松浦大悟氏のLGBT法案に関する発言
ニッポン放送ラジオ 飯田浩司のOK! Cozy up! 5月17日
なぜ自民党においてLGBT理解増進法案がつくられたかというと、今は全国の自治体でさまざまなLGBT活動家が学校に招かれて講演を行ったりしているんですね。その中には、トランスジェンダーの団体の集まりに行くために、親にうそをついて家から出るためのテクニックを教える活動家もいるわけです。そうした人が多様性条例の推進委員に名を連ねていたりするわけです。
こうした動きに歯止めをかけて国として一定の基準を設けましょうと始まったのが、この理解増進法なんですね。その意味において野党案に近かった与野党合意案を原案に近い形に引き戻したということは評価できますが、これでもなお心配すべき点は残っていると思います。
「差別」の定義が不明瞭なことです。例えば、全国の自治体では少子化対策の一環として、今婚活イベントを行っているんですね。ところが、広島県安芸高田市は2021年に婚活事業を廃止しました。理由は、子供を持てないLGBTへの配慮を欠いているからだというんですね。でも、これ本当に差別なのでしょうかと。もしこれが差別なのだとすると税金を使って行われている、こうした婚活イベントは全てやめなければなりませんね。
「性自認」を「性同一性」に置き換えましたが、これどちらもジェンダーアイデンティティーを和訳したもので、主観を前提にしていることに違いはないんですね。現在、経産省のトランスジェンダーの職員が省庁の女子トイレを使わせてほしい裁判を起こし、最高裁で審議が行われているんです。その人は性同一性障害の診断書を医者からもらってはいるんですが、健康上の理由から男性を切除することはできないんですよ。もしこうした人を女性専用スペースに入れなければ、LGBT団体は不当な差別だと主張すると思います。
ジェンダーアイデンティティーという言葉を翻訳した時にですね、性自認と性同一性と2つの言葉ができたんですね。で学術用語としては性同一性を使っていたんですが、一般的にもう少し柔らかい表現ということで性自認という言葉をマスコミなどが使い始めました。ところが、その日本語に訳した時に違うニュアンスがくっついてくるようになってしまったんですね。つまり、自分が女性といえば女性、男性と言えば男性と言う、自分が自称した性別が性別なのであるというニュアンスがついてきているので、だから自民党の部会ではこれが問題になったということなんです。
(性同一性について)社会性や時間性が大事で、自分だけの主観ではなくて、第三者からどのように見えているか、どれくらいの期間、その性で経過としているのかというところも加味されるんですが、精神科医に言わせると、しかしながら、それも主観を容易にして判断するしかないということなんですね。
(性同一性の定義について)は、今のG7の中には、LGBTに特化した差別禁止法というものはなくて、包括的な平等法の中にLGBTも組み込まれている構造なんですね。で、例えばイギリスの平等法などは大変よくできていまして、LGBTの差別禁止をうたってはいるんですが、それに適用除外規定というのが設けられているんです。それでこれによって女性専用スペースが守られてるんです。また保護すべき性的指向ということについても、同性愛異性愛両性愛と定義がしっかり書かれてるんです。やっぱり保護すべきという性的指向の中には、動物性愛やペドフィリア(小児性愛)は含まれないということが謳われているわけです。残念ながら、LGBT理解増進法にはこの視点が抜け落ちているのでと女性保護法を作ってほしいという要求も出てます。
当然、異性愛者の皆さんの生存権も守らなければならないということだと思います。今後、国会審議の中でそれを明らかにしていくということが言われていますけれども、その辺各政党しっかり議論を積んでもらいたいと思いますね。様々な疑問点には答えられていないと思いますね
(理念法だという主張に対して)そこにどのような方が講師で派遣されていくのか。そしてどのようなLGBT団体に教材の発注をしていくのか、その辺も不明瞭なんですね。
(LGBT当事者にとって)賛成の方反対の方、さまざまになってるんですが、関心がないという方が私はほとんどだと思ってる。
2022年に殺されたトランスジェンダーの数を見た時に、アメリカは51イギリスは14人、日本は0人なんですよ。欧米各国からは日本はLGBT後進国だから言われるんですが、法律はあるけれども、年間100人近くが殺される国と法律はないけれども、ほとんど殺されない国のどちらが先進国なのか私は一概に言えないと思うんですね。こういった日本の状況においては、法律そのものが要らないという当事者は大変多いです。
松浦氏はモラロジー道徳教育財団道徳科学研究所主催のシンポジウムでご一緒し、今も連絡を取り合っている見識のある同志のお一人である。