「トビラの外のそのまた向こう」とは?
テーマは「死」だ。
2020年に発表した「死ぬ前に、もう一度聞きたくなったら」から2021年の「Wonderland」に続く、完全セルフプロデュースミニアルバム三部作ということになっている。
初めから三部作にしようという構成があったわけではない。
1枚目の「死ぬ前に、もう一度聞きたくなったら」は、僕が今まで作ってきた曲たちは僕が死んだら誰も知らず、誰も聞くことができず、ただ空気中に離散していく塵や芥になってしまうという危機感からの制作だった。
2枚目の「Wonderland」を作ると決めた時点で、三部作という構成が生まれた。
「Wonderland」のジャケットは、トビラを開いて、その中に入るか入らないかという境目を表現したイラストになっている。
つまり、「死ぬ前に、もう一度聞きたくなったら」はそのタイトル通り「死ぬ前」、「Wonderland」は生と死の境目、と来れば「トビラの外」は死後の世界とでも言おうか。
なので、背景には菊のイラストが描かれている。
アー写はまるで遺影。
今まで作り溜めてきた楽曲という自分の分身を、リリースという形で自分から切り離していく作業がこの三部作なのだ。
今までの音楽人生をはぎ取ってしまった。
楽曲という財産を擲(なげう)ち、丸裸になった。
実は、「Wonderland」を作りながら、3作目が出来上がったら僕は音楽活動を辞めるのかもしれないと感じていた。
もう曲など作れないかもしれない。
肉体は衰え、声も出ず、今にギターも思うように弾けなくなる。
歌もギターも一向に上手にならず、誰からも求められない。
とにかくネガティヴなのか、ポジティブなのかよくわからない制作が続いていた。
「Wonderland」で開いてしまったトビラのその先にあるものは?
ここで、僕に大きく影響を及ぼしたもの2つがある。
ひとつは音声配信プラットフォームstand.fm。
もうひとつは、「トビラの外のそのまた向こう」に収録した「日々」という楽曲。
stand.fmは日本各地で活動する素晴らしいアーティストと出会わせてくれた。
これは、本当に救いとなったし、希望を与えてくれた。
彼らと渡り合う、認めてもらう為には今の僕では足りず、もっと技術的にも表現としても上手くなりたいと思わせてくれた。
いつか彼らと会い、一緒に音楽がしてみたい。
これはいつしか夢となった。
「日々」はstand.fmでの配信を続ける中で自分に起こった変化を体現した楽曲になった。
単純に歌い方や歌への姿勢が変化した。
より丁寧に、より正確に、更に想いや感情を載せて。
発散する歌から、込める歌へ。
まだまだ未熟で、変化の途中で、思い描くイメージは遥か遠くではあるけれど、向かいたい方向くらいは見えてきたように思う。
それがほんの少しだけ表現できたのが「日々」のように思う。
流れ過ぎ去っていく「日々」。
それと同時に僕の思いや、存在も流れ過ぎ去っていく。
それが寂しかったり、逆に安心したり、むしろ、そうでなくちゃいけないような気持ちになったり。
それが、ドラマチックではなく淡々と流れてゆく。
そんなイメージ。
トビラを開いたらそこには「終わり」があるかもと思っていたけれど、それすらただ流れ過ぎ去っていく日々があった。
、、、
なんのこっちゃ。
まぁ、とにかく音楽辞める気持ちにはならなかったな。
そして、こういう事はワインを飲みながら書くもんじゃないね。
思ってたほど感傷的な人間じゃなかったってことかしら。歌いたければ歌うし、作りたくなったら作るでしょう。
今のところまだ死ななそうです、僕。
手持ちの楽曲はもうほとんどリリースしちゃったので、ここからは新しく作るしかないね。
新陳代謝?
生まれ変わり?
つまり、テーマは「再生」だ。
聞いてねー。