住所を伝えていないけど母と父は自宅に来れたかな?
1980年7月。
私は東京都杉並区で生まれた。
姉が生まれたときのはなしは聞いたことがあるし、弟が生まれたときはうっすら記憶もある。
けれど自分が生まれたときの話はなぜか聞いたことがないかも知れない。
興味を持って聞きたいと思っても
もう母親も父親もいない。
気象庁の過去のデータを見るとその日は晴れだったらしい。
最高気温は27.6度。
それなりに暑い日。
ネットで調べられるような当時の情報しかもうわからない。
私が生まれたとき、病院のベッドに寝そべる母はなにを想ったのか。
ベッドに寝そべる母を見て父はなにを想ったのか。
映画のようなドラマティックなものは期待はしなけど、そのときに幸せな気持ちでいてくれたなら嬉しいよね。
少なくとも私は母と父の子供として生まれて幸せだったしね。
とてもアナーキーな家庭だったけど。
家族は疎遠になった姉と弟。
元気にしてるのかなぁ?
住んでいる場所も知らないけど。
家族のはなしで好きなのは、母親が姉を身籠ったときのはなし。
籍を入れる前に子供を身籠ってしまった母親は誰にも秘密にしていたみたい。
父親も母親の妹である叔母さんも気づかなかったらしい。
一人ひっそりと産んで旅館とかで住み込みで働きながら育てるつもりだったと母ははなしてくれた。
1978年5月のある日。
家で破水してしまい慌ててタクシーに乗り込んで病院へ。
タクシードライバーはそれはそれは焦っていたと笑いながら思い出話をしてくれた。
母方の祖父は叔母さんが嫉妬するほど母のことを大事にしていたようで、妊娠出産を知り大激怒。
父親が挨拶に行っても怒鳴ってはなしも聞いてくれなかった。
それでも結婚できたのは、一通のお手紙。
父方の祖父が母方の祖父に宛てた手紙。
祖父はどちらも文筆家で、父方の祖父からの手紙を読んで「こんなにも素晴らしい文章を書かれたら断れる言葉を持ち合わせていない」と結婚を認めたらしい。
父親の手紙じゃないんかい!と突っ込みたい部分もあるけれど家族のエピドードの中では素敵なはなしだから気に入ってる。
祖父は両者とも文筆家。
父親は映像作家。
父方の伯母は画家で伯父は写真家。
芸術が近くにあったのに私には才能がないようで、43歳になっても定職にも就かずブラブラ自由人。
祖父も父も伯父も50代で亡くなってる。
遺伝なのかな?
そんな私ももう43歳。
山中教授のiPS細胞のおかげで、50代よりももう少し長生きできるかも知れないな!なんて考えているけどさ。
色々とセンチメンタルになるお年頃。
お盆だったから色々と思い出したのかな。
まぁ!なんせいい年したおじさんなので、なにか趣味でも見つけなきゃね。
ってことで大好きな映画鑑賞を趣味にしよう!ってはなし。
映画館で観なきゃ映画鑑賞じゃないぞ!的なコアな意見には耳をふさいで。
自宅で観ても映画鑑賞ってことで許してね。
絶望的に記憶力が乏しいので、観た映画のなかで印象に残った作品はnoteに記していこうかななんて考えてる。
気が向いたときに書き溜めよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?