痛や腹痛を感じることで目には見えない重要な病気に気がつくことができます。同じように、心が痛いと感じることで、自分が何を大切にしているのかに気づくことよくあることです。
もしいま何かに葛藤を持って悩んでいる人がいるなら、自分ではまだ無自覚だとしても、何かの新しい可能性が既にあなたの手中にあるのだと思います。
一方で、様々な方に葛藤についてヒアリングしてみると、自分の信念や理想を強く持っているにも関わらず葛藤なんて全くないと言う人もいることに気がつき、そのような人の特徴を観察してみました。
そこで気がついたのは、目指したいものに対して大きな覚悟を決めている人は葛藤しない、ということです。
覚悟が葛藤を凌駕する
さて、次の問いは、覚悟とは何なのか?ということです。
時間軸を客観視できるようになったのは人類史上の最も大きな収穫の一つだなとよく思いますが、覚悟とは、まさに時間軸が大きく関係するものだと考えました。
覚悟とは、不確実で曖昧な未来に対して、どうなっても絶対に後悔しないということを最初に決め抜いておく碇のようなものだと思いました。
覚悟を持っておくと、葛藤が少なくなります。なぜなら時間軸の中で先にそう決めているからです。覚悟は、いつも後から付け足すことはできず、後からは改竄できません。まるでブロックチェーンのようだ、と思います。
葛藤しないと言う経営者や研究者は、これを達成するまでは絶対に迷わないし後悔しない、ということを考え抜いた上で先に決めて覚悟を持っている人がほとんどでした。
たとえばオリンピック選手が、インタビューで「自分にできることはやり切ったので何も悔いはないです。」と清々しく言い切れるのは同じような現象です。不確定な未来に対して、これをやり切れば後悔しないと先に心に決めています。
覚悟というと大袈裟ですが、自分にできることをやり切ってってみよう、それで何が起きても後悔しない。というのがそれです。どちらにせよほとんどの未来は不確定なのだから、正解を選択できているか葛藤するよりも、自分で選択した道を正解にすると決め切る方がよいという考え方です。
たとえば、美味しいものをたくさん食べたいけど、太ったり健康を害したくはないという、日常の葛藤があるとします。この場合、どれだけ太っても後悔しないから美味しいものを我慢するのは絶対譲れない、と覚悟をしている場合は、葛藤なんてしません。私の場合は、自分にとっての適正体重の範囲と継続的に達成できる平均摂取カロリーの上限値を決めていて、その範囲の中であれば、後悔しないことを決めているため葛藤は起こりません。
同じように先に決めた決意に則って行動すれば、悶々と懊悩することは少なくなります。なぜなら自分が先にそう決めたからです。以前、けんすうさんがブログで、新しいことをはじめる時のコツは先にルールを決めておく、ということを書かれていて、似たような概念だなと思いました。
新たなプロダクトを作るときにこのような設計でいいのだろうか?と悩むときも、このような研究をしていて何かの役に立つのだろうか?と思うときも、若い人の才能を目の当たりにして自分の立ち位置はこれでよいのだろうか?と疑懼するときも、考え抜いた結果覚悟を決めれば、凛として対峙することができます。
今日一日の過ごし方から人生の大きな選択まで、事業も研究も職業選択も結婚も生き方も、同じことが当てはまります。悶々と悩むよりは、これは絶対やり切るし、それでダメでも後悔しないと先に決め切ると、自分に胸を張って清々しく挑戦ができます。
それにしても覚悟は、なかなか無意識にはできることではないな、とよく思います。たとえば、よほど重要な日ではない限り、大きな覚悟を持って今日を絶対後悔しない一日にしようと臨むという人は多くはありません。
覚悟を決めるのを習慣化するがうまいなと思う人がたまにいますが、自ら意識した方が覚悟は決めやすいです。
社会的積み木と覚悟とてこの原理
さて次の問いとして、覚悟がより必要な場合はどんなケースか?と考えてみます。
たとえば起業するのに、時間がかからない人もいれば、起業したいと思ってから10年かかる人もいます。
私が起業したのは思い立ってからすぐでしたが、それは私が何の実績も経験も資産もないただの学生で、社会的積み木がとても少なく身軽だったのだと思います。
自分では気づきにくいですが、大人になるにつれて、社会的説明のための人生選択が増えていきます。家族や周りの友人に説明できる転職なのかどうか?親や配偶者を安心させられるかどうか?一度成功したから、また成功しなければ周りに説明できないのではないか?転職するにも起業するにも何かに挑戦するにも、大人になるにつれて社会的積み木が増えていきます。
何もしなくても生きているだけで積み木はどんどん増えていきます。しかも成功すればするほど重たくなっていきます。
まるで、てこのようだ、と思います。
社会的積み木が大きいほど覚悟も大きさが必要となります。社会的積み木にレバレッジをかけて動ける人もいます。たとえばソフトバンクの孫正義さんのように、大きな積み木をますます背負っても次々と挑戦できる人は、自分の背負う社会的積み木を理解した上でうまく思考の整理をし、自分の未来に覚悟を持てているのだなと思います。
逆に社会的積み木を積まないことで次々動ける人もいます。たとえば西野亮廣さんや家入一真さんは社会的積み木を積まないのが上手い人だなと思います。いつも軽やかに、次々と未知の分野に挑戦されています。
覚悟はいつでも自由
覚悟とは、ブロックチェーンのように、後からは改竄できない小さな約束を一つずつ刻んで未来へ繋いでいきます。それは、誰にも改竄されないし奪うことのできない、覚悟とはいつだって自由である、と思います。
多少失敗しても回り道しても、颯爽と生きることを決めてしまおう。たった一度きりの人生、こわくても挑戦してみると決めてしまおう。決めずに悶々としてるより、凛然と生きることを先に決めてしまおう。というように、自分で決めることができます。
これからの新しい時代に不安な人も、新しい環境に憂鬱な人も、繰り返す毎日に退屈で鬱屈としている人も、先に自分の覚悟を決めておけば、少子高齢化社会でも不景気でもどんなに不利な状況でも、晴々しく生きることができる、と思います。
春の季節は、新入社員の人も新しい職場や役職になった人も新しい期が始まる人も、何かと新しいことが始まる、新進の時節。
新しい環境や挑戦、選択を後悔しない決断をできているか、と私も自分に問いをたてます。
新しいみぎりを、晴々しく生きる覚悟はできているか。
まとめ
・葛藤から可能性を学べる。
・覚悟は葛藤を凌駕するし、いつでも自由。
・覚悟の大きさは社会的積み木に応じて必要。
・私も覚悟を持ってどんなときも晴々しく生きたい。
もっと考え方を知りたい方は・・
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