『英国衰亡論』9つの論点と日本への警告

 明治38年に、既に今日のイギリスの衰退、没落を予言していた1人の日本人がいた。明治5年に山口県に生まれ、コロンビア大学で財政学を専攻し、中央新聞主筆を務めた玉木よし夫氏である。
 彼は『英国衰亡論』という著書を出版したが、その副題が誠に風変わりなことに、「明治138年日本高等小学校教科書」となっている。明治138年とは西暦2005年,すなわち平成17年である。
 『英国衰亡論』には、以下の9つの論点がある。まず第一は、田舎生活よりも都市生活を好み、その結果、英国人の健康と信仰に次の悪影響を及ぼした。
⑴ 体力が衰退し、海外雄飛力を失う
⑵ 農業の衰退が国民を衰退に陥れる
⑶ 輸入のみに依存している
⑷ 国を愛するよりもパンを愛する
 第二は、保養のための外、海を顧みざる20世紀英国民の趨勢は、
⑴ 「海の子」が、海の生活を好まなくなる
⑵ 海はレジャーの場としか考えられなくなる
⑶ 英国船は大部分外国船員により運行されている
 第三は、次のような優美と贅沢が増加
⑴ トルコ風呂が流行
⑵ 経営者の社会奉仕精神が衰微
⑶ 生活費が急騰
⑷ 最も不幸なる社会的偽善として学校給食(週1回の手弁当)が広がって
  いる
⑸ ローマ人は快楽,贅沢を好み、遂にローマ帝国は衰亡したが、それに似
  たものが見られる
 第四は、文学及び劇の趣味の衰退
⑴ 低俗な文化が盛んになっている
⑵ 健全な思想が顧みられない
⑶ 俗悪な新聞、雑誌が国民の間に普及している
 『ローマ帝国衰亡史』の中で、ギボンは「詩人の名はほとんど忘れられ、演説家は詭弁家に圧せられ、天才亡びて趣味の衰退となれり」、「ローマの悲劇、喜劇はその共和制斃れてのちほとんど聞くところなく、之に代りて柔弱なる音楽、及び燦爛たる粧飾盛なるに至れり」と述べているが、その状況と酷似している。
 第五は、英国民の次のような身体や健康の漸衰
⑴ 国民の体力は訓練不足、漸次衰微をきたしている
⑵ 喫煙者がだんだん増加している
⑶ 賭を好み、野外活動をせず室内のボーリングを好む
⑷ 新聞雑誌は売薬広告で充満している
 第六は、英国民の宗教心の衰退
⑴ 宗教心を失い、偽善と宗教儀式に慰めを求む
⑵ 迷信が流行している
 第七は、租税の増加及び財政の濫費
⑴ 英国民は万事国家に依存してきた
⑵ 公共福祉の名の下に、国家は小児にまで衣服を給し家屋を提供し、安下
  宿を与えた
⑶ 地方自治のため、国家は多額の交付金を与えた。そのために多額の公債
  を発行した
⑷ 公益事業経営にあたり不注意で多く破綻を起こした
⑸ 政治家は名声のために偽善と大衆迎合主義に陥った
⑹ 公共事業は大規模となり、財政上の破綻を起こした
 第八は、不忠実な英国教育制度
⑴ 家庭における躾と教育がないがしろにされた
⑵ 学校教育は職業を身に付けるべきなのに文学に重点を置き、耕作、手
  工、労働を嫌った
⑶ 子弟は勤労の尊さを忘れ、海を捨て、土地を捨て、手工を捨て商業に走
  り、過当競争に向かった
⑷ 男は田を耕さず、女は子供に哺乳しない
⑸ 政治家はゴルフ杖を握り政略に明け暮れた
  第九に、英国防備の無力化
⑴ 英国は攻撃されやすい位置にあることを自覚していない
⑵ 英国民は国家を愛することを忘れ、安全保障の重要性を忘れた
⑶ 商業とその物品、競争にのみ熱中している
⑷ 自由の名の下に父母を尊敬しないし、年長者を信頼しないで我儘を押し
  通す

  このような診断を格調高い名文で論じた後に、この『英国衰亡論』は次のような文章で締めくくられている。

<吾人は吾国人特に我少年に向かって注意すべき事あり、蓋し我帝国は多くの点に於て英国に類せり、吾国民は英国エリザベス時代の如く頑強なる体格を有し、大陸の外に立ちて貿易は増進し、海軍は誇るに足るべき島国民たり、是に故に吾人は過去の邦国の歴史を読み、自ら戒むる所無かるべからず、英国人が羅馬(ローマ一引用者注)の衰亡を学ばざりしに鑑みて、吾人は深く英国の衰亡に学ばざるべからず也。>

 大平政権下で自民党が出版した『日本型福祉社会』第1章で、香山健一著『英国病の教訓』で紹介している『英国衰亡論』を取り上げ、「イギリスについて診断された英国病の原因は今日の我々に思い当たるものばかりであって、…我々はこのイギリスの経験を見て、『前車の覆るは後車の戒め』としなければならない」と述べている。詳しくは、7月20日付note拙稿「日本をと取り戻す土台は『家庭基盤の充実』」を参照してほしい。
 全学連委員長として、全国の左派学生運動を領導した香山健一学習院大学教授はイギリス留学で「英国病の教訓」から学び、帰国後、自民党の大平政権と中曽根政権のブレーンとして活躍し、『失敗の本質一日本軍の組織論的研究』(中公文庫)を臨時教育審議会の全委員に配布して、組織としての日本軍の失敗を、現代日本の組織一般にとっての教訓として捉え直し、その歴史的教訓を踏まえて臨時教育審議会を牽引した。
 毎週内閣府で開催された臨時教育審議会の第一部会終了後、赤坂にある社会工学研究所(牛尾治朗ウシオ電機会長が設立)で戦略会議を行ったが、その際に香山先生からこの本を読むように強く薦められたことが本書と出会う契機となったことを付記しておきたい。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?