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自然淘汰時代を生き延びる新機軸の大学改革論 ①(深掘りLIVE #42 文字起こし記事)

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深掘りLIVE #42 自然淘汰時代を生き延びる新機軸の大学改革論 ①

深掘りライブの42個目ですね。だいぶ間が空いてしまいました。いろいろとありまして、過去のいろんなエピソードをまとめたりとかね、していたら結構、時間が経ってしまいました。

学修者本位のユニバーシティのために

「自然淘汰時代を生き延びる新機軸の大学改革論」。新シリーズのその1ですね。副題をつけました。学修者本位のユニバーシティのために

学修者本位のユニバーシティのためにということで、自然淘汰時代を生き延びる新機軸の大学改革論について語っていこうと思います。何回になるかわかりません。

もう基本は、むしろ新しいことを言うよりも大学の原点に戻れということになるかなと思うんですが、その時のキーワードが学修者本位そしてユニバーシティということになります。

今の大学は本当に学修者本位のユニバーシティなのだろうかという、そういう話ですね。

これまでいわゆるオンデマンドオンライン教育で講義型のリアルタイムの対面型の講義は基本的にはオンラインオンデマンドでとって代わった方がいいと、その方が教育効果も上がるという話などもしてきましたが、そのことの意味ですね。これはやっぱり、根本的に学修者本位で徹底して考えることだと思うんですね。

時間割と教室割に縛られた講義という形式はそもそも学修者本位なのか

つまり時間割と教室割に縛られた学びは本当に学修者本位なのかという根本的な疑問があるわけです。

もう一つは、講義形式自体がそもそもある時代の産物であって、必ずしもそれが普遍的な形態ではないにもかかわらず、近代において大学が成立したときに近代という時代とセットで講義形式というものがやっぱり取り入れられたんじゃないかなというふうに思っているわけですね。

そういう意味ではその講義形式になぜか縛られている。呪縛ですね。講義の呪縛というのがあるんですが、リアルタイムで教室と時間割に縛られた講義というのは必ずしも学修者本位ではない。むしろ何か近代を作るために作られた学校システムの一部であるという考え方なんですね。

実はオンライン、オンデマンドで講義は置き換えられると対面リアルタイムのね、いう話をしてきたんですが、そのことの意味はむしろオフライン、リアルタイムというよりオフラインですね。オフラインのオンデマンドという世界が実はある。

学修者本位とは学修者のオン・デマンドに応えることである

つまり本当に学修者本位を徹底するのであれば、学修者が聞きたいときに聞きたいことを聞けるのがいいんですね。オンライン、オフライン問わず、聞きたいときに聞きたいことを聞けて、その学修者本位のペースで学修者が今必要としていることに応えられると、大学がね。ユニバーシティがね。

ということが一番大事であって、ある学部学科の中で時間割り、教室割りに縛って全員に同じ教育を受けさせることが本当に学修者本位なのかと。それは画一的にある知識を伝授するという目的のために学修者の都合や学ぶ意欲を無視して決められた制度、仕組みなんじゃないかという話ですね。

ユニバーシティ、大学っていうのはそうあるべきなのかと、そうではないのが大学ではないのかと。もっと自由な学びを実現するのが本来の大学じゃないのかと。そういう意味では大学の原点に戻るべきだという話ですね。

学修者本位のユニバーシティに戻るべきだと、大学はね。そうやって考えたときに既存の制度っていうのは全部、根本的に見直す、あるいは根本的に、それを当然の前提としないで発想したほうがいいだろうということなんですね。

その考え方、基本的な発想の中で、これまでオンライン、オンデマンド教育が日本の私学を救うとかいう話をしてきたわけですが、その裏側にはオフラインにおいてもオンデマンドを基本とすべきである。つまり、オンデマンド、学修者本位っていうのは徹底的にオンデマンドであることだと思ってます。

まったく学修者本位ではないリアルタイムの対面型講義

例えばテレビを見るときに、その時にその放送しか地上波しか流れてないから、録画の仕組み、録画する仕組みもなかったということなので、その場にみんなが集まって講義室でそのテレビを、その時間だけしか放映されないからその時間に見ると。今の大学の授業と一緒ですよね。

授業はその時間しかやってくれないからその時間に行くしかない行けなかったら学べないという話になっちゃってるわけですね。これはもうテレビの地上波でその時しか放映されなくて、しかも録画機器もないと。後で都合のいいときに見るということが許されないのが大学の講義リアルタイムの対面型の講義だろうと思ってるんですね。

今や、テレビを見るのも地上波のリアルタイムで、その時オンエアされているものだけを見る時代はとうの昔に終わっていて、すべてはオンデマンドでしかも録画可能な形で視聴者の見る側の都合で見ることができる

それが見る人にとっては一番いいわけですよね。見たいと思ってその時に集中して見るわけですから。そうでない時間帯に今流れてるから、いろんなことを考えながら別のことを考えながら別の用事をしながらテレビをながらで見ると、結局、今日のドラマどんなドラマだったんだろうって、わかんないわけですよね。

それと同じことが大学のリアルタイムの対面型の講義では起きていると。しかもそれを日々、毎年ずっと再生産し続けてると。ここに教育、学修ということについての生産性があるんだろうかっていう、そういう話ですね。


オンライン・オフラインを問わずオンデマンドであること

ということで一つ目。学修者本位とは、徹頭徹尾オンデマンドに徹することであるということを出発点にする。オンラインオフラインを問わずオンデマンドを徹底するという出発点からいろいろ考えていきたいんですね。

そうすると、いわゆる講義でやっているものっていうのは、基本オンラインオンデマンドでできてしまうわけですね。オンラインオンデマンドでできてしまう。その方がいいわけですね。これ今のテレビの例と一緒です。それでやればいいと。

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