世界を変えたいなら、まず自分が変わる 2020/02/29
おはようございます!
石山アンジュさんが、こんなツイートをしていました。
いろんな正義がぶつかり合っている。
新型コロナウイルスに対する政府の対応などを受けて書いたんだと思います。
この表現ができるということは、石山アンジュさんは共有のことをちゃんと考えているんだな、とわかりました。上から目線感が出てたら、ごめんなさい。
人と何かを共有していこうと思うと、正義の壁にぶつかります。
正義の壁とは、自分が正しいと思っている思考の枠組みです。
例えば、今回の政府の対応について、もっとこうすべきだった、とか、こんなことをやってどうなるの?とかいう意見は、その人の思っている正義に反しているから出てくるわけです。
これは今回のような非常事態だけでなく、日常生活でも存在しています。相手にこうして欲しい!と思う時は、あなたの正義の壁の外のことが目の前に起こっているんです。
ここで、お互いの正義をぶつけあって、相手を変えようとすることはできません。
相手は変えられない。変えられるのは自分だけ。
今目の前にある世界を変えたけば、まずは自分が変えることができるものを変えよう。
自分ができることは、自ら自分の持っている正義の壁に扉を作って、壁の外に出て、相手の正義に耳を傾けることです。
これは妥協ではなくて、意見の交換ですね。
こんな時の僕の態度は、自分の意見を聞いて欲しければ、まず相手の意見を聞こう。傾聴ですね。
こんな時でも応用できる黄金律は、やっぱり偉大だなと感じます。
石山アンジュさんは、こんなnoteも書いています。
心の分断を、どう食いとめることができるだろう。
アンジュさんのnoteの中に出てきたこの表現は的確だな、と思いました。
地球上には安心社会と信頼社会という二種類の社会が存在する。
●安心社会=メンバー同士の相互監視や制裁といった仕掛けを通じて、人間同士の結びつきの不確実さを解消していこうという社会のあり方。
●信頼社会=社会が提供する「安心」に頼るのではなく、自らの責任でリスクを覚悟で他者と人間関係を積極的に結んでいこうという人々の集まり。このような社会では、他人から裏切られたり、騙されたりするリスクはつきものだが、他者と関係を結ぶことによって得られるメリットのほうが大きい。
山岸俊男著『日本の「安心」はなぜ消えたのか』
安心社会・信頼社会、どちらがいいというわけではなく、この二つの間を取っていく、ということはアンジュさんのnoteにも書いてあって、僕もその通りだな、と思いました。
僕は、リスクを覚悟で、他者と人間関係を結ぶ、ということができるコミュニティを作ります。
石山アンジュさんの本もまた読まなきゃな。