企業と非営利組織の違いは何か? ①(深掘りLIVE #8 文字起こし記事)
深掘りライブです。定時の配信ができなかったんですが、少し遅れての深掘りライブをやりたいと思います。
これまで 「非営利組織の経営」とか、「私立大学の運営と経営」の話もしてきてるんですが、それと関連して そもそも「企業」ですね。 企業の経営について知らないと、「非営利組織の経営」とか「私立大学の運営と経営」との違いがわからないと思うんですよね。なので今日は、「企業とは何か」 ということについて少し話したいと思います。
企業とはなにか?
営利組織と非営利組織の違い、 特に、その経営や運営をめぐる違いです。 それを考えるときには、企業の本質、それから非営利組織の本質それぞれを知らないといけないわけです。 実は、企業という形式、あるいはもっと言うと、市場社会における株式会社ですね。 典型的には株式会社ですが、 そういった会社組織というのが出てきたのは意外とまだ新しいんです。世界史上は、東インド会社とかが企業の起源として言われて 、企業の歴史研究というのも実はあるんですけども、今日はそこまで触れません。
企業についての研究をやっぱり一番最初にやったのは ピーター・ドラッカーです。 今、経営学の神様になっちゃってますけども、あるいはマネジメントの神様ってことになっちゃってますが、 ピーター・ドラッカーの出発点は実は「企業とは何か」という、企業という組織は一体何なのか、ということから研究は始まってるんです。
企業の組織論を研究する中で、 いわゆる経営学の神様、マネジメントの神様になっていっちゃったわけですけれども、一番最初にまとまった形で書いた本が、 『企業とは何か』、コンセプト・オブ・ザ・コーポレーションという本ですね。 これは1946年に最初に出版されたわけです。いわゆる1910年代、20年代、30年代と、企業社会体制というのが だんだんだんだん出来上がってくる。
そんな中で、いわゆる第一次大戦、第二次大戦の最中に、 結局ドラッガーは企業という新しい組織がこれからは支配的になっていくということで、それは一体何なんだろうということで その研究をしたんですね。研究対象に選んだのが、 GM、 ジェネラル・モータース。このコンセプト・オブ・ザ・コーポレーション。 1946年に書かれたんですが、 GM を研究しているわけですね。『企業とは何か』という本で出ているので、本当は「非営利組織の経営」を考えるときにはまず 企業について知らなきゃいけない。
自由企業体制の時代
ドラッカーはこういうふうに言うんですね。企業が基盤となる産業社会になったんだと。それ以前は、企業といってもやっぱり個人的な資本家ですよね。個人的な資本家の組織だったわけですがこれが、いわゆる典型は株式会社ですけどね、 誰かの個人の事業体というよりもいわゆる企業ですね。組織としての企業というのが出てくるわけです。
これをドラッガーは「自由企業体制」というふうに呼ぶわけなんですが、この自由企業体制。自由企業体制というのはアメリカという国で 非常に支配的になっていったということです。 企業と異なる組織原理で動くのが、一つが政府、それからもう一つが非営利組織と、大きく分けてこの3つだというふうに言うわけです。
よく企業っていうと、企業は結局、利益追求の組織だと。競争的な市場があって、これが前提ですね、市場社会。 その前提として資本主義というのがあるわけですが、資本主義的な市場があり、その中で企業という形態が生まれてきたわけですね。 そして今やもう、企業社会なわけです。企業に属してない人の方が少ないわけですよね。
企業の本質はなにか?
企業の本質は何かといえば利益なんですが、よく言われるのは、企業とは結局、私的な利益の追求 だということで、例えばその問題と公共的な利益ですね、企業の私的利益追求と公共的な利益の関係はどうなるのか、っていう ここが非常に重要なポイントになるわけです。
国有企業ではなくて私的な自由な企業、私有企業ですよね、プライベートな企業が、競争市場を前提とした社会において支配的になり、しかもその方がまともな社会ができる、ということなんですね。企業の私的利益追求を否定する人もいなくはないんですが、今やそういう人はいないと思うんですけども。一方で、じゃあ企業はどういうふうに公共的な利益を実現するのか、しないのか、という問題はあんまりちゃんと説明している人はいるようでいないということなんです。
ここでドラッカーは、ジェネラルモータースを一つの典型として研究するわけですけれども、 企業の利益と社会の利益は対立関係にあるのかどうかと。そういう前提に立ってしまうと、企業が支配的な社会においては 社会的な利益が実現されないという話になっちゃうし、結局、政府あるいは国ですね、国有化も含めて政府がコントロールすべきだって議論になるんだけど、実際の現実はそうではないわけですよね。 結局、企業における利益の追求ということと公益の実現というものは調和するのかしないのか 。
企業の営利追求と公共的利益
これについてドラッカーは、結論から言うと、調和するという話になるわけなんですが、では、なぜ調和するのか。
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