脳性麻痺の人に教えてもらった人生で大切なこと
20歳の高橋少年は、
ずーーっと正しくない箸の持ち方をしてきました。
大人になってからも「やっぱその持ち方、変だよ」と母親に言われたりしましたが、「いやー、これは直らないよ。」と自分。
だったら子供の時に厳しく指導してくれよ笑
こちとら十数年この持ち方で毎日ご飯食べて来たんですから、もう一生この持ち方ですよ。
と、思ってた。
…けど、直ったんです。
しかも直してくれたのは、生まれつき脳性麻痺で、手足は不自由。箸なんて持ったことない人が直してくれたんです。
今日はそんな話。
「世界へ行くぞ!」と会社を辞め、僕は東京へ上京し、友達の家に居候しながら旅の資金を貯め始めました。
その友達(仮にマサとします)が、在宅介護の仕事をしていたんですね。
東京来てみて行きたい所は一通り行けたし、ぼちぼち仕事探すかぁ〜
って時に
マサ「俺の職場人手不足だからどう?」
介護なんて興味なかったですし、全くやりたい業種ではなかったんですが、マサはやりがいを感じながら人間的に成長してるような感じもしてたし、時給も良かったので、コンビニとかでバイトするよりは良いかな。
ぐらいの気持ちで始めてみました。
介護舐めてた人ですね。はい。
その職場は、障害者の自立支援を目的としているNPOで、利用者は身体障害者と知的障害者の2つに分類されて、それぞれの一人暮らしやグループホームなどの現場に、適した人材を派遣している。といったところ。
僕は介護のかの字も知らない人間だったので、「知的の方はちょっとハードル高そうなので、まずは身体の方の現場を希望します。」ということで身体障害者の方の現場に就かせてもらいました。
初勤務の日は、不安でドキドキ。
何を隠そう、子供の頃は、特別学級の子をいじってたタイプだったので(ええ、クソガキです)、いわゆるハンデのある人とコミュニケーションを取って、人間関係を築いていくイメージができないんですよね。
どんな人の支援を担当するんだろう…ソワソワ
マサは、「相手を受け入れて、一緒に過ごすだけさ。」というアドバイスをくれましたが、「それができるか不安なんだよ。」という心境。
そして僕は、週に2日 ザキヤマさん(仮称 以下ザキさん)の在宅介護を担当することになりました。
ザキさんは、生まれつきの脳性麻痺で、首から下に麻痺を持っている方でした。
僕「はじめまして、高橋と言います。木曜の午後と金曜の午前の週に2度、担当になりました。よろしくお願いします。」
ザキさん「おう。」
みたいなところから、お互いぎこちない日々が始まります。
でも徐々にお互いのことが分かってきて、
ザキさん、食べることが好きでグルメなんだ。
好物をはっきり言えるってなんかいいな。
ザキさん、電動車椅子でめっちゃ飛ばすじゃん!駆け足じゃないと追いつけないんだけど…汗
と、年齢は40代で僕とは20以上離れていましたが、ジョークもよく言うし、なんだか愛嬌のあるザキさんと過ごす時間が意外にも楽しくなってきました。
そんなある日、
ザキさん「やっぱりそうだ。」
僕「何がですか?」
ザキさん「お前、箸の持ち方が変だ。」
僕「あー^^; これ昔からの癖なんですよね。」
ザキさん「お前、これから船旅に出て、色んな人と食事するんだろ?カッコ悪いから直せ。」
直す前の持ち方がどうだったか忘れてしまいましたが、僕の場合、つまむと言うより挟む持ち方で、ご飯粒のような小さな粒をつまむことができない持ち方でした。
僕「まぁザキさんが言うなら、この際チャレンジしてみますけど…」
と言ってスマホで正しい持ち方の画像を検索
僕「いてててっ。なんかこの持ち方、指つりそうなんですけど!」
ザキさん「違う!お前中指がなんか違うよ!」
僕「ザキさん、箸使ったことないのになんで分かるんですか!?笑」
ザキさん「なんでか知らんけど分かるんだよ笑 お前、家でもちゃんと練習しろよ?」
という調子で、ザキさんと食事する時間は、「箸の持ち方講座」になりました。
ザキさんは、脳性麻痺持ち。
食事は、特注の皿とスプーンを使って自分で食べることができます。
しかし、指が器用に動かないので、箸を使うことはできず、産まれてからずっとスプーンで食事してきたそうです。
そんな人が熱心に教えてくれるものだから、僕もいつの間にか、この際正しい持ち方になろうと決心していました。
そして僕は約1ヶ月で、箸で小さな粒をつまめるような、正しい持ち方に直ってしまいました。
2ヶ月もすると、意識しなくても自然と正しく箸を使えていました。
僕「ザキさん、ザキさんのお陰で持ち方本当に直っちゃいましたよ!」
ザキさん「当たり前だろ。そんなこと。」
とか言いながらニヤッと笑うザキさん。
この頃から、僕はザキさんに尊敬の気持ちを持って接することができてきます。
障害者とはなんだろう?
車椅子生活の人とかを見ると、心のどこかで「哀れだな」とか「可哀想」と思っていた僕は、グルメで、電動車椅子で暴走するザキさんを、いつしか障害者と思えなくなっていました。
この人達の方が俺より優れている部分もある。
観察力や、味覚が鋭かったり。
不自由無くボーッと生きてる人よりも、生きることに一生懸命で真剣。
心は、健常者の僕よりも、健常のような気がした。
海外に出ないと生きる意味すら見出せない自分なんかより、この人達の方がずっと健常者かもしれない。
障害者とはなんだろう?
それは、体や知能の自由不自由ではなくて、何もかも諦めて、心が止まっている人のことかもしれない。
自分の前に立ちはだかった小さな障害にすら挑戦することを辞めてしまった人のことかもしれない。
そして僕の最終出勤日
週に数日は、とある事務所でちょっとした仕事をしていたザキさん。
その事務所に集う数人のメンバーが、サプライズで僕にいってらっしゃいボードを作ってくれました。
厚紙にマジックでメッセージを書いた、シンプルなボードでした。
温かい。
なんて温かい人達なんだろう。
そんな半年間の、豊かさ溢れていた東京での仕事。
本当はきっと、境目なんて無いんだと思う
今暮らしている村でも、あの家はあの政党を支援しているからうちとは思想が違う。仲良くできない。とか。
農薬使わない有機栽培と、
農薬たっぷり使う栽培の間で火花が散っている場面とか。
そんな境目を跨いだ論戦が度々垣間見える。
でも、
無数にある人間の思想の根本の根本は、
ただ幸せに生きたいだけ。
だと思う。
勝手に境目を作りがちな僕は、もっと境目のない世界で生きたい。
だってその方が境目だらけの世界より、ずっと楽しそうなんだから。
きっと、少しほじくったら、
「なーんだ。根っこは俺とおんなじじゃん。」
という人で溢れているんだと思う。本当は。
日本人である前に、
何を信仰しているかの前に、
僕たちは同じ地球人なんだと思う。
だから、何一つ争う必要なんてないんだ。本当は。
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今日も読んでくれてありがとうございます。
最後に、ザキさんとの最後の会話↓
ザキさん「お前、本当に世界一周するんだな。スゲ〜よ。羨ましい。」
僕「ザキさんだって、車椅子なのに、スカイダイビングもバンジージャンプも経験して、スゴいですよ!なんだって叶えられるじゃないですか!何かまだ叶えたい夢ってあるんですか?」
ザキさん「そーだな〜。一度でいいから、自分の女が欲しいかな。」
僕「ザキさんならきっと叶えられますよ!だって箸持ったことないのに、人に指導できちゃう人なんですから。」
その数日後、僕は旅立ちました。
旅の報告会するって言ったのに、未だにできてませんね笑 すいません。
ザキさん元気かなぁ。元気でやってるといいなぁ。