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「育てる大学、育つ大学」をつくる ③ (深掘りLIVE #40 文字起こし記事)

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深掘りLIVE #40 「育てる大学、育つ大学」をつくる ③

大学のユニバーサル化

深堀ライブの40個目ですね。「育てる大学、育つ大学をつくる」のその③をやりたいと思います。

育てる大学、育つ大学っていうのは、私がたどり着いた大学のあるべき姿を一言で言う。二言ですけどね。端的に表現する言葉だと思ってるんですが。

その①では、大学はユニバーサル段階に入って、大学が本来思っていた高等教育、教員が思い込んでいた高等教育だけをやっていては、ミスマッチが生じるという話ですね。

一方で学生募集しなきゃいけないから、いろんな学生を取らなきゃいけない。今は全入時代を過ぎて定員割れ時代に入っているから、受験した学生はだいたい軒並み取って育てなきゃいけないという大学が増えてきたわけです。

これからは中堅大学、いわゆる偏差値の高い大学もそういったユニバーサル化の波にさらされる中で、日本の高等教育は本当に大学は対応できるのかという問題に直面しているように思います。

そういう意味では、中にはFランなんて言われていた、失礼な言い方をされていた大学も含めて、地方小規模が努力してきたことで学ぶべきことは実はたくさんあるんですが、大学教員はそういったことを学べない、学ぶ人が一人二人いたとしても、大学を変えられない場合が多いので、そうすると結果として育てる大学、育つ大学は作れないという形になるのかなと思いつつも、このシリーズを、少し語っていきたいと思います。

育てる大学、育つ大学をつくるためには、そもそもその目的にそうだと思わない人もたくさんいるわけで、なんで育てなきゃいけないんだと思うかもしれないし、しかも育て方を知らないわけですね。

大学は学生を育てているのか?

昔は、ほうっておいても育ってたというか、育ててなかったわけです。日本の大学っていうのはね、もともと。入ったらそのまんまだったわけですね、基本的に。

勝手に育つ、あるいは育たなくても、就職できたわけですけれども。あとは大学の正規のカリキュラム以外に、いろんな教育的な仕組みがあったわけですけど、そのことはちょっと置いといて。

とにかくユニバーサル段階に入り、全入時代に入り、定員割れ時代に入り、大学は学生募集に躍起になっているけれども、じゃあ学生を育てられているのかというと、必ずしもそうなっていない現状があるわけです。

うちの学生はもう本当にどんどん質が悪くなって、ダメになってきたみたいなことを平気で嘆く先生方がいまだに大学教員には多いんだけど、それは育てる大学、育つ大学とは無縁であり、そういった大学は遅かれ早かれ衰退していくという、そういう話なんですね。

その②では、なぜ育てる大学が必要なのかという話をさせていただきました。

特に講義ですね。講義1人の教員が講義をやって単位にする。これが全科目の中で、あるいは1人の学生が卒業までに学ぶ全単位数の中で、何割を占めているか。もしこの講義が、4割、5割、6割、7割、8割を占めているとしたら、その大学は育てる大学、育つ大学の資格がないというふうに、私は真面目に思っているということです。

講義形式で学生は育てられるか?

いまだに講義形式にこだわっている。これはもう本当に学生が多い時代のマスプロ授業から始まって、ある意味、大量生産するような話だったわけで、その教育システムにいまだにこだわっていると。

講義、レポート、試験、筆記試験。それだけでやっている大学はすでに終わっているというふうに思いますし、育てる大学、育つ大学にはならない。それでは学生は育たないということですね。

前回は、講義形式の問題点についても少し語らせていただいていますし、この講義の問題については他のシリーズでも語っているわけですが、これがなかなか理解されない。

講義こそが最も良い、リアルのオフラインの講義、ライブでのね。これが最も良い教育システムだと信じてやまない大学教員が多すぎて、それでは全く役に立たない、意味がない。

講義が本当に成り立っていればいいですけどね。成り立っているようには思いませんね。この講義形式は即刻やめるべきであり、講義をリアルタイム、ライブ、オフラインでやっているのは、すべてオンデマンド、オンラインでやったほうがいいというふうに思います。


学生を育てるとはどういうことか?

それで空いた時間を、もっと学生を育てるための時間に使うべきだということなんですが、ここで問題は、大学教員が学生を育てる力があるのかということなんですね。家庭のことまで口出すつもりはないですが、家庭でちゃんと子どもを育てられているのかという問題も含めてですね、育てるということは結構、大変なことですよと。

しかも日本の場合、大学入るまでの教育のところで本当に育てられているのかという問題も出ているわけです。つまり崩壊しているのは高等教育だけではなくて、大学だけではなくて、高校までの教育もうまくいってない部分がたくさんあるわけですよね。

だから大学は、高校まで何やってたんだと、大学教員は口を揃えて言うわけです。初年次教育なんて、なんでやらなきゃいけないんだというふうに言う大学教員もいるわけですが、そういった大学教員は育てる大学、育つ大学をつくる力には全くならないわけですね。

一番大事なことは、自学自習ができて自分の頭で考えることができる学生をつくる。そしてそれを社会に送り出す。これが大学の役割ですね。

三つのポリシーは形骸化していないか?

今の大学業界では3つのポリシーということが言われ始めて、もう10年ぐらい経ちますかね。アドミッションポリシー、カリキュラムポリシー、ディプロマポリシー。これはカタカナで言うと新しいことを言っているような気がしますけれども、要はどういう学生を受け入れ、どういう教育をし、そしてどうやって送り出すのか、もうそれだけのことなんですね。

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