伯母が亡くなった。
自分用メモ。
ここ数日、母に連絡してなくて
母から急にメールが届いた。
市川に住む伯母が亡くなった。
94歳の一人暮らし。
高齢者用の高級集合住宅に住む伯母。
私は一度もそこを訪ねることはなかった。
血の繋がりはないが、
私が芸大に入って
その後日本で活動を始めた頃、
よくお友達を誘って
コンサートに来てくださった。
お子さんのいないご夫婦で
ご主人はもう20年近く前に他界。
父の兄にあたる人だ。
最近、
「家族」とか「帰る場所」という
キーワードが頭を占領していて
私にはそういうものがあるのだろうか
自分に疑問を投げかけていた矢先だった。
私には帰る場所がない。
そう思う日々がずっと続いている。
多分、父が他界してから
ずっとそう思っている。
安心して帰れる場所はもうない。
それでも、
私を温かく迎え入れてくれるどこかを
求めている。
それが友達だったり
仕事から生まれた貴重なご縁だったり
本当に恵まれていると思う。
ひとりベッドの横で蹲って
亡くなっていたという
伯母の訃報を聞いて
悲しみというか
人は独りで向こう側に行くんだと
なんだか抜け殻を置いていったような
寂しさになった。
前々日まで元気にラーメンを食べたけど
それを全部吐いてしまったとか。
どれも母から聞いた話だから
どこまでが真実かわからないけど
独りで亡くなったことは確かだ。
朝、発見された。
血が繋がっていないけど
なんだかショックだった。
仕事を終えて帰路、
無性に悲しくなった。
家のエレベーターで独り
悲しくなって涙が出た。
誰のための涙だろうか。
私が何かしてあげたか、とか
そういう後悔でもなく
どんな気持ちで暮らしていたのかな
ということが不思議と気になった。
そして、虚しくなって涙が出た。
でも、少なくとも
血の繋がってない親戚の子が
伯母さんのために
なんだか涙を流したことは事実だ。
ヒョイっと向こう側に渡ったような
軽さが感じられた。
もちろん、私が
日本にすぐに弔いに行けるわけもなく
実感が湧かないからだと思うが。
私が向こう側に行く日は
一体どんななんだろう。
ヒョイっと行けるのか。
それとも
いろいろ未練を残すのか。
一人くらい、
悲しんで涙してもらえたらいいなと
心の中で結構強く
願ってしまった。
家族なんて
家庭なんて
血が繋がっていようが
なかろうが
縁があれば
それは家族なんだと
今日ほんの少し
心でそれがわかった。
伯母さん、安らかに。
そして
向こう側でも
綺麗な字で
詩を書き続けてください。
私はあなたとの血の繋がりは
全くないけれど
ちょっとだけ見習って
最近、詩を書いています。
どんな思いで書いてたんですか?
いつか、
私が向こう側に行った時
今度その話を聞かせてくださいね。
伯母さんと
家族の縁でいられて
本当に良かったです。
ありがとうございました。