ザッツ・マイ・ライフ2

 夏の江ノ島はたくさんの人で賑わっている。近年は1年を通じて日本各地からいろいろな方が訪れるが、15年くらい前だったか、理由はよく分からないが冬場も賑わうようになった。
 暑い季節も電車の中の広告を交換していく。午前中は車窓にあるステッカーの交換。わたしは起きた現象や、行動に伴う理由を説明するのがとても苦手なのだ。他人との会話や誰かの意見を取り入れて、何かを構築するときも納得がいかない事が多い。どのように納得いかないかも説明出来ないのでモヤモヤが募っていく。
 それでも順風満帆とはいかないまでもこのアルバイトを始めてから数年間はあまり凹むことはなかった。
 だかしかしわたしは実は人間という存在として劣っているのではないだろうかと考える場面が幾つもあった。近年では通説になりつつあるが、例えば簡単な計算を度々間違えるとか、覚えた事が「覚えたつもり」になっただけで、実際はそのように振る舞えなくなっていた。

 これを読んで楽しい気持ちになるのか⁉︎

 わたしの発達障がい体験記は辛いものだった。毎朝決まった時間に起きて電車に乗るのも大きな苦痛だった。コロナ時代以前は満員電車も当たり前だったから、乗車駅は乗客が疎らでも都心に近づくにつれて、どんどんが乗ってきて、降りる人がほとんどいないので、神奈川を出る頃は文字通り「寿司詰め」状態となる。何が言いたいかと言うと、わたしも周囲と同じように、波風立てさせないように振る舞い続けたつもりなのだが、数年後わたしは自らそのアルバイトを辞めたのだ。
 世の中の厳しさを身をもって体感したと言えば綺麗事を聞こえるが、忙しい日々の割には充実感があまりなかった。わたしはアルバイト以外に楽しい事を探すのに躍起になっていた。帰宅するときに寄り道したり、本当にわたしがやりたいことをやってみたりした。そのひとつは〝学ぶこと“であった。

 お芝居、落語、歌、ダンス・・・そのレッスンは本当に楽しくて充実していた。1コマは90分だか、長いなぁと思うことはあまりなかったのだ、できれば続けたいと思ったが、現実の厳しさ、金銭面でのやりくりが出来なくなったというか、「その事務所に騙されている⁉︎」っていう考えも浮かんできて、結局事務所は辞めたけれど、レッスン料を払うために借りてしまったお金をその後も払い続ける羽目になってしまったのだ。

 自分だけにしか出来ないことは何だろう・・・真剣に考えつつも答えが見つからなかった。現在はイラストがあるけれど、自分が発達障がいであると認識したら、もう一般的な立ち位置で働くのは難しく思ったから、働くにも他人と比べないこと、その仕事で年数を重ねても「自分は自分でいいんだ」と考えることに重要度を置いている。確かに肩肘張って頑張らなくてもいいんだ!と実感できたのがまさに

ザッツ・マイ・ライフ(これがわたしの人生)

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?