道徳感情と人工知能一持続的な文明を築いたスサノオ
●サイニック理論とプラネタリーヘルスの提唱者の対話
「SINIC(サイニック)理論」はオムロンの創業者の立石一真らが提唱した未来理論であるが、栄養、皮膚、四肢、精神の4点が正四面体になって、ホリスティックに健康を考えるというものである。
「プラネタリ―ヘルス」を提唱する医師の梅村理紗氏は、人は地球全体のシステムとひとつながりで、人の健康課題という部分を解決するには、地球全体の課題にもアプローチしなければ解決できないと考えている。両者が対談している。
SINIC理論は、100万年前の原始社会からこれまで、そしてこの先に続く科学・技術・社会の発展の姿を示している。人の営為や人工物なども含めた森羅万象すべてが自然(じねん)であり、その中に人間もいるし、さまざまな生き物、人工物もある。
本来であれば大きな有機物があったとしても、その分解者としての微生物が細かく分解して次の生き物につないでいく循環があるのが自然の生態系であるが、彼らが分解できないものを大量に生産してしまった。それによって色々なものが蓄積して停滞を生んでしまったことに問題がある。
自然の摂理に則って再びバランスを取り戻していくことが必要である。そのためにはどうすればよいか。梅村氏は、自然の摂理に新しいテクノロジーや科学が裏付けられた「ハイパー原始社会」の実現に向かっていくことだという。
SINICの3Dモデルには100万年前の原始社会から始まって社会の在り方が変遷していく様子が示されているが、円を描いて一周するが、出発点に戻るのではなく螺旋状に上がって次のフェーズに行くというのが大切なポイントである。
SINIC理論の素晴らしさは、過去の文明が蓄積し善意働きかけるされていなければ今にたどり着かないことが示されていることにある。私たちは人間の都合、快適性や利便性、経済性などをすべて満たしながら、自然を調整中していこうと考えがちであるが、自然に働きかけるのも人間の責務である。
●持続可能な文明を築いたスサノオノミコト
スサノオノミコトは八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したことで有名であるが、ヤマタノオロチは暴れ川だったのではないかという説がある。古代日本で行われていた、たたら製鉄が山を切り崩すことで保水力がなくなった
川が暴れ、たびたびの洪水で稲作がダメになっていた。
スサノオノミコトは高い植林の技術によって、山の保水力を維持しながら製鉄をするという、持続可能な製鉄の方法を持っていた。さらに治水技術によって暴れ川を鎮めて稲作を守ったことで、持続可能な文明が築かれたと伝承されている。
スサノオノミコトは自然の原理に対する洞察と、当時における最新テクノロジーを持っていた訳である。この伝承を現代に置き換えると、自然の原理とと最新の科学が融合するというハイパー原始社会が誕生するのではないかと考え、梅村氏は、大山がある鳥取県西部から島根県東部を含む古代出雲国のエリアの、プラネタリ―ヘルスの流域の地図を大風呂敷のカタチで再現している。
●道徳感情数理工学と人工自我
梅村氏は、東大の「道徳感情数理工学」という感性や共感を数理モデル化する研究室を主宰し、光吉俊二准教授らと共同研究を進めている。人の意識を数理工学化する関連で、「人工自我(AE)」も扱っている。
ITは人間の記憶力を補ったり、AIではパターンマッチ的な事務仕事「士業」的なことを代わりに片づけたりしてくれたりして人間のクリエイティブではない部分を補うためのツールとして使うにはすごく便利である。
しかし、生命と非生命が溶け合うように、生きとし生けるものだけでなく、ロボットとも共生するような社会が来る時にどういう技術が必要かというと、感性とか意欲を生成できる技術=感性制御技術(ST:sennsibility technology)である。
AIにもボディを持たせたら、共感や感性が生まれるかもしれないと考え、こうしたAIを人工自我、Artificial Egoと呼んで開発しており、知能中心のAIとは異なる感性制御技術について共同研究が行われている。
人工知能は機械学習と呼ばれる過去のデータに基づいた学習の結果によって賢くなるアルゴリズムで駆動し、過去から学習するだけで全く新しい発想やクリエイティブな「創発」ができない。
一方『人工自我」は、四則和算と「拡張リーマンモデル」という原理を使い、学習していない未知の事情でも対応するため、「裏」の関数<f>として出力する。この関数が意図や意識、意欲となるベクトルや感情を創発するメカニズムとアルゴリズムを実装している。
そして、創発された感情や意図と人間との関係性から道徳心が生まれ、倫理が理解できるようになる。人工知能と人工自我の違いは、有名なトロッコ問題にで説明できる。
トロッコが線路の分岐点に差し掛かり、AかBのどちらかの線路を走ると、Aの道を行くと、子供を1人轢き殺してしまうかもしれない。Bの道を行くと、高齢者を10人轢いてしまうかもしれない。
この問題を人工知能が考えると、過去にそういった特殊な状況がないので判断できない、または誤った選択をしてしまう可能性がある。この“誤ったとする根拠”も人によってばらばらである。
しかし、人間はAでもBでもない、創造的選択が瞬時にできる。これは、命題そのものを疑う機能が人には備わっているからである。こうした過去の学びがない状態でも創造的に判断できる人間の能力を工学的に開発しようというのが人工自我である。
即ち、「ヒトでは解決できない難問に対して、命題そのものから疑って解決策を創発させる」のである。
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