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【元学長の体験的大学論】一学部一学科制のススメ (小規模大学編 2 芸術大学)

割引あり

若くして二つの大学で学長を経験した政治学者として、日本の大学についてもたくさん思うところがある。
そこで、【元学長の体験的大学論】として連載を始めることにした。あえて論証よりも独断的な主張に偏向した記事として書いていく。


第一弾は、日本で社会人学生が増えない理由についてであった。

第二弾は、一学部一学科制のススメである。

まずは「小規模大学編」。主に想定しているのは、まずは音大。それから芸大。そして、女子大。それと文系の地方小規模大学である。

小規模大学編1として、「日本の音大」についてはすでに書いた。

一学部一学科制のススメ。次は、「小規模大学編 2 芸術大学」である。

じつは「一学部一学科」制は、なかなか理解されない。理解されないのを承知でこのシリーズを書いている。むしろ、このシリーズが終わる頃にようやく理解者が一人か二人は生まれるかもしれない。それくらいのつもりで書いている。

学科は多い方がいいに決まっているという思い込みがあるようだ。学科がなくなると専門性が失われるという思い込みがあるのだ。

だが、一学科にしても専門はなくならない。複数の学科にしたからといって専門が発展するとは限らない。ここには、専門性とは何かという深い問いが存在している。

日本の「学科」制度には弊害が多い。昔の「小講座制」の時代からはじまって、日本の大学における専門分野の「蛸壺化」の歴史は古くそして根深い。

芸術学部は芸術学科として一本化してしまえ!という乱暴な議論がこの記事である。美術もデザインも音楽もすべて一つの学科にまとめてしまえ!という主張である。

興味のある人だけ読んでいただければそれでよい。少子化の進展の中で、多くの芸術学部が今後そうなっていくのは必然だからだ。どうせそうなるなら早いほうがいい。それだけの話である。

少子化に余儀なくされてやむをえず一学科にする、という選択ほど無責任なことはない。それは学生たちに対する無責任であるだけでなく、専門性に対する無責任を意味する。

いずれ一学科制を採用するのであれば、少子化に余儀なくされてそうするのではなく、少子化の進展いかんに関わらず、専門性に対する責任を積極的に果たすことのできる一学科制を、一刻も早く構想して実現すべきなのである。

「日本の音大」もたくさんの学科をもっていた時期があった。

かつて日本の音大の音楽学部のなかには3〜7つも学科が存在した。だが、今やすべての日本の音大が2学科もしくは1学科に収斂した。

3〜7学科あった時代には専門性が発展して、2学科・1学科になってしまったら専門性の発展は見込めないのだろうか。

なぜ、3〜7学科もあったものが、1学科もしくは2学科になってしまったのだろうか。

理由は単純である。少子化による学生減である。

だがそれだけで学科を減らしたのだとしたら、その音大は果てしなく無責任な大学だということになる。

学科を減らしても専門性の発展を見込めるという確信なしに、少子化に余儀なくされたという理由だけで学科を減らしたのだとしたら、その音大は重大な誤りを犯したことになる。

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