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「かわいいハートブレイカー」とぼく。

38年前の今月、1984年の3月、大江千里さんの「Pleasure」というアルバムがリリースされた。
僕が生まれる前にリリースされたこのアルバムを聴いたのは、恐らく高校生くらいになってからだったと思う。
千里さんの作品を聴き漁りたいと思い始めた中学生の僕は、自由に使える小遣いに限りがあったから、自分の住む区の図書館の中でも、CDの貸し出しをしている大きめの図書館まで自転車を滑らせ、千里さんのCDを探した。
しかし当時通った図書館にあった千里さんの一番古いアルバムは「未成年」(1985年)までだったから、1st「WAKU WAKU」と2nd「Pleasure」はある頃まで聴く事が出来ないでいた。
当時既に千里さん初期のアルバムは、残念ながら街のCD屋にも並んでもいなかったのだ。
高校生になって小遣いも増え、中古レコード・CD屋へ通うようになった中で、ようやく手に出来たのが、千里さんの2ndアルバム「Pleasure」のCD化盤だった。 
今回の記事では、このアルバムについて書こうかとも思ったのだけれど、気が変わった。ふと思いついた1曲に絞って、今後も都度書こうと思う。今、決めた。

という前置きが長くなってしまったけれど、今回はそのアルバムの中の2曲目、「かわいいハートブレイカー」について。

聴き始めた当時は深く考えもせず、ただただ可愛らしくて、少しセンチメンタルな楽曲だと思って聴いていただけだったけれど、大人になって改めて歌詞を読みながら聴いてみた時に、ユーミンの曲で感じるような「ゾッ」とする感じがあったのがこの曲。
僕個人の印象として、特に5thアルバムくらいまでの千里さんの曲には辛辣な言葉がポツポツあったり、冷たくて鋭利な残酷さを持つ男像があったりするのだけど、この曲もそのひとつだと思う。

さて、ではこの「かわいいハートブレイカー」、歌詞を追いながら僕の想いを綴ろう。
まずは、冒頭から。
「左の腕で左の襟をそっと直してあげるふりして 彼女のこと思い出さないように」という下り。
(「手」ではなくて「腕」で襟を直すって、どんな体勢や位置関係なんだろう…?とも思うが、今回は割愛する。)
個人的には2パターンの可能性があるな〜と思っている。
まずは、男(ぼく)が相手の女の子(きみ)の襟を直す。
「きみ」と一緒にいる間に、その「きみ」と、自分が付き合っている彼女がタブって見えてしまう瞬間があったり、ふと自分の彼女を思い出してしまったりする瞬間があったりして、それを振り払うかのように、思い出したり感じなくて済むように、「きみ」の容姿の一部に変化を加える為に、「きみ」の襟を直してみたりする。自分で自分の気を逸らす。きっと効果なんてないのだろうけれど。

もう1つは、「きみ」が「ぼく」の襟を直すパターン。
「きみ」には「ぼく」に対する好意があって、その男に彼女がいる事も知っているから、男に触れて、襟を直して、自分に気を向けさせて、男がその彼女ではなく自分を見てくれたら、と思う相手の子の描写。
次に続く「妹みたいにきみのことを〜」の流れも含めて、上記の解釈はどっちも有り得ると思うのだ。
その後のBメロでハッキリと「初めて彼女を裏切り〜」と来るので、もうこれは悪くてズルい男なのだけれど、「自分を試す悪いくせ」というフレーズでこのブロックは結ばれる。嗚呼、非道いっ!「彼女を裏切り」とか言いながらも、そもそも最初から本気になるつもりがさらさら無かったのだろうとも取れるニュアンスだ。

続くサビでは「ずっとこのまま、そのままお洒落でいて、恋をなくしても、その分ずっと輝いていて」と相手の子に投げかけているが、相手の子の気持ちなんて考えてない、もう相当自分勝手で薄情な言い分である。

さて2コーラス目。
「ポートランド」って何のことだろうとずっと思いながら、当時は聴いていたけれど(当時はヨットなどが並ぶデッキのような場所を想像していたけれど)、後にインターネットで調べると、どうやらかつて神戸にあった遊園地の事を指しているのではないかと察しがついた。
「ポートランドだけはやめようと〜」の下りは、やっぱり本命の彼女に対しての後ろめたさがあっての「ぼく」の心情なのか、
それとも「きみ」が「遊園地なんて本命の彼女と行くだろうから、私はそんなベタな所じゃなく、もっと特別感のある場所に一緒に行きたい」なんて言い出して進んだ物語なのか、これもどちらも有り得る解釈だと思う。
「山手」もどのあたりのことを指すのかは、神戸の土地感覚が無いので分からないけれど、2人が「やっぱり」辿り着いてしまった先がどこだったのか、気になるし、この物語の実は重要なポイントであるとも思う。

間奏明けの2度目のBメロ。
「右手のグラフとマップは雨にたたかれ」る訳だが、高校生の僕にはこの「グラフ」という言葉が新鮮で、千里さんが大学で経済学部にいた事を知っていた僕は、「大学で経済学部に所属する学生は常に何かのグラフを持ち歩いているんだろうな〜」と勝手に想像していた。そしてその想像は相当にキラキラしていて、当時の僕の中でのキャンパスライフに対する憧れは、千里さんの曲の効果で本当に凄まじかったのである。
僕も大学へは進学したが、経済学部ではなかったので、「経済学部の学生はグラフを持ち歩くのが常識」だったのかは不明なままである。ま、多分そんな訳ないだろうけど。
因みにそのBメロは「やっぱりきみを愛せない」で結ぶ。うん、そんなこと分かっちゃいたけど。

そして最後はサビのリフレイン。
「ぼくはもしかして わずかなきみのきっかけかも」とあるが、「ぼく」が自分の事を、「きみ」の中の「わずかなきっかけ」と言い聞かす事で、その位置に自分を置く事で、本命の彼女に内緒で別の女の子と(どこまで、何までしたのかは分からないけれども)デートした自分を少し肯定・正当化したいというような節もあるし、はたまた自身の肩の荷を軽くしている節もあるし、或いは相手の女の子に「な?だからさ、あんまり俺の事、マジに考えないでね?」みたいになだめてるようにも取れる。
本当に非道い男!
と、散々「かわいいハートブレイカー」の主人公について意見したりしたが、冒頭でも書いた通り、こういうタイプの男性像や男の残酷さ、冷酷さは、千里さんの楽曲たちの中にひょこひょこ顔を出す。
そしてコレがカッコよかったりする。非道いと思ってもカッコよく見える。誤解を恐れずに言えば、ちょっとこういうタイプの男になりたかった、という憧れもある。
きっと千里さんにしかできない言葉の綴り方だからこそ、こんな冷たい男でも、嫌味がなく、カッコよく見えたりするのだろうとも思うのだ。
何だかんだ言いながらも、根っこからやっぱり、スキ!なのだ。
ここまで書いては見たが、最後に、僕はもう一つの解釈も持っている。
ここまで、相手の子(きみ)が、男(ぼく)に対して少なからずの「想い」があるであろう前提で読み解いていたが、「きみ」には全くそのつもりもその気もなかったとしたら、どうだろう…?「きみ」から発信しているとハッキリ取れる描写のない歌詞だからこそ、この可能性もゼロではないはず。
だとするとそれはそれでまた別の意味で非道い勘違い男の一人相撲の歌になる。

さて、長々と書いては見たが、あくまでもこれらは僕の解釈。
きっと聴く人によって、聴いた時代によって、聴いた季節や、その時の気持ちによって、感じ方は全部違うのだ。
それでいいのだ。それがいいのだ。

…ふぅ。やっぱりアルバムについて書かなくて良かったとつくづく思っている。
1曲だけで、しかも歌詞も割と短い「かわいいハートブレイカー」についてだけで、こんな量になってしまうのだから。
また次に千里さん楽曲への愛を綴る時は、今回同様にキチンとしっかり一曲ずつ押さえようと思う。
うん、今、決めた。

ちょっと気持ちが向いた時に、サポートしてもらえたら、ちょっと嬉しい。 でも本当は、すごく嬉しい。