なぜ「ことば」にこだわるのか
「ことば」とはなにか。
ヒトだけが複雑で抽象的な「ことば」を操る。言語モードの出現には、脳の巨大化が不可欠であった。
言語を含む高度なコミュニケーション能力は、脳の進化とともに発達してきた。
ところが、いまやAIも自然な「ことば」を生み出すようになった。
ここには、ヒトの脳に模した巨大なニューラルネットワークと、それを用いたディープラーニングという仕組みが不可欠であった。
AI脳の巨大化が自然言語を可能にしたのである。
「ニューロンの総数、モデルサイズや層数をはるかに大きくする」ことでディープラーニングが可能になった。そして「ディープラーニングと強化学習を組み合わせた手法」が、AI脳による学習をさらに精緻なものにした。
AIによる自然言語処理が可能になってきたということは、その学習の仕組みが私たちの言語学習の仕組みにかなり近づいてきたということだ。
だが、ヒトの言語獲得の謎はいまだ完全には解明されていない。
1990年代以降の言語学は、構文論と意味論の世界に明け暮れていた。
だが、この30年間で機械学習の世界が格段に進化した。
機械学習の進化によって、あらためて「言語とはなにか」が問われるようになった。
機械学習の進化という必要不可欠なプロセスを経て、ようやくたどり着いた。それが「記号接地問題」である。
ことばという記号には《接地感覚》というものがある。
この点について、私の暫定的な結論は以下のようなものである。
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