日本の音大に未来はあるか ⑤ (深掘りLIVE #44 文字起こし記事)
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深掘りLIVE #44 日本の音大に未来はあるか? ⑤
日本の音楽大学の歴史的起源と問題性
日本の音大に未来はあるか。その5ですね。深堀ライブの44になります。また少し間が空いてしまいました。
このシリーズは、2023年の3月から始めたんですけれども、まあいろいろあってなかなか進んでいませんが、一応最初に目次を考えたんですね。日本の音大に未来はあるか。
クラシック音楽の2つの意味。これはもう階級的っていうことと古典的って2つの意味があるって話ですね。対立する言葉も2つあるわけですけれども、やっぱり音楽大学って言った場合にやっぱりクラシックだけやってちゃいけないということが言いたくて、最初にその話をしています。
それからもう1個は、リベラルアーツという中での音楽っていう捉え方がどこまでできているのかっていう、この問題もあります。この話はまだあんまりしていません。
それから音楽大学、大学なんですね、ユニバーシティの中に音楽学部がないと。日本の場合は特にね。諸外国に行けばあるんですけど、日本の場合にはユニバーシティの中に音楽学部がない。
ユニバーシティから弾き出された日本の音大
音楽学部、美術学部はユニバーシティから弾き出されているのが日本の大学なんですけれども、そのことの大問題ですね。これは日本のユニバーシティがグローバルスタンダードにならないことの問題、そして日本の音楽がグローバルスタンダードにならないことの問題とも絡んでいるだろうというふうに私は思っているということですね。
それからもう1つは日本の音大の歴史的な起源ということで、東京芸大を作っちゃった。国立は1個しか作らなかった。それから公立が3つできて、あとは私立。私立の方は芸大ができずに音大と美大に分かれたというね。
こういう不幸な歴史があるわけです。つまりユニバーシティに入れてもらえなかった上に、国立は1個しかできずに、しかも美術学部と音楽学部は結構ね、犬猿の仲とまではいかないけれども、それぞれ独立した大学が2つくっついてるようなものでね。最近は知りませんけれども、道路で隔てられてるわけですから。そういう問題もありますし。
だいたい芸大という、私立でも芸大ありますけど、美術学部と音楽学部っていうのはそれほど交流がなくて。もう日本のユニバーシティみんなそうなんですけどね。学部間交流って少ないんですが、学部が独立性が非常に高い。だからあんまり、ユニバーシティの中にあったとしても、日本のユニバーシティの中ではもしかしたら、ユニバーシティの中にある意味っていうのはあまり見えなかったかもしれないですね。
日本の音大の特殊性を産んだ不幸な歴史的起源
それはさておき、歴史的起源としては今言ったようにユニバーシティから弾き出され、国立は1個、公立は3つ。しかも美術学部と音楽学部はほとんど交流がない。別々に運営していると。
1つの大学の中に2つ大学があるような状態だった。そして私立大学はほとんどが音楽の単科大学になってしまった。このこと自体が日本の音大の発展を阻んできたし、日本の音大の特殊性を作ってきてしまったと私は思っているわけですけれども、こういう歴史的起源はやっぱり非常にマイナスが大きいなというふうに思います。
これは実は遡ると明治維新後の文部省での、それこ伊沢修二さんでしたかね。あのあたりの官僚的な態度、対応にも非常に問題があっただろうと思います。今の文部科学省が全く音大のこと芸大のことを理解していないというね。
結局、文化庁を作ってそっちに任せちゃうみたいな感じになっちゃってるわけで、文部科学省の役人ともいろんな話しましたが、法学部出身が多いんですけど、私も法学部出身だからよくわかるんですが、音楽大学のことは一切理解していないですね。
文部科学省は音大のことを全く理解していない
私も音大という世界に関わるまでは音楽大学という世界はもう全く理解できない世界でしたし、音大という世界に関わってからも理解できないことがたくさんあったので、文部官僚で法学部出身の連中に音大のことが理解できるはずがないというふうに真面目に思ってますけど。
つまり文部科学省、日本の文部科学行政の中には音楽大学というものがちゃんと位置づいていないわけですし、その理解者もいないという状況の中でやってかなきゃいけないということも実はあるんですが、これ日本の音大関係者はあんまりそのことを理解していない。
文部省とまともにしゃべれる音大の学長・理事長はほとんどいませんからね。その意味ではもう隅っこの隅っこの方にいるわけですね。これ自体も問題なので、先ほど言った歴史的な問題、音大と美大、ユニバーシティの関係なんていうのを改革しようと思ったって、これをやる人はいないという、そういう話になってしまってるわけです。
だから一人音大だけの問題じゃないということなんですが、ただこれはね、世界に目を広げると相当異常な世界、それぞれがタコツボ化した異常な世界だと私は思っているわけですけどね。そんな中でちょっと語りたいのが音大という世界っていうのが、第6章で書く予定だったんですね。
その上で、日本の音大はいつどこで間違えたのか、何を間違えたのか、音楽の普遍性とは何か、大学の普遍性とは何か、日本の音大は普通の大学になれるか、日本の音大は音楽を普遍的に扱えるか、日本の音大は普遍的な大学になれるかっていうふうに一応、章立てだけはできてるんですが。
グローバルスタンダードからかけ離れた日本の音大の特殊性
今日は音大という世界について、私なりの目から見た不思議だなぁと思うことを話してみようかなと思います。というのも、今言ったように歴史的に見ても国際的に見ても日本の音大は相当に特殊だっていう、まずこの自覚をほとんどの音大の先生は持ってないでしょうね。
これが普通だと思っているという、それ自体がこの音大という世界の特殊性だということだと私は思っているんですが。逆に言うと今度、音大を知らない人たちは音大という世界を知らない。音大にいる人たちは音大という世界しか知らない。普通の大学を知らなかったりする人が多いという、こういう話になっているわけです。
そんな中で私なんか間違って音大に就職してしまったばっかりにですね。音大の隅々まである程度知ってしまったが故に、その狭間でいろんなことをやろうとしてきたわけですし、その方向性は全く間違っていなかったと思いますが、結局、今言った歴史的な起源、国際的な常識、グローバルスタンダードには到達し得ないままリタイアしたという形になるわけですし。
しかもその後そういう問題意識で音大改革をしよう、日本の大学改革をしようという気配も、兆しも、後継者も全く見当たらないという状況の中で、日本の私立大学が募集停止が相次ぐ中で、日本の音大も同じように募集停止していくだろうなと。なぜかというと、その時に大きく二つですね。
音大はユニバーシティに入れるか
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