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「日本の音大」の歴史的起源 〜 日本の音大に未来はあるか? 第4章

割引あり

「日本の音大」をふたつも、しかも学長として、いやというほど経験した政治学者として、音楽に憧れ音楽に夢み音楽を志す若い世代のために、日本という国の将来のために、音大の未来について語る責務があると思う。

「日本の音大」に未来はあるか?|たかはし はじめ|note

【連載】日本の音大に未来はあるか?

この記事が3本目の記事となります。第4章にあたります。
全体は、「序章+13章」の全14章(14本の記事)から構成される予定です。

個別の記事を有料記事として書き進めて、ある程度まとまったところで有料マガジンとする予定です。個別の記事は、目次に沿って月に1〜2本くらいのペースになるかと思います。マガジンで一括購入した方が、個別記事の価格の合計よりも安価となりますが、マガジン購入が可能になるのは数ヶ月後の予定です。

【連載】「日本の音大に未来はあるか」マガジンについて

全体の序章にあたる記事をまず最初にお読みください。すぐ下のリンクから読むことができます(有料記事)。

【執筆済】
序章 「日本の音大」に未来はあるか?
第1章 クラシック音楽の二つの意味
第4章 「日本の音大」の歴史的起源(☜この記事)



「日本の音大」の歴史的起源

「日本の音大」の歴史は、明治維新政府がその幕を開けた。明治政府は、1879年に文部省所属の音楽教育機関として、「音楽取調掛おんがくとりしらべがかり」を設置した。

「日本の音大」の歴史は、この「音楽取調掛」から始まる。

「音楽取調掛」から「東京音楽学校」へ

「音楽取調掛」は、設立から8年後の1887年、東京音楽学校となった。のちの東京藝術大学音楽学部である。

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