無償で演奏しちゃいけないと音大生に言い続けてきた私がいま、無償で文章は書いちゃいけないと自分に言い聞かせている。
気がつけばいま下書きが76本もある。。。それはさておき、本題へ。
その前に、私のプロフィール。念の為。
無償で演奏しちゃいけないと音大生に言い続けてきた私がいま、無償で文章は書いちゃいけないと自分に言い聞かせている。
じつは、タイトルだけで言いたいことは尽きている。だが、それでは記事にならないので、少しだけ解説したい。
音大生は演奏ができる。
音大の教育内容も多様化したので、最近はそうでない音大生もいる。が、それもさておき。
学生だから無償で演奏するのが当然?
そのむかし、音大生に無償で演奏を依頼する人たちが世の中にはたくさんいた。20世紀も末の話である。
私が音大に勤めたのを知ると、「誰か演奏してくれる人いないかなぁ」と尋ねてくる人が大勢でてきた。
「たくさんいますよ」「お願いできるかなぁ」「もちろんです、でご予算は?」「え?お金いるの?」
とまあ、こんな感じであった。
音大生=学生=ひま=時間を持て余している=ただで演奏させてやる。。。こんな図式だったのだろうか。。。よくわからない。。
音大生が演奏の機会を与えられることはたいへん喜ばしいことである。できれば断りたくない。
だが、無償では絶対に私は引き受けなかった。せめて交通費と弁当代を出してもらうというところから始めるのが、当時はそれでも精一杯だった。それほど世の中に理解がなかったのだ。そもそもまったく予算を組んでいないというのだから仕方がない。
相手側には「プロならまだしもプロじゃないでしょ」という感覚もあったのかもしれない。お金出すならプロに頼むよとでも言いたげな感じの人もいた。
「だったらプロに頼んでください」
これが私の答えだった。
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