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日本の音大に未来はあるか ② (深掘りLIVE #31 文字起こし記事)

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深掘りLIVE #31 日本の音大に未来はあるか? ②

深堀ライブの31個目、「日本の音大に未来はあるか」のその2をやりたいと思います。

実はこの「日本の音大に未来はあるか」のその1をいつやったかというと、2023年の7月28日なんですね。これが実は、深堀ライブの1回目でした。深堀ライブの1回目が、「日本の音大に未来はあるか」のその1。

二つの言い訳と今後の方針

ということで、だいぶ時間が経ちました。いろいろ事情があるんですけれども、そもそもこの「日本の音大に未来はあるか」というのは、note記事として、私がポッドキャストをやる前にnote記事として書き始めたのが最初なんですね。2023年の3月11日に序章を書いてます。その後、1章4章と書いたんですが、その後、私自身がポッドキャストの方に、音声配信の方に完全にシフトしてしまって、note記事についても音声配信ベースで配信するように切り替わったっていうのが、1つの事情としてあります。

それからもう1つ、やっぱりこう実際に書くのはなかなか大変だっていうのもあるんですが、それよりも日本の音大の話どころか、日本の私立大学、あるいは日本の大学自体の未来があるのかという、音大どころの騒ぎじゃない話がいっぱい出てきたんですね。実際、最近の配信はもうそういう方向にシフトしていて、ひとり音大だけの話をしてる場合じゃないという事情になったっていうのも、もう1つの言い訳です。

「日本の音大に未来はあるか?」をどうするか

ただ、私がなんでこの「日本の音大に未来はあるか」を最初の深掘りライブで選んだかというと、私自身が音楽大学に21年勤めた。その後4年間は音楽学科を持つ北海道で唯一の私立大学に勤めた。学長として4年間。さらに音大21年のうち6年間は学長職を務めた。つまり25年間、私立大学に、私は音楽系の私立大学、音楽系・芸術系の私立大学に勤めて、なおかつ25年のうち10年間は学長職を務めていたという、そんな事情があるわけです。

しかもさらに言えば、私は音楽が専門ではなくて政治学が専門で、むしろ音大のマネジメントですね。なかなか音楽の先生でそれができる方はいなかったりしたので、また職員組織の問題とかいろいろあるんですが、それはさておき、そんな事情もあって、この問題、日本の音大の未来についてやっぱり語っておく必要があるだろうということで書き始めたんですね。書き始めたんですが、その後いろいろあって止まっていたと。

これをどうしようかということでいろいろ悩んでたんですが、もうnote記事として書くのはやめて、今後はこの深堀ライブで「日本の音大に未来はあるか」のシリーズとして語っていこうというふうに切り替えました。これまでにnote記事で書いたものをベースにしつつ、さらに実は章立ても14章分決まってたんですね。この章立てで書く予定だった内容もこの深堀ライブの中でも語っていってしまおうということです。

もし機会があれば、それをまた文字の本なり、冊子にするっていうことは考えてもいいんですが、実は時間的に言ってですね、時間的にというのは、もうそんなことやってる余裕はないというか、音大の過去を振り返ってここにこういう問題があって、だからここをこうしなきゃいけないとか議論してる場合ではなくて、もう日本の私学・大学自体が、募集停止が相次ぐ時代に、自然淘汰の時代に入ってしまった中で、音大、それから女子大、地方の小さな私学ですね、これは本当に最初から潰れていく、真っ先に潰れていく対象になりやすいんですよね。

今後は深掘りライブで:もはや時間がない

だからそういう意味では、音大だけの話をしててもしょうがないだろうという気はするので、なので、深掘りライブで語れるだけ語って、さらにそこに音大だけに限らない日本の短大とか女子大とか、いろんな地方の私学とかね、小規模私学、私立大学とかの問題も絡めながらも語ってた方がいいだろうと。今、実際何ができるのか、何をやるべきか、どうしたらいいのかっていうことを、問題に即してこのシリーズでは語っていこうかなというふうに思ってます。

前置きが長くなりましたが、これまで「日本の音大に未来はあるか」ということで序章を書き、その後、クラシック音楽の2つの意味、日本の音大っていうのはクラシック音楽偏重で来たのは実は理由があるということで、第4章で、その起源が実は明治以降の音楽大学を作るプロセスにあった。これ東京音楽学校、今の東京芸大音楽学部ですけどね。その時の最初の掛け違いが、実は根底にあるんだって話をしてきました。

これもいずれ触れたいと思いますが、今日はですね、そこでかなり包括的に、リベラルアーツと音楽の関係、音楽とユニバーシティの関係、そして日本の音大の歴史的な起源と特殊性、そして音大という世界の特殊性、そして日本の音大はいつどこで間違えたのか、何を間違えたのか、そもそも音楽の普遍性とは何か、そして大学の普遍性とは何か、そして日本の音大は普通の大学になれるか、日本の音大は音楽を普遍的に扱えるか、日本の音大は普遍的な大学になれるかっていう、まあそういう章立てでそういう内容で書く予定だったんですが、もうこの話をむしろ、今ここ1、2年でやることをやらないと、もう日本の音大は半分なくなっていくだろうというふうに思ってるので、まあ緊急性も含めて深掘りライブで語っていこうかなというふうに思っています。


最善の選択肢は他大学との統合再編

いくつかポイントあるんですが、概略的に言うと、1つ目。日本の音楽大学、昔は5学科、6学科、7学科持ってる音大もあったんですが、音楽の単科大学ですね。これが今、1学科の音大と2学科の音大に集約されています。ただ私の意見では2学科にしておく理由は一切ないと、直ちに1学科にしたほうがいいということですね。それから、1学科にしたところで生き残れるかって言ったら、そんなこともないということなんですね。

もう小規模化しちゃって、特に地方の音大は小規模化しちゃって、採算が成り立つラインをすでに大きく下回ってるわけですね。もう100名集まらないわけです。だからこれ軒並み、そのままではもう潰れてくし、ここ1、2年でまた募集停止がポコポコ出てくると思うんですね。それを避ける道は、1つは統合再編ですね。他大学との統合再編。

貴重な音楽大学資源を失わないために

これを選択肢として入れないと、その貴重な音楽教育資源が失われると。その地方からね。貴重な音楽、高等教育における音楽大学資源が失われてしまう。だからどんな形でもいいから、音楽学科、音楽学部じゃなくてもいいから音楽学科でいいから、やっぱりどっかの大学に吸収再編してもらって生き残るということを考えるべきじゃないかというのがやっぱり一番大きなポイントですね。

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