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「日本の音大」に未来はあるか? 序章

割引あり

今後、noteのマガジン機能を使って、「日本の音大に未来はあるか?」という連載をはじめる。内容は、この記事に記載の「目次(予定)」の通りである(有料部分)。書き進めるうちに修正も生じると思うが、とりあえずはじめる。

「日本の音大」をふたつも、しかも学長として、いやというほど経験した政治学者としては、音楽に憧れ音楽に夢み音楽を志す若い世代のためにも、日本という国の将来のためにも、音大の未来について語る責務があると思うからである。

「日本の音大」に未来はあるか?|たかはし はじめ|note

2010年に音大の学長に就任して以来、いつか書かなくてはならないとずっと思い続けてきた。ようやく落ち着いた時間を取り戻したので、今回こそは着手する。これもnoteの効用である。

もう一つのきっかけは、「音大崩壊」という本の出版である。

「音大の生き残り」がようやく世間の関心事になってきた。だが、私の経験からいって、本書が提言する処方箋だけでは到底「日本の音大」を救うことはできない。

「音大崩壊」が語られる昨今であるが、崩壊の原因は、単なる就職指導の欠如や経営の失敗にあるのではない。音楽教育機関や他大学との「連携」や「新しい時代や変化への対処」をしてこなかったからというだけにとどまらない。問題はもっとはるかに深刻なのである。

「日本の音大」に未来はあるか?|たかはし はじめ|note

ということで、ようやく重い腰をあげて、【連載】日本の音大に未来はあるか? を書きはじめる。本連載は、いずれnote有料マガジンにする予定である。

個別の記事を有料記事として書き進めて、ある程度まとまったところで有料マガジンとする予定です。個別の記事は、目次に沿って月に1本くらいのペースになるかと思います。マガジンで一括購入した方が、個別記事の価格の合計よりも安価となりますが、マガジン購入が可能になるのは数ヶ月後の予定です。

【連載】「日本の音大に未来はあるか」マガジンについて

【執筆済】
序章 「日本の音大」に未来はあるか?(☜この記事)
第1章 クラシック音楽の二つの意味
第4章 「日本の音大」の歴史的起源


特殊な存在としての「日本の音大」

「日本の音大」は、二重の意味で特殊であった。

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